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河北省安平県:王敬勉さんは5回も不法に連行される

(明慧日本)河北省安平県城関鎮前張庄村の法輪功修煉者・王敬勉さんは5回にわたって連行され、2008年8月23日、不法に労働教養1年の判決を下された。

  王さんは1998年から法輪大法を修煉し始めた。以前は精神病を患い、いつも怒った後に精神病が再発した。しかし、1998年から法輪大法を修煉して以来、一度も再発したことがない。

  2000年7月中旬、安平鎮政府、派出所所長・王強と彼が率いる一群は王さんの自宅に不法侵入し、王さんを連行した。王さんは安平留置場に送られ、迫害を受けた。監禁された数日後に家族は3000元を払い、王さんは家に帰ることができた。2001年春、前張庄村村長・張鉄圏、賈二娃の協力の下に、王強率いる一群が再び王さんを自宅から安平洗脳班に連行し、人身を辱めて数日後留置場に移送した。留置場の環境は悪く、王さんの体は疥癬だらけになった。警官らは伝染することを恐れて、2000元を恐喝して一時出所にした。

  2004年、王さんは親戚を訪問に行く途中、安平公安局前の街を通った際、道路の電信柱に貼ってある大法の真相チラシが落ちそうだったので直した。それを公安局の警官に見られ、警官は何も聞かずに王さんを公安局にひっぱり込んだ。法輪功の迫害を担当する侯大健は王さんの頬にビンタをし、すぐに携帯電話で留置場の人と連絡を採り、王さんを拘禁しようとした。留置場の人が来て、骨と皮ばかりにやせこけて、顔があざだらけになっている王さんを見て、自分たちが責任を負うのを嫌がり、王さんを連れずに戻った。侯大健は拘禁しないことが気に入らず、再び年寄りの王さんをけったり殴ったりした。王さんは意識不明の状態に陥った。侯大健は王さんが死んだ振りをしていると思って去っていった。昼過ぎになって、王さんは意識が回復せず、侯大健は家に帰った。ほかの警官らは責任を負うことを恐れ、王さんを公安局の外の道路に放置した。何時間過ぎたかわからないが、王さんは意識をとり戻した(侯大健は悪の報いに遭い、妻が病死し、本人は交通事故にあった)。

  2006年10月下旬のある日の夜、王さんは同修と一緒に安平油子郷のある村に大法の真相を伝えにいったが、油子郷派出所警官・王進忠、武顔トゥなどに連行された。警官は寒い室外で王さんに手錠をかけ、殴った。28日夜、安平留置場に送り、不法に15日間監禁し、200元を支払わせて釈放した。

  2008年7月、安平県公安局、派出所、鎮政府は、オリンピックの安全を口実にし、安平県の法輪功修煉者を騒がせた。安平県城関鎮前張庄村の法輪功修煉者が重点である。7月中旬からオリンピックが終わるまで、前張庄村に新しく就任した幹部・張運超、王生庫、前の幹部・張鉄圏、賈二娃と一緒に法輪功修煉者を不法監視、追跡、連行し、家を差し押さえたりした。7月19日午前、鎮の副書記・張イエ奇、孫小芳の指図の下で、王さんの家にある法輪大法に関係するものをすべて奪った。王さんを連行しようとしたが、王さんが全力で抵抗したためできなかった。

  7月23日、王さんは安平県のお祭りに行き、娘の家でお昼ご飯を食べた。その後安平城関鎮政宣村の小さな理容室で髪を切っている途中、3人の私服警官が王さんを引きずり、警官の車に乗せて連行した。

 王さんは不法監禁期間中、家族は数回面会に行ったが、警官は上からの指示で面会できないと言った。8月25日、王さんの家族が王さんの釈放金の用意で悩んでいたとき、同じ村の1人の住民が王さんはすでに労働教養を下されて8月23日に邯鄲に送られたと言った。家族らはいろんなところで聞き、王さんが1年の労働教養をうけて石家庄女子刑務所に送られたことを知った。家族は刑務所に面会に行ったが、警官は通知がないと面会できないと言い、面会を許さなかった。

  (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2008年11月15日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/11/5/189277.html