日本明慧
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私利、私欲の心を取り除く


文/中国大陸の大法弟子 純浄

(明慧日本)私は1998年に法を得た弟子です、この10年いろいろ失敗をしてきました。 2003年に失業してから、自分で店を開き、商売をやっているうちに利益を求める心、闘争心、嫉妬心、不満に思う心、私心などいろいろ出てきました。

 ある日、1人の男性が物を買って行きましたが、後で電話をかけてきておつりをもらわなかったと言いました。私もおつりを渡したかどうか覚えていなかったので、帳簿でチェックして、もしお金が余ったら返すと言いました。チェックしてみたら確かに30元が余っていたのです。その人が来たら、返そうと思いましたが、店が閉まる時間にほかの人が買い物で払った30元をまだ帳簿に記入していないことを思い出したので、お金は余らないことになりました。

 しかし、その男性はお金を受け取りに来ました。私は「お金は余っていません。おつりはもう返したでしょう、忘れたんじゃないですか」と言いました。彼はポケットに30元はないと言い、私はお金が余っていないと言っても、彼は私からおつりをもらわなかったと強く言ったので、私に闘争心が生じ、利益を求める心も出てきました。心の中で、もしお金が余ったら何も気にせずに返すが、余っていないので返すわけにはいかないと思いました。

 自分が煉功者ということを全く忘れて、自分の心の中に何か悪い所があるのではないかと反省しませんでした。そばにいる夫は「お金を返してあげてくれ、もしあげたのなら、もらいにくるわけがないだろう」と言いました。そう言われても、「どうして私があげなければならないの、余っていないのに」と考えていました。主人は「借りたと思ってさっさとあげろ」と言ったので、怒ったような態度でお金をその男性に渡しました。

 家に帰る途中、夫のことを怒りました。余っていないのにどうしてお金をあげたのか、ずいぶん不公平だと思いました。

 夜になって同修にこのことを話したところ、同修は「あまったら平気で返すことができるのに、どうして損だとわかっていながら認められなかったの」と言ってくれました。心の中に向かって考えれば、やはり自分の私心のせいで不公平だと思っていたのです。損を蒙りたくない、利益の損失を認めたくないという汚い心が分かると気持ちがせいせいしました。

 2006年から、自分で車を運転して店に行くようになりました。夫が勤め先のガソリンを入れてくれたのです。心の中でなんだか悪いのではないかと時々思いました。同修もそれが得をすることなのでよくないと言ってくれましたが、その時の私は、もしそんなことをしてもらわなかったら、1カ月分の500元ぐらいのガソリン代はどうしよう、それを止めることはできないと思っていました。利益が目の前に確実にあり、それを捨てて、自分のお金でガソリンを買うことはできないと思っていました。その時の利益を求める心はとても強く、悪いと分かっていながらやめたくなく、どうせそれは共産邪党のものだから、もらわないほうが馬鹿だと自分に口実を作って、平気になり、執着を大きくしました。

 私が真面目にそのことを考えるようになったのは、ある出来事があったからです。2007年7月に、4万元を騙し取られたのです。1カ月の間に三つのグループが3回わなをしかけて来ました。結局、重い利益と貪欲の心のせいで、騙されたのです。反省してみたら、普段商売をするとき、心性が悪い時はちっぽけな利益で常人と争ったりすることもあり、私心が重く、結局邪悪に隙に乗じられて、経済上の迫害を加えられたことが分かりました。普段のすべての行為を反省すれば、車にガソリンを入れてもらうのは得をすることで、利益を求める心であり、私心であり、貪欲の心であって、これらを全部取り除くべきだと分かっていました。

 ある日、夫にこれから自分でガソリンを買うと言いました。夫は不機嫌に「馬鹿、金があれば俺にくれ」と言いました。夫の気にさわらないように入れてもらったり、自分で入れたりしました。また何回も彼と相談しましたが、やはり承諾しませんでした。これでまた何カ月も経ちました。ある日、急に「もうこのままではダメだ、私は修煉者だ、これぐらいの心が取り除けなかったらどうしよう。どうして夫は喜ばないのだろう。彼は常人で、常人なら個人の利益のためなら、得があれば取るのは普通のことですが、自分は煉功者で変わらなければならない」と思いました。(ここまで書いて自分の夫に対する重い情に気がつきました。大法より彼の機嫌を取るために自分を厳しく要求しなかったのです。これから情への執着心を取り除くよう、注意します)。

 このことにおいてやはり自分の心性に問題があると分かりました。根本からこれを取り除こうとしませんでした。自分で500元ぐらいのお金を出してガソリンを買うのを惜しがっていました。だから、夫の言ったことに従いました。ここまで分かり、自分がしっかりできたら、師父がきっと助けてくださるに違いないと思いました。それで都合を見て丁重に夫に自分の考えを話しました。自分は煉功者だから、自分を厳しく要求すべきで、得をしてはいけないのです。失わないものは得られず、これは宇宙の法理です。私はいくらの徳で交換できるのでしょう。騙された4万元の中に得をしたお金が入っていなかったとは言えません。ここで取った得はそこで失うと言いました。これを聞いた夫は何も反対せずに、自分でガソリンを買うことを賛成してくれました。この事を通して、心の底から「修は己にあり、功は師にあり」(『転法輪』)という法理を体得しました。本当に何かをよくやりたかったり、執着心を取り除こうとしたりするとき、師父はきっと助けてくださるのです。

 しかし、この利益を求める心や私心は重く、きれいに取り除けませんでした。この間、夫が私の車を使いました。使ったら、ガソリンをいっぱい入れてくれるに違いないと思いましたが、ガソリンを入れてくれなかったので、ちょっと不機嫌になり、私が買ったガソリンを使ったのにどうしてガソリンを入れてくれなかったのかと思い、夫に対する態度が悪かったので、夫はどうして私が不機嫌になったのかわけがわからなかったのです。数分後、すぐに自分がいけないことに気付きました。これは私心で、利益を求める心で、私ではない、私はその心はいらない、捨てるべきだと目覚めたら、気分がすぐに良くなりました。

 以前レストランで食事をするときは、いつも領収書をもらって、夫の勤め先で清算してもらいました。時には、夫はお金が少ないから領収書はもらわなくてもいいと言うと、私は口に出さなかったのですが、心の中で不満に思っていました。法を学ぶことによって、これは全部私利私欲の貪欲の心であり、取り除かなければならないと分かったので、今はレストランへ行っても、領収書をもらわずに自分のお金で支払うことができるようになりました。

 実は、以上のようなことはたくさんの同修はずっと昔からできたに違いありませんが、私は今になってやっとできるようになりました。個人の利益においてよく扱えないこともあります、今日これを書いたのは、それを暴露し、徹底的に取り除きたいからです。これから、きっと勇猛精進し、一思一念において自分をよく修め、師父が按排された三つのことをしっかりするように頑張ります。

 以上のことに考え違いがあるかもしれません。何か正しくないところがあれば、どうぞ慈悲に指摘してください。初めて文章を書いたので筋の通らないところもあります。

 2008年11月14日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/26/188498.html