日本明慧
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師と法を信じ、実行することこそ修めることである


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)オリンピック開催前、全国各地で中国共産党が法輪功修煉者を深刻に迫害したという記事がたくさん載りました。我々の地区でも何件か起こりました。しかし、いずれもすぐ明慧ネットで暴露され、邪悪を震え上がらせました。しかし、邪悪を暴露すると、さらに迫害されるのではないか、当事者の仕事に影響を与えるのではないか、などというような色々な観念に阻まれたため、その内容を真相資料として作成し、地元の民衆に配りませんでした。「人為的に魔を養ったため、魔が法の隙に乗じたのである」(『精進要旨』「道法」)

  その結果、邪悪が魔の手を私に伸ばしてきました。7月13日、退勤してあと2分ほどで家に着くところで、1人の同修が車で迎えにきて、「早く乗りなさい、あなたの家は不法に家宅捜査されました」と教えてくれました。慈悲なる師父が守ってくださったと私はすぐ分かりました。同時に、同修たちが皆自分を放下し、全体として協力すれば、法輪功修煉者が法を実証する時の損失を最小限に減らすことができるとも感じました。

  私はその同修に従い、彼の家に行きましたが、彼はまた出かけて、そのことを同修たちに知らせるために一軒一軒回っていました。私は今回の事件の経緯を考えていたところに、もう1人の同修が訪れてきました。そこで、師父の教示されたとおりに、無条件に自己を放下し、地元の邪悪を徹底的に暴露することをやらなければならず、今回の事件をできるだけ早く整理して、邪悪を暴露し、衆生を救い済度する真相資料として作成し、地元に配るという考えを彼と交流しました。それから、自分の漏れが一体どこにあるのかも内に向けて探しました。

  最近、新唐人テレビの受信機の取り付けなどに忙しかったため、もう2カ月あまりも大法の本を読まずにいました。煉功も疎かにしており、心を修めればよいと思っていたのです(実はそれは人の観念です)。毎日四つの定刻の発正念も確実に行っていませんでした。そのため、邪悪に隙に付け入られてしまったのです。そこで、私は心を鎮めて「どうやって旧勢力の按排を否定できるのだろうか」と真剣に考えました。それは他でもなく、師父の按排された道を歩んで初めて否定できるのです。では、どのようにして師父の按排された道を歩めるのでしょうか。それは確実に三つのことを行い、確実に修めることであると思いました。

  私は同修たちと交流して、確実に己を修め、私が迫害されたことを真相資料に作り、さらに広範囲に伝えることに合意しました。我々の大法の学習グループは、それから毎日五通りの功法を一度に全部煉功し、毎晩集団で大法の学習が終わったあと、真相資料を配りに行きました。そして、昼は防犯ドアが開いているため、その時にも真相を配りに行くようにしました。このように、我々の町のいたるところに真相資料を配り、邪悪を震え上がらせました。そうしたら、後で「出勤する時によく気をつけなさい」と注意してくれた同修がいました。また、ある同修が610弁公室のリーダーのところへ真相を伝えに行ったら、「俺のことや電話番号を皆チラシに書いただろう。オリンピックが終わったあと、そいつ(私のこと)を懲らしめてやるぞ」とそのリーダーが脅したということも私の耳に入りました。

  いろいろな圧力がかり、私は胸がつかえるような感じがしました。その時、師父の説法が頭に浮かんできました。「わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」(『転法輪』)。大法の前でそれらのものは実に取るに足らず、ただ師父がそのすべてを利用されて、我々を成就させ、さらに大きな威徳を築いてくださるのだと私ははっきりと分かるようになりました。

  師父は『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』の中で、「この歴史は法輪功修煉者が衆生を救い済度するために按排されたもので、皆さんはなぜ主役にならないのでしょうか? なぜ邪党文化を注ぎ込まれた常人の言ったことを第一位に置くのでしょうか? なぜ邪悪の迫害をそれほど重く見ているのでしょうか? よく考えるべきです。これらのことは迫害される一九九九年以前なら、師父は言わないのです。皆さんは乗り越えてきた法輪功修煉者であり、間もなく圓満成就になる法輪功修煉者です」と教示してくださったのです。

  それは、私がやり遂げられるかどうかに対する試練なのです。「弟子は必ずよく行います!」と私は心の中で師父に固く言いました。そこで、私は確実に三つのことを続けました。だんだんとこれらの圧力や大法に符合しない思想が解体されるように感じました。圧力を感じるどころか、かえって非常に美妙で潜在的な興奮さえも感じました。師父は『転法輪』の中で「『忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる』。実際その通りです。皆さんはお帰りになってからぜひ試みにやってみてください。本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越える時に、試みてください。耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当に行けるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと『柳暗花明又一村』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません」と教えてくださいましたが、確かにその通りです。

  その後、私はこんな夢を見ました。私は三人の邪悪のならず者に追われて、鍵をかけていない部屋に身を隠しました。しかし、やはり彼らに見つけられました。私は堂々と出て彼らに真相を伝えました。そうしたら、彼ら3人が跪いて「法輪大法は素晴らしい! 真、善、忍は素晴らしい!」と叫んだのです。そして、隣で部屋を建てている人たちも真相が分かり、脱党に同意しました。その夢を通して、師父が励ましてくださっていると私は分かったのです。

  不適当なところがありましたら、慈悲なるご叱正をお願いします。

  2008年11月6日


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/12/187574.html