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成都市:廖永誼さんは迫害され、冤罪を晴らせないまま死亡

(明慧日本)四川省成都市の法輪功修煉者・廖永誼さん(66)は、身長140センチの小柄な老婦人だったが、中国共産党員に長期にわたり深刻に迫害され、2008年9月に冤罪が晴れないまま死亡した。

 廖永誼さんは、成都市の高新区、興蓉西巷の3号院に住んでいた。法輪功を修煉する前は糖尿病など多くの疾病を患っていたが、1997年に法輪大法を修煉してから、体が浄化され、道徳が向上し、精神的にとても良くなった。歩くときは全身軽くなり、彼女の身内たちはそれを目にして喜び、いつも彼女によく修煉するように励ましていた。

 1999年7.20、中国共産党の江沢民集団は不法に法輪功に対する迫害や中傷を始めた。このため、廖さんは、法輪功はすばらしいと実証すべきだと思い、1999年11月に北京に陳情に行った。しかし、北京の警官に不法に捕まえられて拘禁され、現地の派出所で15日拘留され、不法に成都九如村の留置場で拘禁された。汚くてしめっており、暗くて狭い部屋の中で、廖さんはいつも殴られたり罵られたりし、食べものは泥が付いた焼きジャガイモ、生煮え飯しかなくお腹をすかせていた。また毎日立つことを強制され、戸外で寒い夜を過ごすなど、非人道的な扱いをされ、いわれない迫害を受けた。

 人々に法輪功修煉者が迫害された真相を知らせ、人々の良知を呼び覚まそうと、自分の安否も顧みず街を回り、晴雨に関わらず、酷暑でも厳冬でも、人々に真相を伝えた。2005年3月、成都などの国安スパイに写真を撮られ、彼らは卑劣にも追跡していたため、廖さんは居場所を知られた。中共の国安スパイは肖家河派出所、事務所、興蓉コミュニティの住民委員会と結託して深夜に侵入した。警官らは、半身不随で床についている夫を無視して、不法に家財を差し押さえ、法輪功の書籍、ラジカセ、録音テープを略奪した。その後、廖さんは連行され、不法にヒ県で第1留置場に拘禁された。

 30日間も不法に拘禁されていた間、廖さんは刑務所の中の警官などに苦しめられて、体が衰弱し、視力が急速に下がり、全身の皮膚に赤いしこりが現れ、かゆくてたまらなくなった。

 2005年に不法に拘禁され、廖さんは家に帰った後、興蓉コミュニティが雇った人に寄り合い住宅の入り口で監視された。廖さんがゲートを出ることを許さず、生活上の差し迫った必要品さえ外出して手に入れることは許されなかったため、生活は困難を極めた。廖さんは善意をもって監視員に真相を伝え、庭の中で隣近所の人達にも伝えた。 

 2007年新年を過ぎて、廖さんが人々に真相を伝えたとき、真相を知らない人に告発され、追跡されて、再度ヒ県成都市第1留置場に連行され、50日間拘禁された。迫害された50日の間に、廖さんは目がほとんど見えなくなり、1メートル以内に人が来てもはっきりと見えず、音を頼って聞き分けることしかできなくなり、黒髪が白髪になり、大変痩せこけ、立つことも困難になった。廖さんに人身事故が起こったとき、留置場は責任を負うことを恐れ、家族に彼女を迎えに来るよう知らせた。

 2008年初め、中国共産党員は廖さんが隣近所の人に真相を伝えることを恐れて、マンションの入り口に監視塔を設置し、毎日午前8時から夜10時まで、マンションの扉から出ることを許さず、時々上へあがって廖さんの玄関を突然たたき、「何をしているんだ?」と大声で騒ぎ立てた。最初は、昼間に3回ほど来たが、後には4回になり、5、6回まで増えた。このような極めて強い圧力の下、廖さんはだんだんと痩せてしまった。とても慈悲深くて優しく、他の人に面倒をかけず、いつも他人のことを考えていた廖さんは、2008年9月に冤罪が晴れないままこの世を去った。

  (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2008年11月18日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/11/16/189773.html