日本明慧
■印刷版   

法をよく学習し、三つのことをやり遂げる

(明慧日本)私は1952年の生まれです。小さい頃から重い気管支炎にかかり真夏の日布団を被って太陽を浴びていました。5年間学校に通いましたが、ほとんど2日通うと3日休んでいました。20歳の頃リューマチにかかって養命酒を100本以上も飲みました。飲んだ漢方薬はトラック1台分にのぼるもしれません。しかし、病状は悪化するばかりでした。苦しいとき、生きるよりは死んだ方がよいと思ったこともあります。1997年の5月仕事場から帰る途中、テレビで映っていた法輪の図形を見て、なんと美しいと驚いて、ボランティアで教えてもらうことができる法輪功の修煉を始めました。一生懸命に動作を練習しているうちに、気が付くと長年自分を苦しめていた気管支炎とリューマチが完全に治っていました。

 1999年7月20日を境に法輪功は邪悪な中共に不法に弾圧されました。中共の言うことを私はどうしても納得できませんでした。師父は我々に「良い人、もっと良い人になるように」と教えておられるのに、何故「邪教」というのでしょうか? 職場で大好きな大法の本が没収され、私は泣きました。師父に向かって大法に罪はなく、自分に罪はないのに、大法が不法に弾圧され、本を失ってしまいました。すみませんと謝りました。師父は「転んでも構いません。大丈夫です! 早く立ち直りなさい!」(『2003年旧正月十五日米国西部法会での説法』)と教えられました。私は決心しました。大法に間違いはなく、師父に間違いはなく、自分が法を修煉したことに間違いはありません。私は圧力、強圧政権、独裁政治、中共に負けてはなりません。人々に法輪功に過ちはなく、すべて中共の作り話で、嘘だという真相を早く伝えないといけないと感じていました。私は大法の本を探し始めました。圧力の前で修煉を止めた人もいたので、その人から大法の本を借りました。

 それから暫くして、真相資料を手に入れることができ、資料を配布し始めました。邪悪の尾行にあった時「自分は衆生を救うために頑張っている。邪悪は邪魔をしてはいけない。妨げてはいけない」と考えました。その時、自分は心の中で法を暗記しました。「大法不離身、心存真善忍、世間大羅漢、神鬼懼十分」(『洪吟』<威徳>)。

 当時、地元ではパソコンが操作できる同修はおらず、真相資料が全然足りない状況でした。2004年になると、ある同修は隣の県に出かけて資料をもらってくるようになりました。私も隣の県に行って資料をもらっていました。ある日、皆で修煉の経験を話し合っている時、もう1人の同修が入ってきました。しかし、彼女が入ってから10分も経たないうちに何者かがドアを強く敲きました。開けてみると4人の警察でした。私は急いでCDなどの真相資料を隠して、心の中で師父に助けを求め、心を静かに取り戻すことができました。その時、警察はまるで強盗のように家の中を荒らしましたが、私は心を鎮めて発正念をしました。資料が見つかることはない、これは衆生を済度する貴重な資料であり、邪悪な警察に発見されるはずはないと確信していました。警察は何も見つけられず、我々を警察に連行しましたが、簡単な事情聴取をして何の証拠もないと釈放しました。

 当時、明慧ネット上では資料点はあちこちいっぱいあって、衆生済度に役立っているという報道がたくさん載せられていました。私はそれを読んで自分の資料点を作れないかと考えました。私は某同修に助けを求め、中古のコピー機を手に入れました。はじめは少しコピーして配布しました。1週間過ぎると資料が全然足りないことが分かりました。それで、自らネットを利用して資料をダウンロードできる方法を習いました。50歳を過ぎた私がPC技術を学習することは容易ではなかったのですが、この県に住んでいる大勢の衆生を済度する重い責任を考えると、どんな困難も克服できると考えました。隣の県の同修からプリンターとパソコンを1台借り、2カ月かけて資料を作ることに慣れました。みんなも感動して高く評価してくれました。

 初めの頃はやはり恐怖心が強かったのです。警察の車両の警報が鳴ると、心臓がドキドキしていましたが、徐々に冷静さを取り戻しました。「一つも心が動じなければ、あらゆる動きを制することができるのです」(『精進要旨二』<最後の執着を取り除く>)を読んで、恐怖心を克服できました。

 2005年、同修がもう1人の同修を紹介してくれました。彼女はパソコンに慣れていたのですが、2カ月も経たない内に法を信じる心が動揺し始め、邪悪に妥協したのです。これは大変だと分かり、我々は資料点をほかの場所に移しました。その間、様々な心の試練がありました。はじめは何故この同修が邪悪に妥協したのか、自分に問題はなかったか心の中を探しました。その後、資料点の安全のために、他の場所に引越しの準備をしている時にもさまざまな邪魔が起きました。このいずれの原因も自分に問題はなかったのか探しました。自分にはやはり恐怖心があったのです。法を学習し、自分の心を探し、恐怖心を見つけて取り除きました。すると同修の中から家を貸してくれる人が現れ、資料点は新しい拠点で順調に発展していったのです。

 2006年のある日、隣の県の同修が警察に逮捕されました。邪悪は彼の携帯番号からA同修に電話かけて騙して連行したのです。資料点が警察に荒らされ、パソコン、プリンターなどが没収され、1万元以上の損失がでました。私は残りの同修たちとこれらの邪魔はなぜ起きたのかを個人個人の心へ問うように交流し、我々に成功した喜びの心、満足の心などの執着心があったことに気付いたのです。煉功も不十分で、2時間の法を学習する時間すら保障することができなかったことに気付き、皆で法の学習を重視するようになりました。

 その後も様々な試練がありました。ある同修からはまず資料点の仕事をしばらくやめて法を学習しようという意見がありました。自分とB同修は資料点の仕事をやりながら法を真面目に学習するほうがよいと意見交換をしました。その後、私を支持していたB同修もアルバイトをするために外出することになり、私は1人ですべてを担うことになりました。その時、私は冷静に考えました。自分は昔、衆生を済度すると約束したことは間違いありません。どんな困難があっても乗り越えると決心しました。その後、すべては順調になったのです。

 資料点の仕事も修煉そのもので、同修の間で様々な心の「衝突」が起こるのです。その時、法を学習し、自分の責任を探せばいつも解決することができました。

 この一連の出来事と資料点の経験から、我々が分かったことは、法を学習する時間を必ず保障すること。自分がきちんと修煉すること(毎日煉功して、心の修煉をする)。この前提があれば、三つのことを邪魔なくやり遂げることができるのです。法を悟ることは大事であり、法の学習ができてから法を実証することができ、自分の修煉の道を歩むことができることが分かったのです。

 2008年11月2日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/11/2/189062.html