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「常人社会の状態に合わせて修煉する」ことについて


文/大陸の大法弟子 史秀

(明慧日本)職場の同僚はよく私に無駄話をしにきます。家庭内のトラブルやら、同僚間の嫉妬やぶつかり合いなど・・私は聞きたくありませんが、どうしたらよいのかわかりませんでした。同僚はまた私に自分と彼氏との恋愛過程を話し始めました。その日、私は聞きたくありませんでしたが、我慢して聞きながら、時には自分の意見を言ったりもしました。しかもこれを常人社会の状態に合わせたやり方だと思っていました。しかしそのとき、会社のウォーターボックスが水漏れを起こしました。またその夜、学法しているときに色欲の思想業力の妨害が現れました。この時点でもまだこれは旧勢力が常人を利用して私を妨害していることに気が付きませんでした。

  その後、以前知り合った同修が来て、彼女もまた自分と常人との間の出来ごとを口うるさく言うのです。よい仕事が見つかったとか、家庭内のトラブルだとか、彼氏との関係の話などです。私は彼女に「内に向かって探すように」と注意しましたが、彼女は全く気に留めることなく、延々と常人の話を続けるのです。この時も私は常人社会の状態に合わせないといけないと思い、我慢して聞いていました。しかしその後頭が張って、とても苦しくなり、心も浮つき、『転法輪』を読んでも何の法理も見えてこないのです。この時初めてこれはおかしいと気が付きました。内に向かって探してみると、自分が「最大限に常人社会の状態に合わせて修煉する」という法に対する理解が間違っていることに気が付きました。 

 師父は、私たちに最大限に常人社会に合わせて修煉するように要求されていますが、私は常人の執着に合わせることを常人社会に合わせることだと間違って認識していました。師父は常人社会の状態を破壊してはいけないとおっしゃいましたが、それは決して常人の執着に合わせるということではないのです。当時私は会社に勤めておりましたので、自分の仕事をきちんとこなすことが最大限に常人社会に合わせることであり、常人の無駄話に付き合うのは自分の執着に対する放任であり、修煉者としての要求に合わないのです。常人の執着に如何に対処するかという問題について、師父は常人の執着に沿って真相を伝えるという法理を説かれたことがあります。これは師父がこれらの迷いの中にいる生命を済度するための最大の慈悲ですが、しかしそれ以外では決して常人の執着に熱中してはいけないのです。

 この法理について正しく理解できていないため、一部の同修(私自身も含む)は言っていることが過激で、中国国内のことになると、嫌いだと見くびり、中国はこれもだめ、あれもだめと言うので、その結果常人は「法輪功は国を愛していない」などと言うのです。しかも国内の不祥事を論じるときは修煉者の衆生済度の立場を忘れてしまうのです。たとえばこの間の三鹿粉ミルク事件もそうですが、決してこの事件を口にしてはいけないのではありません。この事件を例に挙げる時の基点は何でしょうか? 常人の執着に沿って真相を伝え、中共悪党の悪を暴露し衆生を救うためなのか、それともこれらの不祥事が悪党に対する個人の「憎しみ」に符合したことでしょうか。前者の基点は正しく、後者の基点は間違っているのです。

  内に向かって探してみると、実は私たちは感情的になっていたのです。私たちは大法の修煉者であり、慈悲に満ちているはずです。どうして共産悪党の党文化によって変異した「憤怒青年」のように理性を失うのでしょうか? 中共悪党はもちろん悪いのです。滅亡も必然です。しかし我々はそれらの邪悪な振る舞いに執着してはならず、それに対する怒りを発散してはいけないのです。悪党の悪事を取り上げるのは真相を伝えるためであり、ただ単にこれらのニュースにこだわり、不満を発散するために取り上げるのであればそれは間違っています。この問題を取り上げるのは同修の皆さんと交流し、もっと多くの衆生をすくい済度するためでもあるのです。

  2008年11月18日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/11/17/189900.html