大法の中で慈悲を修める(一)
文/中国大陸の大法弟子 淑慧
(明慧日本)偉大なる師父、こんにちは! 同修たち、こんにちは!
私は、正法時期の大法弟子であることをとても光栄に思います。私の12年の修煉は、師父の慈悲なる済度とご加護の下で今日まで歩んできました。自分の責任と使命は、しっかりと修めて衆生を救い済度し、師に随って法を正すことだと深く感じました。
特にこの9年来の正法修煉の中で、先史に誓った約束——師に随って法を正すことをやり遂げるためには、必ず慈悲の心をもたなければなりません。慈悲の心は強制的に出せるものではなく、さらに装うことでもありません。少しずつ大法の中で修煉するものだと分かりました。必ず一心に学法をして、細心に法の内包を体得し、大法に照らして自分の不足を探し出し、大法の要求に合うようにしなければなりません。日常の仕事と生活の中で、「人」からを抜け出して、無私無我で、他人を優先する広大な心をもって人に接し、私達の立ち居振舞いの中から常人は失った心を感じ、彼らは確実に我々法輪大法修煉者が本当に高尚な人間だと分かります。私達の強大な慈悲の正念の場の中で、彼らは心の奥底から敬服し、信頼するようになり、私達が彼らを救い済度することのよい助けとなります。
一、同修に関心を持つ
修煉の中の、正法と同修と関係のあることに対して、私は心を尽くして純粋な心を持って、修煉者の慈悲の心を表します。師父の「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」(『2002年ワシントンDC法会での説法』)をしっかりと覚え、家族のなかで修煉していない人に対して慈悲をもって接し、彼らに大法弟子の尊厳を感じさせるべきだと悟りました。
ある若い同修の夫は、どうしても夫婦の感情が不和だと思い込み、断固として離婚しようとしていました。同修は何度も夫と交流しましたが、しかし彼はすべて取り合いませんでした。同修は、私は法理をもって彼と交流し、彼も大法を学習したことがあるのになぜ通じないのかと不思議がり、だんだんエスカレートして、相手は固く決心をして、絶対に離婚すると言いました。双方の両親も仲裁しましたが、聞きませんでした。夫が裁判所からの召喚状を送ってきました。同修はどうしようもないと考えました。法に照らして、自分は一体とこが違っているのか、同修と何度も交流しました。表面上では夫も大法を読んだことがあるのですが、彼女は法理で彼を説得しているように見えますが、内心では大法の法理をもって彼を制約しており、この不純な心を彼が感じたのです。私達はいかなる事をするときも慈悲の心をもって彼を思いやるべきで、彼を愛護し、理解し、彼の立場に立ってあげるべきです。もしあなたが内心から慈悲に彼に対し、大法の要求に照らして内に向かって探し、自分の不足を探し出して直し、誠意を持って彼と交流すればきっと変わるはずで、師父は間違いなくあなたを助けるでしょう。くれぐれも大法の中に入ろうとする人を押し出し、くれぐれも旧勢力が望むような事をしないでください。そしてよく学法、発正念をしてください、と同修に伝えました。
何度も交流しましたが、この同修はどうしても慈悲を修めることができませんでした。しかし急に「私は慈悲を悟った」と語りました。今、家族はとても幸せで、皆修煉の仲間に入り、その上、彼女の夫は積極的に大法を実証して、縁がある人を救い済度しています。
修煉の中で、私達は世間の人に善意に対応し、彼らに大法のすばらしさを伝え、大法弟子の優しさを理解させるべきです。師父は「大法弟子よ、皆さんは濁世に輝く金の光であり、世の人々の希望であり、師に手伝う大法徒であり、未来の法王なのです。精進しましょう、世の中の覚者たち、現在のすべては、未来の輝きとなります! 」(『祝辞』)と慈悲に激励されています。師父は私達にこんなに高い評価と栄光を与えくださり、私達に期待しておられるのに、自分はまだまだ足りないと思っています。しかし、私はもっと精進して師父に心配をかけることのないようしっかり行います! しっかり行い、もっと良く精進します!
二、家族と同僚に善をもって接する
ある偶然の機会に、私は下の部門から管理機関に転職しました。ここはかつて比較的に酷く大法弟子を迫害していたところでした。どうして私をここに按排するのでしょうか? これは師父が私をここで人を救い済度させるためだと思いました。私は修煉の最初から、師父が常に私の側にいらっしゃると感じています。ここに来る以上、私は正法修煉の道を歩み、縁がある人を救い済度し、師父の按排を裏切らないようにすべきです。
どのようにしてこれらの悪党にだまされた世間の人に分からせるのでしょうか? 私はまず、仕事を勤勉にやり、寛容で善意をもって人を接し、至る所で他人のために考慮し、立ち居振舞いは適切で気前が良く、彼らに信頼、敬服させ、だんだんと「真善忍」を種のように彼らの心に広げました。彼らは法輪大法の威力に感動しました。彼らは我々の師父に対する固くて揺るぎない心に打たれました。同僚の中の4人が『転法輪』を読んだことがあり、自分が脱党するだけでなく、家族も一緒に脱党しました。もっと私が感動したのは、彼らは共産党が没収した大法書籍、録音テープ、ビデオテープを見付けたらすべて保存して、ひっそりと私に渡してくれるのです。私は本当に彼らが目覚めたことを喜び、彼らが大法の機縁を大切にすることに感動しています。彼らはついに救われました。師父は慈悲深いのです。
法輪大法は円容であり、私達が家族と付き合う中でも円容するべきです。これは毎日接触する修煉の環境だからです。学法を通じて、家族に対してはさらに慈悲に接するべきで、彼らは私達の最も親しい人だからと分かりました。なぜ今、この大家族に出会ったか、それは前世の前世に私達がすべて願いを発し、我々が大法をあまねく伝える時期に縁をつなぐと決めたからです。日常生活の中で、大法の事はとても忙しいのですが、しかし私はできるだけ多忙中も時間をつくって彼らの世話をします。もし時間がなかったら私は言葉で彼らと話し合って彼らの理解と支持をもらいます。くれぐれも大法の事のために彼らを放っておき、私たちがあまりに私心が強く、自分のことばかり考えて他のことに無関心だと考えさせないでください。さもなければ、だんだんと彼らは疎遠になって、あなたを嫌いになり、さらに彼らに真相を説明する時に障害が生じます。だから、私は家庭のことをなるべく円容しています。私の度胸、寛容、善良が彼らの信頼、尊重を博していたため、彼らは皆、法輪大法は良いものだと知り、ほとんどが脱党し、一部の人はまた大法の修煉に入りました。ある人は大法の本を読んだ事があり、危ない時に師父に加護されたこともありました。
世間の人に慈悲をもって接することは、根本的に彼らに法輪大法が良いと知らせることで、早く脱党するのです。師父は「大法弟子はさらによく真相を伝え、世の人々と衆生を救うことをしっかり行うべきです。最後になればなるほど、緩めてはならず、最後になればなるほど、法をさらによく勉強し、正念を充分に持たなければなりません」(『カナダ法会へ』)と言われたので、師父の言われる通りに行い、ずれてはいけません。私達は数千年来、どれだけの輪廻を経たことでしょう。「万古の苦しみはただ今回のためである」(『志退かず』)。私は真剣に、かつて接した縁のある人を思い出し、名簿を作って、なるべく彼らに連絡し、各種の方法で彼らと接触します。苦労して、金銭を費やしても構わず、全身全霊で彼らを救い済度します。この心が真にあれば、多くの場合は師父が縁のある人を連れて来られるのです。
(続く)
(明慧ネット第5回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)
2008年11月19日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/11/11/187798.html)
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