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平穏の中で修煉し大法を実証する(三)


文/山東省イ坊の大法弟子

(明慧日本)大法を修煉してから、私は「真善忍」を基準として己を修め、社会においても家庭においても決して自分をゆるがせにせず、「真善忍」を実行できて初めて師父と大法を守ることができると思っていました。本当に実行できれば、師父は「柳暗花明又一村」だとおっしゃいました。なぜならば、私達が法の基準に従って行えば、法がすべてを変える力があるからです。特に家庭で、多くの同修は自分が本当にやるべきことを忘れ、家族の情に執着し、家族を衆生として対処することができず、家族に真相を伝え法を実証することができなかったがゆえに、自分の修煉に妨害を作ってしまいました。

 中国共産党が法輪功を弾圧するようになってから、元々私の修煉を支持していた家族は、皆圧力のため、私に修煉しないように言ってきました。私は心を堅くして、「家族の中では確かにあなた達がいつも物事を決めてきたのですが、修煉に関して私は自分自身で決めなければならず、誰も私を止めることはできません。形勢がどのように変わろうと、私の心を揺るがすことはできません」と思いました。しかし家族は、私の周りの同修が迫害を受けて殺されたのを見て恐怖を感じ、ますます私が修煉することを反対するようになりました。そこで私は、人はいずれ死がおとずれる、命を大法と師父に捧げるのならば師父の按配に従おう、と思いました。

 最初、私は面と向かって家族に真相を伝えようとしませんでした。心の中で、彼らに言うと争いごとのようになると思っていました。生活面で彼らに関心を寄せるようにして、何事においてもがまん強くし、常に大法弟子の心構えを見せることで彼らの考えを変えようとしました。なぜなら、普段の現れが真相を伝える絶好のチャンスとなるからです。あるとき、夫が夫の父に高級なタバコを買ったとき、私は彼に、良くないものを買ったと言いました。しかも心の中で非常に不平等に感じていました。「夫の父にこんなに高い物を買うなんて、私の父にも買ったことがないのに」と思い、言う言葉も不自然になっていました。夫は機嫌が悪くなりました。しかし、私はそのとき、嫉妬心と利益を求める心があったからこのように言ってしまったのではないか、これは大法弟子のやるべきことだろうか、と気づいた私はただちに、夫に「このことは私が間違っていました。大法の要求に従えませんでした。許してください」と言いました。

 天安門焼身自殺事件が起きてから、私は家族にはっきり真相を伝えるべきだと感じるようになり、彼らも救われるべき衆生ではないかと思うようになりました。家族もだんだんと私の話を聞くようになり、特に焼身自殺事件の真相を知るようになってから、家族も私の代わりに周囲に真相を伝えるようになりました。

 ある日、突然夫が私を疑って、「家計の収入と支出が合わない、おまえは法輪功に寄付しているのか」と言いました。最初、私は実情を隠そうとしましたが、考えてみればなぜ隠すのでしょうか、夫に怒られるのを恐れているのでしょうか。ならば、これは自分が傷つかないように自分自身を守っていることになるのではないでしょうか。しかも正々堂々と、自分の収入をもって大法を実証することに何の間違いがあるのでしょうか。そう思って、夫にはっきりと伝えるべきだと考えました。そこでほほ笑みながら「考えてみてください。修煉しない常人は、毎年何度病院に行くことでしょう。どれほどの薬のためにお金をかけることでしょう。私は修煉するようになってから体が丈夫になり、薬を飲んだり注射をしたりする必要もなく、毎日節約する日々を過ごしていて、どれだけのお金を節約できたことでしょう。私は節約できたお金の一部だけを使って人々に真相を伝えていますので、これは善行ではありませんか。安心してください。修煉者は師父の要求通りに行なっていますので、どこでも良い人です。家でも決してお金をみだりに使ったりしませんし、家庭の事もしっかりやります。もし安心できなければ、あなたの給料は自分で管理して、毎月の支出は私の収入だけで十分です」と誠心誠意話しました。夫は話を聞いてから理解するようになり、それ以降お金に関して聞くことは一度もありませんでした。

 たえず真相を伝えることで家族も少しずつ分かるようになってきました。ある日、私の幼い息子は、私と一緒に真相を伝えていたときに病気になり、熱が出ました。私はふだん、子供に薬を飲ませませんでした。しかも子供はまた、法を実証し、真相を伝えていました。夫は私のやり方を見て理解できず、私を罵りました。夫が罵るのを見て、私は心を動かしませんでした。子供は熱を出すたび、出てもすぐに良くなっていました。このようなことがよくあったので、夫も気づき、大法の奇跡を見てそれ以上何も言わなくなりました。

 2001年春のある夜、夫は心臓が痛くなり、病院に行こうとしました。そこで私は「どうか、法輪大法はすばらしいと唱えてみてください。もし良くなれば病院に行くこともありません」と言いました。しかし夫はどうしても行こうとふんばりました。私は、病院に行く途中でもいいので、法輪大法はすばらしいと唱えるように言いました。結局、病院に着いてから検査をしてもよく分からず、夫は安心できず、再び心臓病の専門の病院に行き、すべての設備を使って徹底的に検査をしましたが、何の結果も出ませんでした。その後、院長からも「あなたは本当に体が丈夫ですね」と言われました。家に帰ってから、夫は大法を信じるようになりました。それ以降、夫はもはや薬を飲むこともなく、病院に行くこともなくなりました。

 ある時、私達の町の資料点で、数人の同修が私の家に来ました。私は食事をしていた時で、半分まで食べたところで同修を家に招き入れました。テーブルを置いて料理を持って行きました。今日は肉を買っていたので、私は小さい声で夫に「もう食べたでしょう。この肉料理を同修たちに持って行っていいですか」と聞くと、夫は「まだ十分に食べていない」と言ったので、そのままにしました。

 同修が家を去ってから、夫の心の狭さを指摘せず、ただ夫に一つの物語を話しました。昔、ある修煉する者が歩いて非常に疲れていたところ、ちょうどある農家に通りかかりました。婦人が庭で梨を取っていました。修煉する者は婦人に、梨をいただけないかと聞きました。婦人はかごから一番大きな梨を取り出し、敬意を払って修煉する者に渡し、「早くお食べになってください。おばあさんに見つかっては大変です」と言いました。善行のため、婦人にはその後大きな福がもたらされました。夫は話を聞いてから、同修が家に来るときは積極的に肉を買って、同修に肉料理をふるまいました。

 『共産党についての九つの論評(九評)』が発表されてから、私達は積極的に『九評』の作成の仕事に入るようになりました。夫は『九評』について理解できませんでした。私は夫に、江沢民が法輪功を迫害している罪について説明し、共産党の罪について説明しました。夫は理解できず、ひいては私を殴ろうとしてきました。しかし、私は動揺することなく、常に落ち着いて夫に真相を説明しました。その後、夫は理解してくれ、脱党にも応じてくれました。最終的に私たちが『九評』を作成することも手伝ってくれました。ある日、急いで『九評』を作成する必要があり、皆で急いで作っていました。それから皆は疲れて寝てしまいましたが、夫は一人で夜中までずっと作成し、なんとか間に合いました。このようにして2007年6月、夫も大法弟子となりました。

 日常生活の中で、私たちは変わりました。家族も変わりました。私たちが「真、善、忍」の基準にしたがって行なえば、法が必ずすべてを変えてくれます。大法の威力が体現されます。

 師父と同修に感謝します。適切でないところはご指摘をお願いします。

 (完)

 (明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 2008年11月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/11/10/189014.html