法を用いて自分の修煉を指導する(三)
(明慧日本)
三、無条件に内へ向かって探すことは修煉の宝物
正法時期の大法弟子は、常人のこの複雑な環境下で法を実証し、衆生を救い済度しています。われわれの法門は人の心を直接指して修煉し、常人や同修との間で発生した一つ一つの出来事に偶然なものはなく、師父があなたの修めて捨てなければならない心を按排され、私たちの心性を向上させるために起こったものです。師父が私たちに内へ向かって探すようにと言われたことは一つの天機であり、無条件に内へ向かって探すことは修煉の宝物なのです。
(一)他人が間違ったら内へ向かって探す
数カ月前、私と同修は、不法に実刑を言い渡されて満期になった1人の同修を迎えに行き、「610弁公室」の人ともめ合いました。同修の親戚が心配し、私に「首を突っ込まないで、あなたに関係ない、あなたを知らない」と言いました。そのとき人情、道理をよくわきまえていないと思いましたが気にせず、みんなの協力の下で、同修を家に連れ帰りました。この出来事は表面的に他人の間違いのように見えますが、必ず私の修煉する要素があります。内へ向かって探し、自分にとても深く隠れている恐怖心があることを探し当てました。はっきり言えば私心です。同修が不法に数年間拘禁されていた間、彼女の家族をあまり心配しませんでした。少し手伝うことは協調人と他人を通じてできましたが、面倒なことを嫌い、自分を守る心は私心ではなかったでしょうか? 彼女の親戚が「あなたに関係ない、あなたを知らない」と言ったのは正しいのではないかと、自分が良く修めてないことを後悔しました。
(二)他人の欠点を発見したら内へ向かって探す
ある年配の同修は私のここが悪い、あそこが悪いと言いました。私は、彼女は言い過ぎだと思いましたが、とても強い嫉妬心がありました。あるとき彼女が言ったことを聞いてかなり怒り、彼女に向かって「そうです、そうですよ、あなたは年を取っているし何もできないでしょう」と言いました。彼女に嫉妬心があると指摘したつもりでした。なぜこの出来事に遭ったのでしょうか。師父は弟子に内へ向かって探すよう言われており、自分に嫉妬心があるのではないかと思いましたが、しばらくの間は探し出せませんでした。自分が普段背を向けて人と論議しない、対立することがあまりないことが原因でした。だから探し出すことが難しかったのです。
宴会の席で、退職して何年もたつので、仕事場の同僚と一緒にとても熱く語り、家庭での日常の出来事をとても楽しく話していました。ある人が「数年前に息子に買った家は、とてもよい、当時一平方メートル2000元で買ったが、今は8000元になった」と言い、ある人は「2年前に娘に買った家は面積が130平方メートルで、現在は3、4倍の値段だ」と話していました。これを聞いて面白くありませんでした。なぜなら、最近娘に買った家は、一平方メートル4000元、78平方メートルで、工事などを含めて38万元になる中古物件でした。
家に帰って数日法を学んでも落ち着かず、ほかの事をやる気がしませんでした。自分のため、利のための私心に妨害され、とても苦しみました。大法の徒は正法のため、衆生のためにこの世に数日泊まって帰るだけだということも分かっています。常人にあるものを欲しがらず、私たちが持っているものは常人が欲しくても手に入らないのに、なぜこんなに苦しむのでしょうか? 師父は「他人によいことがあったら、その人のために喜ぶどころか、自分の心のバランスがとれなくなります」(『転法輪』)と言われました。このときやっと自分のその強烈な嫉妬心を探し当てることができました。嫉妬心はとても危険で、嫉妬心を捨てなければ正果が得られません。師父のご加護の下でこの花崗岩のような物質をやっと捨て、その心を放棄し、振り返って宴会を考えて見たらどうということはありませんでした。
(三)他人が他人のことを言うのを聞いたら、内へ向かって探す
先月、1人の同修が私の所に来て、「用事があるので、手伝ってくれませんか?」と言いました。聞いてみたら、ある同修とその夫が長期間もめていて、2人はずっと意地をはり続けているというのです。「なぜ彼女と相談しないの?」と聞くと、「相談したが、彼女は自分を修煉者として見ておらず、夫の前では常人になり、彼女は結婚した後ずっと夫を愛していないと言いましたが、彼女の夫は良い人です」と言いました。この話を聞いて驚きましたが、これは私のことを言っているに違いないと思いました。私と夫は結婚して28年になり、表面的に見ればまだ良いほうですが、心の中では良い夫だとは思っていませんでした。どんなことでも私にやらせて、彼と一緒に過ごすことはとても辛く、世話が焼け、疲れて引き合わないのです。彼の前では修煉はどうであれ、彼に対して何か不満があるとただちに制圧していました。実際、彼は悪くない人です、師父が同修の口を借りて私を指摘してくださったことが分かりました。二度と師父に心配をかけないと思い、どんなことでも自分を修煉者とみなすと、夫を見て心が落ち着いてきました。夫が『転法輪』をくれて大法の門に入らせてくれたことに感謝しました。その後、邪悪が大法を迫害しましたが、彼は私の修煉をずっと支持し、1人の常人として、この生命は十分です。彼はできない男ではなく、私が自分を修煉者として見なしていなかったのです。
尊敬する師父、慈悲なる同修、正法の中で私の歩んだ道はまだ輝かしくありません。衆生を救い済度することを師父にご報告するのはとても恥ずかしいことです。精進している同修に比べて距離は程遠いのですが、私はこの万古の機縁を大切にし、師父が弟子に交流の機会を与えてくださったことに感謝します。師と法を信じることは師父と一緒にいることで、師父が私にくださったものはすべて最もすばらしいものです。心配しないでください、最後の道を必ず堅実に歩んでいきます。
(完)
(明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)
2008年11月20日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/11/7/188624.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
|
|