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年中無休の煉功場(写真)

(明慧日本)町の公園の朝はいつも賑やかだ。走ったり、速いスピードで歩いたり、ボールを蹴ったりして体を鍛える人がたくさんいる。家族で一緒に朝の新鮮な空気を吸うために来る人もいる。台北の永和市仁愛公園に、いつも明け方から門の右側の芝生で煉功をしているグループがいる。一年365日休まずに法輪功を修煉している。これは台湾で千余りもある煉功場の一つである。どうしてこの人達はこんなに根気強く続けているのだろう。
煉功の後で、一緒に法を学び交流する


 心も体も丈夫に 白髪は真っ黒に

 81歳の王先豊さんの家は仁愛公園から500メートルの所にあり、いつも公園にきて運動をしていた。縁があり、ここに煉功場を設けた蒋沛豪さんに会った。蒋さんはボランティアで功を教えていた。9日間の学法煉功クラスに入った後、王さんは毎朝煉功をし始めると、まもなく体に大きな変化が出てきた。王さんは「以前は膝が悪く、歩くと痛みがあった、階段を上るときは手すりを持たなければ登れなかったが、法輪功を始めて何日か経つと全然痛くなくなった。手すりもいらず4階まで上れた。その時この功はなんと不思議だろうと思った。ある日、静功が終わって立つと、本当に歩くのは軽やかだった。体重が全くなくなったような感じがした。走るよりずっと感じが良かった」と話した。7年ぐらい経つと、白かった髪が黒くなり、実際の年齢よりずっと若く見える。

81歳の王先豊さんと妻の楊培麗さん(前列右一、右二)

 妻の楊さんは、「主人は気さくで優しい人だったけど、家事は女がやることだと思って、全然手伝ってくれなかった。でも法輪功を修煉してから、いろいろと変わった。積極的に家事を手伝ってくれるようになって、家庭の雰囲気はとても良くなった」と話す。夫の健康と性格の変化に感動し、王さんが煉功して一年後、楊さんも法輪功を始めた。「煉功してからこの数年間、二人の体はとても良くなり、健康保険カードは一度も使っていない」と楊さんは話した。

 家庭は和やかに 喘息、不眠、目の病が全快

 範栄清さんは、仁愛公園の隣の住宅区に30年以上も住んでいる。走って体を動かすのが習慣だった。2001年、車椅子に座った父を連れて、公園で日光浴をして気晴らしをしていると、快い音楽に惹かれた。煉功していた学習者たちの和やかさに感動し、法輪功を始めたのである。「小さい時から、いつも喉に炎症が出て薬を飲んでも、いつも繰り返し出ていた。2001年から法輪功を煉功をして、今に至っても医者に診てもらったことがない。たとえ風邪のような小さな症状が出ても、1、2日間だけで済んだ。以前だったら、絶対に不可能なことだった。修煉する前は、何か自分の観念に合わないことがあるとすぐ怒り出していたので、家族との関係は良くなく、子供たちと距離があった。法を得てから、すべてのことにおいて真善忍の法理で自分を要求するようになり、妻と子供を尊重している。今の家族は和やかな雰囲気で、仲良くいられるようになった」と範さんは話す。

範栄清さん(前列左一)と蒋沛豪さん(前列左二)は毎日公園で煉功している

 李微セイさんは数年前に乳房悪性腫瘍で手術を受けて、リンパ腺を切除したため右手が無力になり、外力がなければ上げられなかった。それが原因で長年気管が悪くて喘息があり、首の右側の前に窪んだところがあっても手術を受けられなかった。大分悩んでいた李さんは三年前に仁愛公園の煉功場で法輪功に出会い、修煉の道に入った。李さんは「修煉前の私はいつも不眠だった。修煉後、夜眠れなかったら起きて法を学び、疲れたらすぐに眠った。こうして、ある日いつの間にか自分が普通に眠れることに気付いた。ずいぶん困っていた喘息と不眠はいつの間にか治った。不思議なことに飛蚊症も気付かないうちに治った。今の私は毎日自転車で公園へ来て煉功学法している」と話した。

 心性が向上すれば環境が作れる

 蒋沛豪さんはこの煉功場を作った責任者で、1999年に法を得てからもう9年余りも法輪功を修煉してきた。「私は秀朗国小の近くに住んでいる。ここからちょっと遠いところ。2000年の初めごろ、中永和地区の同修は私に、仁愛公園で煉功場を作ったらどうかと勧めてきた。ここは学習者が少ないので、私は引き受けた」と蒋さんは話す。

 初めのころはたった三人だったが、半年ぐらい経って状況が変わった。いろいろなきっかけで相次いで法輪功のことを知り、朝の煉功に来る人がだんだん多くなり、今は毎日15人〜20人の同修が必ずここに来て、煉功をしてから一緒に一時間ほど法を学んでいる。主に『転法輪』、『精進要旨』、『洪吟』を朗読している。それから、みんな帰って仕事をしたり家事をしたりしているのである。

 犠牲に見えても実は得をしている

 万事初めのころは難しい。もとは毎日昼の12時頃まで寝ていた蒋さんが、どうやって習慣を変えて毎朝5時20分前に必ず煉功場に行けるようになったのだろうか。蒋沛豪さんは次のように話す。「法理から心性が向上すれば環境が作れると分かっていた。だから、初めの半年は三人しかいなくても諦めたりしなかった。責任者は心性が低いと、良い環境が作れないと思った。自分は心性が良くなったので、人がだんだん多くなってきた。今ここにいる同修の三分の二はここで法輪功に出会った」と蒋さんは話した。「煉功場の責任者になって、同修たちのために犠牲になっているように見えるかもしれないが、深く考えれば、自分のほうがもっといろいろと得をした。今は毎日4、5時に起きないといけないが、私にとって一番大きな収穫」。

 煉功場を作った後、初めて会った台風の日に、蒋沛豪さんはもし自分が煉功場に行かなかったら、同修が来たらどうしようと思って、やはりいつものように煉功のラジカセを持って公園に行って見ると、一人の80歳すぎの同修がもう来ていた。蒋沛豪さんはびっくりして、 「どうしてきたの」と聞くと、その同修は「きっとあなたが来ると思って来た」と答えた。「感慨深かった。そのお年寄りは、歩くのも少し不自由なのに、来てくれた。本当に感動した。これからもっと全てにおいてしっかり行なうように決心した。ほかの同修も私と同じように思っているだろう。この数年間、毎日休まずに煉功と学法をしてきた。たとえ大晦日の日でも初詣の日でも休まなかった。同修たちは互いに気をかけ、励まし合い、しっかりと学んで互いに比べあって修め、ともに精進しようと頑張っている」と蒋さんは話した。

 2008年11月15日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/27/188592.html