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修煉の中で家庭との関係を正しく扱う(三)


文/河北省の大法弟子

(明慧日本)

  家庭を円容し、全体で昇華する

 「多くの学習者は煉功と法の勉強だけが修煉だと知っています。そうですが、これは直接、法に接触している部分です。着実に自分を修めるとき、あなたが接触している社会はつまり、あなたの修煉環境なのです。あなたが接触する職場の環境、家庭の環境はいずれも、あなたの修煉環境であり、あなたが歩まなければならない道であり、必ず対処し、しかも正しく対処しなければならないことで、どのこともいい加減にしてはいけません」(『2006年カナダでの説法』)。

  家庭での修煉の中で、私は毎日怒りっぽい夫と気難しい小姑と暮らしていましたが、慈悲の心で彼女らと接しました。心性の練磨の中で、内に向かって探し、彼らの短所を見ず、常人の理屈で争わないようにしました。特に、小姑の前では心の中がいかに苦しくても、大法に泥を塗らないように、と大法に合わない行為を決して見せることはありませんでした。時にはいい加減な心が出るときもあり、夫に口答えすることもありましたが、後になって必ず後悔し、すぐ謝るので、トラブルも即解決するのです。私は毎日とても忙しいのですが、いくら忙しくてもなるべく家庭のことをきちんとやり、家庭での自分の責任を決してごまかしませんでした。師父は、これらは私たちが必ず歩む道で、決していい加減にしてはいけないとおっしゃいました。私は自分を律するだけでなく、意識的に夫に対しても法理に基づいて物事を見るよう導きました。

 このようにして、私の心性の向上と共に、家庭の中の正の要素も絶えず強くなりました。このことは、後の正法修煉のために堅実な基礎を作り上げました。夫にはその当時、まだ理解できないことがたくさんありましたが、家庭内では妨害がほとんど出ませんでした。

  迫害が発生した後、その当時法に対する認識不足で、極端に走り、旧勢力に隙に乗じられました。私は仕事を失い、息子は退学させられました。私たちは何度も強制連行されました。息子は3回強制労働教養所に入れられ、死の狭間をさまよってきました。夫は2度も泣きながら教養所から息子を背負って帰ってきました。私も2回不法に監禁され、その数年間は家で過ごした日は何日もありませんでした。当時、夫の会社の上司は夫の出勤をやめさせ、夫を天安門広場に行かせて、私たち親子を連れて帰るように強要しました。このような大きな魔難とプレッシャーの前で、あんなに心が狭く、自分で食事を作ることもできず(毎日インスタント麺で凌いでいた)、利益を求める心が強い夫がどのようにして耐えてきたのでしょうか。彼いわく、「もうちょっとで死ぬところだった」そうです。

 ある日、夫は高血圧で話もできない状態で、動くこともできず、やっとのことで電話のそばに這っていき、会社の上司に電話をしました。怖くなった上司はそれ以来、夫にプレッシャーをかけることはありませんでした。またあるとき、夫は自殺を考えており、ちょうどそのとき同修が来て彼に自殺がなぜいけないかを説明してあげ、彼が自殺をすると大法に泥を塗ることになるというと、彼は泣きながらうなずいたそうです。当時会社の上司は彼に離婚するよう責めており、同僚は再婚相手まで紹介してくれたそうです。私も彼に、もしどうしても耐えられないのなら離婚してもいい、迫害が終わってから再婚しようと言いましたが、彼はうなずきませんでした。彼も実は師父のご加持の下、耐えてこられたと思います。もし私が平素から師父の要求通りに厳しく自分を律していなかったら、家庭という修煉環境をうまく円容できなかったら、普段の積み重ねがなかったら、彼もおそらくこのようにはしていなかったと思います。修煉後の私の変化を通じて、大法のすばらしさが彼の心の中に深く根ざしたのでした。

 1999年10月のある日、会社の上司は夫に、天安門広場に陳情に行った私と息子を連れ戻すように命じました。そこで彼は大法弟子が大法を実証するあの壮絶な場面を目撃し、震撼しました。彼までが「法輪大法好!」と叫びたかったそうです。天安門から帰ってきた彼は「これで僕は自分の妻と息子と大法弟子らが何をやっているかが分かった。彼らは偉大だ、もう僕は悩まない、かえって誇りに感じる。今後は無条件に彼らを支持する」と言いました。

 またある日私が外出していて、眠れなかった夫は、自分で大法の真相を書いたシールを持って貼りに行ったこともありました。毎回警察が私を家まで送ってはいろいろな言葉で彼と離れさせようとしましたが、夫はいつも私の側に立って警察に問いただすのです。「妻が何の罪を犯したのか? 煉功して体が丈夫になり、親孝行するようにもなった。何の根拠があって彼女を逮捕するのか?」私の弟が迫害で亡くなった時も、夫が面と向かって警察に死亡経過を詰問しましたが、警察側は言葉を濁して回答を避けました。警察の厳しい監視の下でも、断固として検死、写真撮影を求め、結果全部目的を達成しました。

 「神韻」のDVDが出てから、夫は中共悪党のテレビは一切見なくなり、「神韻」ばかり見るのでした。その中の「覚醒」と「昇華する蓮」を見るときには涙がとまらないのです。大法弟子の家族として、彼も私たちと同じように忘れられない日々を送って来たのです。 

 現在、夫はまだ正式には大法修煉に入っていませんが、時間があれば大法の本を読み、「明慧週間」(訳者注:中国大陸の大法弟子向けに編集した明慧ネットのペーパー版)は毎期読み、その中から彼も啓発と教育を受けています。「婚姻と家庭」という小冊子を読んだ後には、彼も相当考えさせられたようで、あのようなこと(夫婦間の関係)はもうできない、お前にも悪い、お前の後ろ足を引っ張ってはいけないと言いました。私は笑いながら彼を悟性が高いねと褒めてあげました。私ももう徹底的に欲望を絶つ時が来たことを悟りました。不思議なことに、私たち2人がそろってこのような念を発して以来、今日に至るまで夫婦間のあの行為を絶っただけでなく、2人でべたつくこともなくなりました。彼はよく私に言うのです。「時には欲望が出るときがあるが、お前のそばに行くと、或いは忙しくしているのを見ると、不思議とその欲望が消えてしまう。お前のそのエネルギー場に制約されたと思うよ」と言いました。またある日、私の寝室に来てそのことをしようと思った瞬間、突然「パン」という音が鳴り、びっくりした彼は慌てて自分の部屋に戻りました。「お前はもう神だから、僕はもう勝手にお前に触れない」と彼は言うのです。

 その翌日、掃除のときに発見しましたが、サイドテーブルの上に置いてあったものが落ちていたのでした。この不思議な体験を通じ、私は本当に「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)ということをしみじみと感じました。私は平素夫婦間の事について度を過ぎる話はしたことがなく、いつも彼の受け入れ能力に基づいて話をしてきました。自分自身には厳しく要求し、心を修め、欲を絶ち、自分の心性に工夫をしたのでした。ある時期になればそれに相応する状態が現れると信じていました。人為的に何かを行う、あるいは何かを思うのではなく、師父の要求どおり行い、心性がその次元の基準に達したら、おのずとその次元であるべき状態が現れるのです。今、私と夫は基本的に正常な夫婦生活を保つことができています。

 今日、自分の家庭での修煉に関して体験を書きましたが、修煉が間もなく終わろうとしているのに、まだ多くの同修が家庭をうまく円容できていないのを見ましたので、書く決心をしたのです。家庭の魔難から脱出することができず、常人の枠の中から脱出できず、いまだに常人と同じ状態で、情に流され、自己を中心に物を考えるのです。私は学法する、私は煉功する、私は発正念する、私は衆生を救い済度する、だからあなたは私に影響を与えてはいけない、妨害はさらにいけない、私を支持しなさい、と言うのです。大法弟子として「三つのこと」を最優先にするのは当たり前のことですが、その中には家庭をうまく円容し、安定した修煉環境を創り出し、心性を向上させることも含まれているのです。常人の情に左右され極端に走るのではなく、適切に自分をコントロールする、これもまた私たちの修煉形式の一つなのです。これらがよくできていないと、衆生を救い済度する肝心のときに自分自身に大きな妨害をもたらすことになる可能性があるのです。

 以上は私の十数年来の家庭での修煉体験です。本日は第五回大陸大法弟子交流会の機会を借りて、師父に報告したいと思います。不適切な所は慈悲なるご指摘をお願いします。

 (完)

 (明慧ネット第五回大陸大法弟子修煉体験交流会)

  2008年11月23日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/11/17/189678.html