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修煉の中で家庭との関係を正しく扱う(一)


文/河北省の大法弟子

(明慧日本)

 尊敬する師父、こんにちは!同修のみなさん、こんにちは!

 私は1995年に法を得ました。13年の修煉の中で、大法は私を人間の苦痛から救い出し、私を法を正す時期の大法弟子という全宇宙の中で皆が羨む生命にしてくれました。師父は「大法は常人社会で最大限に常人社会にあわせながら修煉するという修煉形式を切り開きました。これに対して、多くの人はこれが修煉を易しくするため、便利にするためのものだと思っていますが、精進している学習者はこのように理解してはいません。これは大法弟子が修煉の中で必ず歩まなければならない道なのです。ですから、皆さんが行なったすべてのことは、常人の中で、家庭関係、社会での関係を正しく扱うこと、職場や社会での行動でさえ、簡単にいい加減にしていいことではありません。このすべてはあなたの修煉形式であり、厳粛なことなのです。」(『2006年カナダ説法』)と説かれました。私は家庭の修煉環境の中で、この部分の説法に対して、とても深く悟った体験があり、皆さんと交流したいと思います。

 家庭の修煉環境を円容する中で、法に同化し、衆生を救い済度する

 師父は「最終的に歩み終わったら、師父が皆さんのために按排したこの道を、皆さんはどのように歩んできたのでしょうか? このすべては最後に、見ないといけません。修煉過程の中のこのすべても見なければなりません。ですから、いかなることも軽視してはいけません。便利と言うなら、人間は出家せずに修煉でき、山奥に行く必要もなく、世俗から離れる必要がなくなりましたが、もう一面から言えば、このすべてによって、別の困難がもたらされました。つまり、すべてのことをしっかり行わなければならず、いかなることもしっかり行ってはじめて、抜け出すことができるのです。」(『2006年カナダ説法』)と説かれました。

 私が大法修煉を始めた根本的な執着は、家庭のトラブルを避けるためでした。なぜなら、私は現実生活を超脱することを夢見ていて、一般的、俗っぽい愛情を超脱することを夢見ていたからです。結婚後、幻想の中から現実に戻り、その苦しさは言葉で現せないものでした。私は性格が比較的に明るく、おおらかで人情や道理が分かり、何が起きても楽観的に考えられる人で、皆は私を男性的な性格だと言っていました。結婚後、なんと夫の性格は私と正反対で、彼は逆に女性らしいことに気付きました。私はとても悩み、自分の夫が思い通りでないと感じました。一日中彼を責めたり、文句を言ったりしました。彼の心が狭くて男らしくないとか、彼の気性が激しくて、怒りっぽいとか、彼が利己的で人に関心もつことを知らないとか、彼が家庭は放っておいて、自分の実家だけに気遣っているとか、彼が自分の実家にお金や物を渡しても私と相談しないなどと文句を言いました。これらの腹いっぱいの文句があって、私は彼を見ると煩わしく感じ、彼の声を聞くと飽き、ますます妻としての優しさがなくなりました。生活の中で彼は私に関心をもたず、私は彼のことに関心を持ちませんでした。しかし面子のため、圧力のため、離婚まではいかなかったのです。私は常に夜空を仰ぎのぞみながら、神様はどうして私に対してこれほど不公平なのかと問いました。私はかつて深山や森の中に入って、慈悲なる老人をひとり見かけたことがあり、彼に私の内心の悲しみ、人生の苦痛について告げようと思っていました。

 1995年に友人の勧めで私は『転法輪』を読みました。読んだ後、生命の意義が分かり、私の心の中のすべての迷いと苦痛が一掃されました。これは私が探そうとしていたもの、私がしきりに待っていたものだと確信しました。感動の心は言葉で表せないもので、私は涙を流しながら、必ず最後まで学ぶと決心しました。師父の写真を見ながら、私は師父こそ私が探そうとしたその老人であると感じ、私が言うまでもなく、師父はすでにすべてを知っておられます。なぜなら師父は書籍の中で、「人は、以前に悪事を働いたために生じた業力(ごうりき)のせいで病気になったり、魔難に遭ったりしています。苦しみを味わうことはほかでもない「業」を返すこと」(『転法輪』)と説かれたからです。私は心がぱっと開き、自分の苦痛と魔難はすべて自分が犯した業力から生じていると分かりました。

 一、夫婦の怨を善解する

 法を勉強してから、心身ともに巨大な変化が起こりました。家庭は穏やかになり、夫婦、姑と嫁、義姉妹の間のトラブルは急に解消されました。私はいたるところで真、善、忍の基準に従って自分に要求し、何か起きたら彼らのために考え、以前のように責めたり、文句を言ったり、彼らが気に入らなかったり、彼らの良いところを見なかったりすることはありませんでした。以前は常に自分がつらい思いをしていると感じ、「自分のため、怒りのために、自分のことを不公平だと言います」(『精進要旨』「境界」)ということをしていました。今振り返って見ると、大法をもってはかると自分にあれほどの多くの不足があったことが分かりました。

 一部の法理が分かりましたが、夫に対する強大な責める心、彼が気に入らないという考えはいっぺんに取り除かれませんでした。ですから、常に私のこの心を試練することが起きました。場合によっては、私は心性を守れますが常に少しでも弁解しようとし、心が動じないようにすることができませんでした。しかし、一旦師父の「何かトラブルに遭った時、それはよく人と人との間の心性の摩擦として現われますが、それに耐えることができれば、業力も消去され、心性も高まり、功も伸びます。それらは一つに熔(と)け合うのです。」(『転法輪』)という法が思い浮かぶと、心は直ちに穏やかになってきました。毎回私の心が変わると、彼も何ごともなかったようでした。

 以前、私は彼に対して妻としての優しさがありませんでした。現在、私は彼に関心を持ち始めました。私が初めて彼に脚を洗うための水を持って行ってあげたとき、彼は驚きながら感動していました。一度、車の事故があり、彼は一ヶ月あまりベッドで寝たきりでしたが、私は彼のために大便と小便を処理し、優しく世話をしました。私の変化は彼を非常に感動させました。彼はやっと大法の書籍を読み始めました。ある日、彼は私の手を引っ張ってつかみ、涙を流しながら「大法の本を読んで、自分がどれほど悪いか分かりました。私はどうしてそれほど利己的なのか? 以前は仕事の便宜を利用して、会社の物を自分の物とし、多くの業を作りました。しかも、私は性格がこれほど悪く、怒ると言ったらすぐ怒ってしまい、あなたにとても大きな苦痛を与えました。また、あなたと子供に対する関心がとても少なく、自分の実家の家族だけを考えていました。すべてを実家のために費やして、お金も多く使ったし、少なからず心配してきましたが、家族は私が良いとは言ってくれません。いま子供も大きくなりましたが、お金もないし、家もなく、私は父親として本当に…」と言いながら、涙を流しました。私は彼に、これは因縁関係によるもので、誰かが誰かに借りがあったら、返さないといけないと彼を慰めました。「私と息子は大法を修煉しているから、以前のようにこれらを言い争いません。あなたが今日、大法の本を読み、自分の欠点と足りないところが分かるようになったから、これはあなたがすでに向上し、昇華したことであり、これこそ喜ばしいことです」と彼に言いました。大法がないと、私たちの間の恨みや造った業は、来世でどうやって償うのでしょうか。師父が私たちを救い、私たちのためにこれらのことを善解してくださいました。

 私の夫の勤務先は、工事があればどこにでも行きます。家から近い場合は半月に一回休み、遠いときは数ヶ月、ひいては半年に一回家に帰ります。多くの人は外で「第三者」(愛人)がいます。私は夫にも「第三者」がいると気付いたとき、私はとても冷静で、私は自分は一人の修煉者であり、常人と同じように対応してはいけないと思いました。私は完全に善の一面で、大法弟子の慈悲でこの問題を解決しようと決めました。師父は「常人とは情のために生きているものです。しかし、煉功者として、超常的な人間としては、その理で量るわけには行かず、そこから抜け出さなければなりません。したがって、情から派生した数々の執着心に、われわれは淡泊であるべきで、最後には完全にそれを捨てなければなりません。」(『転法輪』)と説かれました。それで、私は非常に穏やかな心理状態で、完全に相手のために考える心理状態で、夫と5、6時間話しました。人間としての道理を話し、彼が理解できる程度で、一部の法理について話しました。話していた間、私は彼を少しも無理強いせず、心は非常に穏やかで、何も執着せず、心を完全に放下して、私がやるべきすべてをやり、同時に自分の心性を向上させるよいチャンスとしました。夫は私がこのようにするとは想像もできず、感動のあまり、すべてを私に話してくれました。最後に彼は彼女との付き合いをやめるが、時間がほしいと言いました。「私は大丈夫です。いかに処理するかはあなた個人のことであり、正常な友人関係を保っても問題ありません(今でもずっと友人関係)」と答えました。

 私が夫と話して間もなくして、彼は上海に出張に行き、帰りに私に洋服を何着か買ってきました。私はその人(あの女の人)はあなたのためにお金を費やして、毛糸のセーターとズボンを織ってくれたが、あなたもその人に何か買ってあげないといけないのではないか、礼には礼をもって返すべきだと言いました。彼は私のこの言葉を聞いてとても驚き、私がこんな話をするとは想像もしていなかったようでした。彼は感嘆して「この大法はあまりもすばらしい、李先生はあまりもすばらしい、人をこの程度にまで、これほど度量が大きい人にまで向上させたのですから。あなたはあまりにも私を感動させました。私はあなたに申し訳ないです。帰ったらすぐに彼女との関係を断ち切ります」と言いました。後になって、彼は恥ずかしながら、「私は彼女にパジャマセットを買いましたが、あなたが好きなら、あなたにあげます」と言いました。私は「いいえ、彼女にあげなさい。あなたに早くこのことに決着をつけてほしいです。間違いが分かれば、再び業を作らないでください」と答えました。それきり、私はこのことについて聞いたことがありません。自分の心性が向上してきたら、この関も乗り越えることができました。確かにそうでした。

 7.20以降、その女の人の叔母も大法弟子で、刑務所で大法に対する非常に確固たる信念を抱えていることが分かりました。彼女は毎月、叔母に面会に行きました。彼女は私も大法弟子だと知って喜び、私に電話をかけて、叔母がすぐに釈放されるかどうか、叔母を迎えられるかどうか心配だと言いました。私はこれを聞き、すぐ彼女に手紙を書き、彼女にどうすればよいかを教えました。彼女に如何にすればよいかを伝え、また師父の経文も紙に書いて、彼女に持って行かせました。彼女は私の言う通り行い、順調に叔母を迎えることができました。

 迫害が始まってから、私が留置場に送られて不法に監禁される前、警官は私と一緒に生活用品を取りに家に帰ったことがあります。しかしその時、ドアは家の裏からロックされて開けませんでした。警官は、家に人がいる、もしかしてあなたの夫が外で女を作っているのでは、と言いました。私はそれは不可能だと答えましたが、心の中ではやはり合点がいかなかったのです。留置場から帰ってきた後、私が慈悲で穏やかな心理状態でこのことについて夫に聞いたら、彼は再び私の善に感動され、率直に、誠意をもって私に教えてくれました。なるほど、近所のとてもよく知っている女の人が夫と正当でない付き合いをしていました。師父は「何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません。したがって、煉功にあたっては、高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません。」(『転法輪』)と教えてくださいました。そして、私は完全に相手の立場に立って、彼女のために考えました。常人は、ただの情のために生きています。誰に間違いがないのでしょうか? また彼女はろくでもない女性ではありません。彼女を許すべきです。もしこのことが広まって、私がこのことを知っていると彼女が分かれば、耐えられるでしょうか? どうやって生きていくのでしょうか! 以前、彼女の夫に「第三者」ができたため、彼女は離婚しました。当時彼女は非常に苦しく、私は常に彼女を慰めていました。今度は彼女がまたこんなことをしてしまいましたが、彼女はどうやって私に顔を会わせるのでしょうか? こう思うと、私は彼女を恨むこともなく、とがめませんでした。逆に彼女に同情しました。まるで傷付けられたのは彼女で、私ではないようでした。実は傷つけられたのは本当に私ではなかったのです。なぜなら私にはこの人心がなく、まったく私を傷付けることができないからです。私は本当に少しも傷付けられませんでした。私には苦痛もなかったのです。まるで師父のおっしゃったように、「情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです。」(『転法輪』)でした。私たちは普段会っても以前と変わりません。後になって、彼女も共産党員であることが分かり、何回も彼女の家に訪れ、脱退を勧め、最後に彼女とその子供も脱党しました。一度、私が強制連行されたとき、公安局で手伝いをしていた彼女の息子が、私の状況を聞いて私の夫に伝えてくれました。

 (続く)

 (明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 2008年11月21日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/11/17/189678.html