日本明慧
■印刷版   

家族による妨害に対する新しい認識

(明慧日本)今日、私は突然、私と家族に対して違った認識を持つようになりました。一人の人間はこの世に生まれ、あなた、私、彼を離れることができず、一人の常人として自分自身に執着することはおかしな話ではありません。生活から社会のさまざまな面は、すべて自分自身を中心として展開しています。しかし、修煉者として自分自身を突破しなければなりません。自我を突破する過程の中で、自分自身の心性において最も修煉になるのは、家族との心性における摩擦、および利益の衝突にすぎないでしょう。もし、家族との間の心性の摩擦と、利益の衝突にいおていずれも良くできなければ、他人に対して慈悲をもって対応することができません。師父は、すべてのことは法のためにやって来たとおっしゃっていました。親戚を私の周りに按配してくださったのは、親戚の情に執着させるためではなく、この情の中から抜け出し、この環境の中で己を修煉し、自分を一般常人から抜け出させるため、真の師父の大法弟子になるためです。

 これまで非常に長い間、私はこの家族を自分の修煉における妨害だと認識してきました。この家族は、いつも私にたくさんの魔難をもたらし、自分が三つのことをすることに影響を与えていました。今、この法理を悟ってから、自分の修煉を向上させる良い環境としてとらえることができました。得てして、私が他人の前で善意をもって、落ち着いて振舞えるのに、家族の前になると、自分自身を強調したり、元の木阿弥になってしまいます。しかし、今は同じようではありません。新しい認識を持てるようになってから、私は今後は良くできるようになると信じています。魔難がなければ修煉することができません。向上もできません。実は、この私というのは、本性の私ではなく、後天的に形成された観念であり、執着です。後天的な観念を取り除いて、初めて本性の私を表せることができ、親戚に対する情を取り除いて初めて、親戚に対する慈悲をもてるようになります。

 このような大きな法と、これほど偉大なる師父がいれば、あとは自分の決心さえあれば、無私無我の境地に達し、他人を先んじ自分を後にする大覚者になれると信じています。「法を正すことは必ず成功し、大法弟子も必ず成功します。」(『2004年米国西部法会での説法』)

 2008年10月26日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/10/18/187955.html