日本明慧
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青年同修との交流


文/中国大陸の青年弟子

(明慧日本)私は22歳の青年弟子です、幸いなことに1997年以前に大法に出会いました。その頃、父親は故郷の煉功場責任者で、私は学生でした。今振り返ってみると、その頃の環境は本当に良かったと感じています、大人たちは学法し煉功して、師父の講法ビデオを放映する時に私も参加し、昇華していました。その頃は大法の内包を深く理解していませんでしたが、心の中で大法は正法で、良いものだと分かっていました。

 2001年、私は高校を卒業し、家の経済条件があまり良くなかったので家を離れてアルバイトを始めました。何年間か常人の中で回り道をしながら歩み、かなりひどい目に遭った事もあります。ところがよい事につけ、悪い事につけ、頭の中でいつも師父の講法の声を思い出し、私を目覚めさせてくれました。本当に師父に感謝しています。今の世の中の社会環境に惑わされ、私は心の中で、いつも人生はたえず変わっていると感じています。栄耀栄華の彩りはただ幻影だけであり、すべてを放下すべきだと思っています。しかし以前の私は、このような考えを法の上で理解できませんでした。自分が放下できない執着した考えを抱いて、自分に偽りの慰めを貰いたかったのです。今、このような思想は本当に酷すぎたと思っています。

 2004年、私はなんとなく1台の古いパソコンを買いました。最初はあまり使わず、インターネットにも繋げませんでした。お正月に家に帰った時、家のパソコンで真相DVDを見て、その中には大法の書籍もありました。その後、私はどこへ行くにもパソコンを持参して、時間があれば大法を読んでいましたが、まだ師父の経文を読み終えていません。また仕事の環境などが原因で、学法をあまり重視していませんでした。ですから、自分の修煉状態はいつも中途半端で起伏していました。2007年に祖母が病気になり、私は家に戻りました。ちょうど技術の優れた同修が機械を取り付けに来ており、同修の指導の下で私はソフトウェアを取り入れ、明慧ネットを見られるようになりました。明慧ネットを見ると、正法情勢の緊迫感を感じました。そして、今の時間をどのように使うべきなのか、いつも自分に注意し、後悔しないようにと警告していました。しかし、私はやはりやるべきことをしっかりと行っていませんでした。

 今の私は結跏趺坐をするとき、やはりとても痛いです。安逸と怠慢に執着する心の下で、煉功と発正念が時間通りにできません。情と利益に執着する心を放下することができません。明慧ネットで同修の交流文を見ていつも赤面し、穴があったら入りたいほどです。今、自分のお店でインターネットを利用するのは便利ですが、周囲には同修がいなくて、いつも自分は真相を伝えることが足りないと感じています。毎日法を学んで、煉功し、正念を発して、お札に真相を書いて、同修の交流文章を見て、文章をダウンロードして友人に転送しています。しかし、これくらいの事では他の同修とは比べものにもなりません。自分でも焦っています。先日、大陸弟子の交流文章を読んでさらに自分の不足を見つけました。ここで明慧ネットを通じて、私と同じ状態の青年弟子に注意を呼びかけたいと思います。機縁は一度しかありません。その上、残りの時間も少なく、夢が過ぎ去ってから、失ったことが億万年に一度出会えるか出会えないかのことだと分かるでしょう。しかし、それでは遅いのです!! 私達が三つのことをしっかりと行うことと、師父と大法を堅く信じることが、師父の慈悲なる済度に申し訳が立ち、私達を待っている衆生に申し訳が立ちます。私達は最後の道を正しく歩みましょう!!

 2008年11月12日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/31/188934.html