日本明慧
■印刷版   

人心を見つけるのは極めて大事である


文/黒龍江省の大法弟子

(明慧日本)一部の大法弟子は関門を乗り越える時、内へ向かって探し、一生懸命に考えて探し、たくさんの執着心を見つけたが、その関門を乗り越えられない時もある。その原因を究明すると、捨てるべき執着心がまだ見つかっていないことである。師父が私たちのために設けた全ての関門、私たちが捨てるべき執着心はただ1つではないかも知れない。しかし、その中で、きっと1つがメインのものであり、私たちが捨てなければならないものである。もし、その執着心が見つからなければ、全然それを捨てることができないであろう。ここには、悟りの問題があり、自分で気がつかないと、師父はどうやってそれを取り除いて下さるのだろうか。取り除くべき執着心を捨てないと、関門を乗り越える時、必ず停滞の現象が出てくるであろう。

  宇宙の全ての物質は別の空間で見れば、生きているものであり、命のあるものであることを私たちは知っている。執着心も例外ではない。ミクロ空間の中で、執着心もある物質的な存在形式であり、生きている生命体でもある。大法弟子が関門を乗り越える時、自分の内面と執着心を探すことはそれを解体し、消滅しようとしているので、それは抵抗するだろう。このため、別の空間に存在している人心は一生懸命にあなたの視線を移し、あなたの頭の中にいろいろな考えを打ち込もうとし、あなたの集中力を他の面に移させようとしているが、その人心がどさくさにまぎれてうまく儲け、逃げてしまうこととなる。この場合、もし修煉者は正念が足りなければ、その人心に簡単に左右されてしまい、その人心のコントロールの下で、自分の人心を探すこととなる。しかし、いくら見つかったとしても、本当に取り除くべきものが網にかからなかった魚のように漏れたのである。

  このようなことに対して、筆者自身は痛感している。この2年間、私自身とこの地区の協調人との間に、ずっと隔たりが存在していた。表面では、互いに喧嘩もせず、態度も穏やかであったが、実際に会うと自分の胸がつかえて苦しく感じていた。相手がどんなことを言っても、どんなことをしても、自分がいつも裏で相手の誤りを探していた。自分もこの状態がよくないこと、自分の人心が邪魔していることを知っていたが、一体どの人心による影響なのかは分からなかった。この2年間、私もかつて自分の内面を探したことがあり、名を求める心、闘争心、顕示心、自分のことを執着する心などを見つけた。これらの人心について大規模、小規模の法輪大法修煉体験交流会の際に曝け出したが、そのトラブルはまだ根本的に解決されていなかっただけではなく、私自身に病状が出て来て、ずっと数ヶ月も続いていて、正念を発しても利かなかったのである。ある日、『転法輪』の第七講の嫉妬心という内容を読んだ時、やっと自分の関門を乗り越える障害となった元凶・嫉妬心を見つけた。実は、今まで内に向けて探した際、かつて嫉妬心について考えたことがあるが、毎回気がついた瞬間に、次のような考えに覆われたのである。つまり、あなたは嫉妬心がありません。あなたは誰に嫉妬しているのか。彼らの能力は全部あなた以下だ、という考えである。

  今から見れば、この考えは嫉妬心によるものであることが分かった。嫉妬心が私の集中力を移し、嫉妬心自体が安全に生きていくようになった。このような現象に私たちはかなか気がつくことができず、場合によっては、自分もそう考えていたので、偽の自分を本当の自分にし、騙されたのである。これゆえに、関門がなかなか乗り越えられず、次元がなかなか突破できなかったし、場合によっては、ある学習者が低い次元へ陥ってしまい、場合によって、酷い場合はこの世を去った学習者も出て来たのである。

  このため、私たちは時間を作って、より多く法を勉強し、正念を強め、自分の内に向けて探す際に、本当の自分なのか否かをちゃんと見分けるしかない。こうすれば、法は私たちを直ちに指摘してくださり、取り除くべき人心を見つけてくださる。また、関門を乗り越える時、私たちは必ず他の修煉者の意見を聞くのも大事である。人心がいくら狡猾であっても、それはただ当事者本人に対して妨害をすることができるが、他の修煉者に対してはどうすることもできないのである。

 以上は私の次元で悟ったことなので、御慈悲でご指摘下さい。

 2008年11月15日
 
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/24/188409.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/11/2/101933.html