日本明慧
■印刷版   

平穏の中で修煉し大法を実証する(一)


文/山東省イ坊の大法弟子

(明慧日本)尊敬なる師父、同修の皆さんこんにちは。1995年、ある友人が私の家に来時、彼女から一冊の『転法輪』をもらいました。夫がまず見て、非常に良い本だ、本に書かれているものはすべて真理だと言ったのを聞いて、私も読んでみました。その後、夫は極力、私に薦めてくれたのですが私は気にとめず、夫が学べばいいと思っていました(それ以降、夫はあまり精進しませんでした)。そのうち、このことを忘れてしまいました。

 1999年2月、もう少しで中国の旧正月になります。私は子供を連れて友人(大法弟子)のところへ遊びに行きました。子供が眠った後、友人は私に、師父の説法ビデオを放映してくれました。聞けば聞くほどどんどん聞きたくなり、師父の話はなんと理があるのかと思い、師父は普通の人ではないと感じました。すべての説法を聞き終わると、子供がちょうど起きました。それは、師父が私に法を得させてくださったのだと思いました。友人は、私がそれほど気に入ったのを見て、説法を見るのと『転法輪』を読むのは同じ効果があると教えてくれました。私は家に帰ってから、数年前にもらった『転法輪』を探して読み始めました。

 最初の半年、私は家に閉じこもってただ本を読み、煉功しませんでした。友人は、学法だけで煉功しないと本体を改善できないと教えてくれました。そこで、『大円満法』という功法を教える本をもらって自分で動作を学び、友人に正しくないところを正してもらいました。子供がまだ小さかったのでずっと煉功場には行きませんでした。

 1999年6月、私達の地区の煉功場は、中国共産党の妨害と破壊に遭いました。非常に勢いの強い迫害の前兆を見て、私は非常に焦りました。私は大法の一員であり、さらに自分の力もあるので、この力を発揮すべきだという純粋な一念があったため、私は朝の煉功に参加するようになりました。

 二回目に煉功場に行ったとき、抱輪の動作をしていると、師父は私の天目を開いてくださいました。その場にいたすべての大法弟子は皆、金色に輝いて非常にまばゆいものでした。私は、これは師父の励ましだと思いました。また数日後に煉功場に行くと、乗って行った自転車が警官らに没収されました。最初、私はもういらない、修煉者は捨てることを強調するのではないか、と思いました。しかし、考えてみれば、どうして自分の物を他人に取られてよいのか、他人が悪いことをするのは野放しにしているのではないかと思い、私はその場で自転車を奪おうとする人から取り戻しました。当時はまだ、旧勢力の迫害を否定するなどとは考えず、ただ取り戻すべきだと考えました。また、集団で煉功する際、妨害しようとしている者達が近くで大音量の音楽を流していました。その音楽は「いつも家に帰って見てみよう」という歌でした。私は、家に戻るのであればもうここには戻りたくないと思っていると、涙が出てきました。

 煉功場で煉功するようになってからわずか29日後、1999年7.20になり、中国共産党による中国全土にわたる法輪功への残酷な迫害が始まりました。法輪功を始めたばかりの私は、皆で一緒に煉功する環境を失い、見るもの聞くことはすべて、大法に対する誹謗中傷ばかりでした。私は、自分が大法の一員であるなら大法を擁護すべてきであり、事実を正し、大法が正しいことを実証すべきだと思います。

 2000年、同修が法輪功の真相資料を配布しているのを見て、私も同修の家に資料をもらいに行きました。私は新しい修煉者のため、同修は心配をして資料をくれませんでした。しかし、私はどうしてもやりたかったので、「どうか資料をください。私は気をつけます。配り終わったらまたここへ戻って来ますから」と言いました。当時、これは衆生を救い済度することだと悟っておらず、ただ大法を実証したいと思っていました。それ以降、真相資料を配布し、特に2001年から2002年の間、3日に1回は同修の家に資料をもらいに行き、ほぼ毎日資料を配布していました。一度も途絶えることはありませんでした。それから、何人もの同修が私は痩せたと言い、私は初めて自分が痩せたことに気づきました。私は、この状態は良くないと気づき、これは旧勢力の大法弟子に対する妨害ではないかと思い始めてすぐに、体重が元に戻り、資料配布もますます順調にできるようになりました。

 ある日の午前4時ごろ、大法のポスターを貼るため外に出かけました。貼ってから家に戻って煉功しようと走っていたのですが、奇跡的にも両足が地面に触れていないかのようで、風の音が耳に聞こえているだけで、まるで飛んでいるように早かったのです。不思議に思っているうちに家に着き、煉功できました。

 ある日の夜、私は息子を連れて真相資料を配布しに行きました。ある住宅地に行って真相ポスターをずっと貼り付けていました。息子はその時に寝ていました。息子は5歳ですがとても太っていて、子供が寝てしまうと、両手がとても疲れているのに家まで抱いて帰るのは大変だと思いました。しかし、再び考えてみると、この程度の苦はなんだろう、衆生を救い済度するのにいくら苦しくても構わないと思い、息子を抱いて家に帰りました。すると非常に軽々しく感じ、簡単に家に戻れたことは本当に予想外でした。

 私は心の中から、師父の大法弟子に対する慈悲なるご加持に感謝しています。これは法の威力によるものだと知っています。実際、私達の心性が、法の私達に対する要求に達することができれば、大法の奇跡が体現されます。以下は、何例か順調に関を乗り越えた奇跡的な体験を書き出し、皆さんと交流したいと思います。

 法を得た当初、ある日、魚を食べていたとき不注意にも骨が喉にささってしまいました。非常に痛くなり、最初は人間の考えをもって、マントウ(蒸しパン)をたくさん口に入れて水を飲み、骨を一緒に飲み込もうと考えました。しかし失敗に終わりました。その後、「私は修煉者だ。魚の骨はそこにいなさい。私は恐れない」と思った瞬間、魚の骨が自然に取れて私の舌の先端まで跳んできました。これは本当に大法の奇跡です。

 またある時、発正念をしていると突然、どうしても咳が止まらなくなりました。これは邪悪による妨害のため、これを取り除かなければならないと思い、「私は神である、私を侮辱するな」と思った瞬間、咳がただちに止まりました。

 またある時は、女性性器が痛くなり、家に帰る途中に自転車すら乗れなくなるほど痛くなりました。少し座って休もうと思いましたが、「私は大法弟子だ。このような形で人に見せてはならない。痛みは良いことであり、痛みとは人間から神に向かう過程だ」と思うと、心性が基準に達したことで、痛みもすぐに消えました。

 2006年ある日の朝早く、ベッドから起きるとただちに激しいめまいを感じました。家族は、私の顔色が良くないと言いました。私は外に出て吐き出したくなりました。そこで「少し吐き出してもれば良くなるだろう」と思いました。その瞬間、どうやらこの考えが正しくなかったため、良くならないどころがどんどん吐きたくなり、午前10時までずっと吐き続けました。そして、「どうして吐けば良くなると考えたのだろう。師父と大法を信じれば良くなるべきだと思うべきだった」と考えた瞬間、嘔吐が止まり、めまいもなくなりました。

 実は修煉の中で、このような奇跡的な出来事は数え切れないほどあり、以上に挙げたのはわずか数例に過ぎません。

 (続く)

 (明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 2008年11月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/11/10/189014.html