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われわれは最も偉大なる法に作られた生命である


文/大連の大法弟子

(明慧日本) 尊敬する師父、こんにちは! 同修たち、こんにちは!

  私は1996年に法を得ました。同修が歌った歌詞に「師父が泥の中から救い、きれいに洗い、師父がわれわれに生命を与えてくれました」とあります。私は修煉する前は病気だらけでした。大法を修煉してから体が浄化され、師父は数え切れないほど多くのものを与えてくださいました。私は法を学ぶことが少なく、悟性がついていかないまま今日に至りました。第5回大陸大法弟子修煉体験交流会への投稿を書き始めて、とても感情が高ぶっています。同修の励ましの下で、自分が歩んだ修煉の道を師父に報告いたします。

  家族に対する情の執着心から抜け出す

  2003年、連れ合いが突然亡くなり、一日中涙にくれていました。法を学べない、煉功できない、人に会いたくない・・・同修とも絶縁しました。自分の心性は常人にまで落ちたのです。師父が夢の中で何度も私に啓示してくださいましたが、結局悟れませんでした。身体にも重い病状が現れました。同修が気付かせてくれてやっと自分が情にひどく動揺させられていた事に気付きました。師と法から遠く離れていたのです。

  師父は『転法輪』の第六講で「よく考えて見てください。それはまさにあなたを苦しめるためのものではありませんか? そういう形で、あなたを楽に暮らさせないようにしているのです」と語られました。

 その通りです。常人は生、老、病、死は当然のことであり、これは宇宙の法理です。私は修煉者なのに、なぜ情に動揺されるのでしょうか? あともう少しで自分を台無しにしてしまうところでした。最後に師父の慈悲なる加護の下で、また新たに大法の修煉に入る事ができました。集団学法に参加し、同修と協力して昼も夜も真相を伝え、農村に行って資料を配りました。

  大法の不思議

  当地の若い同修はとても大変だと分かりました。彼女らは子供の面倒を見て、家事をし、仕事をし、また法を学び、煉功し、真相を伝え、資料を作る必要もあります。彼女たちはとても忙しくて、時にご飯を食べる時間がなく、眠る時間もなく、とても辛いのです。しかし私たち年配の同修の大半は家の負担が少なく、時間は若い同修より十分にあります。明慧ネットは資料センターをもっとすばらしくするようにと提唱しており、私は大法の一粒子であり、大法のためによりたくさんのことができたら、若い同修の負担を減らせるのではないかと思いました。その考えを同修に話したら、同修も賛成してくれ、若い同修の助けの下で、資料を作ることができるようになりました。60歳の小学校も卒業してない私がパソコンとプリンタの操作が出来るとは誰も思わないでしょう。

  ある時、技術に詳しい同修が他の所に行っている間にプリンタが故障しました。説明書を見ましたが、読んでも分からず、機械の仕組みも分からず、とても焦りました。他の同修は資料を受け取るのを待っています。焦りすぎて泣きたくなっていました。よく考えれば師父がおられ、法があり、解決できない問題はありません。師父に助けを求め、師父の導きのもとに順調にプリンタを修理することができました。きちんと片付いて、きれいな資料が完成したとき、言葉で表すことができないほど感動しました。

  真相資料を印刷する必要がある時、パソコンが突然起動しなくなりました。操作の手順は以前と変わらないのに、繰り返し2時間やっても起動しません。同修が以前、私に「パソコンとプリンタに問題があったら、必ず故障とは限らない、別空間の邪悪な生命の妨害の可能性がある」と話したのを思い出しました。正念を15分発しましたが効果はありませんでした。しかし大法弟子の正念は威力があることを固く信じ、またパソコンに向かって30分ぐらい正念を発し、もう一度試しました。すると奇跡的にパソコンが動いて、真相資料を印刷することが出来たのです。

  問題に遭ったら内へ向かって探すべき

  今年の年初、ひどい病状が現れ、ご飯を食べたらお腹が膨らみ、吐きたくなり、全身が痛くなりました。15分の発正念を続けられず、足を揃えないで座禅しても痛くて耐えられませんでした。その後、私たちの小さいグループの同修に正念を発することを手伝ってもらいましたが効果はありませんでした。ある同修が「病業が現れたら、内へ向かって探すべきです。自分の不足を探し当て、修めて捨てるのです。これこそ正念です」と言われました。その時、それを聞いてとても不機嫌になりました。「今こんな状態なのに、あなた達は私を手伝って正念を発してくれず、さらに私にこんなことを言うなんて・・・もし自分で原因を探し当てられたら、あなたたちに聞くわけがないでしょう」と思い、家に帰って大泣きしました。

  後になってもう一度考えてみたら、同修の言うことは正しいのです! 自分は結局どこが間違っていたのでしょうか? 師父は大法弟子が「三つのこと」を良く行う上で探すように話されましたが、私が一番よく行ってないのは正念を発することです。以前、正念を発することを重視してないため、大法弟子全体の正念で邪悪を除くことに影響するだけではなく、自分の空間場の邪悪の要素が整理されていませんでした。邪悪に弱みをつかまれ、自分が邪悪な生命と邪悪な要素の迫害に遭っただけではなく、師父の正法の進展に影響を及ぼしました。原因を探し当てた後、毎日正念を発することを堅持しました。数日後、身体の病状は消え、すべてが正常に戻りました。

  師父は多くの説法の中で、たくさん法を学び、内へ向かって修煉し、内へ向かって探すことを話されています。以前はずっと師父が言われるように行うことが出来ませんでした。この魔難を突破し「内へ向かって修煉する」ことは、自分をよく修煉する上で重要であることが十分に分かりました。今は分かりました。師父の言われるように行えば、突破できない難関はありません。私はまだたくさんの執着心を捨てていません。しかし、今後の修煉の中でこれらの執着心を捨てようと決心しました。師父に一枚でも多く合格用紙を渡し、早く師父と家に帰りたいです。

 (明慧ネット第5回中国大陸大法弟子修煉心得交流会原稿)

  2008年11月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/11/9/188149.html