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父親と祖母が相次ぎ迫害で殺害され、子供は母親の釈放を求める(写真)


文/黒龍江省の大法弟子

(明慧日本)黒竜江省双城市の徐有芹さんの姑は、息子が迫害で亡くなり、息子の嫁(徐有芹)は不法に15年の重刑を判決され、数年来2人の孫を連れて苦難に満ちた生活を送り、2008年9月中旬、冤罪が晴れないままこの世を去った。徐有芹さんの2人の息子の面倒を見る人がおらず、子供は黒竜江省女子刑務所に、彼らの母である徐有芹さんを釈放するように求めた。

徐有芹さんと夫・臧殿龍さんおよび2人の子供

 徐有芹さん(40才女性)は双城市駅に住んでおり、2002年に強制連行され、不法に15年の重刑を言い渡され、黒竜江省の女子刑務所で苦難を受け尽くし、今もなお不法に拘禁されている。彼女の家庭は中国共産党の共犯者である双城市の迫害により、一家離散して肉親を失い、夫も2002年7月に死に追いやられた。

 黒竜江省女子刑務所で迫害を受けていた法輪功修煉者の話によると、徐有芹さんは刑務所の警官は竹串を指に差し込んだり、電気椅子で苦しめたり、暑中の厳しい日差しの下でランニングを強制したりした。意識がぼんやりして倒れると警官は水をかけ、目が覚めるとまた引き続き走るように強制する。さらに警官は、徐有芹さんら法輪功修煉者のズボンを引きずり落として木の板と靴で打ち、そして塩水をしみ込ませるなどの拷問を加えたという。

 徐有芹さんは以前はしっかりとした家庭を持っていた。修煉する前に夫の臧殿龍さんは白血病を患い、治療費と保証金あわせて10数万元の費用を必要といていた。しかし、労働者の家庭としてこれほどの大金を捻出することができず、ちょうど姑はすでに法輪功を修煉しており、法輪功が病気を追い払い健康を保つ非常に不思議な力を自ら体験しているので、息子に法輪功の修煉を試してみるように勧めた。その時、生命が気息奄々としていた臧殿龍さんにそれ以外の選択はなく、そこで母親と一緒に法輪功を修煉し始めた。2カ月経ち、ハルピン病院で検査するとすべての病気がなくなり、全身に力が入り、皮膚の出血もなくなった。医者もみな驚いていた。

 臧殿龍さんは法輪功を修煉して白血病が自然に治り、このニュースは彼の勤め先の双城穀物倉庫で話題となった。また彼の親友も驚き、そこで彼の親族の中で多くの人が修煉の道に入り、妻の徐有芹さんと2人の息子も修煉し始め、一家は楽しく暮らすようになった。

 1999年、中国共産党の江沢民集団は法輪功を弾圧し始め、徐有芹さん夫婦は法輪功のために無実を訴え、陳情するために上京したが、不法に連行された。臧殿龍さんは間もなく正念で脱走した。夫婦ともに法輪功を堅持して信奉したため、現地の法輪功迫害を主管する支配者の公安局副局長・張国富、警官の金ユァン智に法輪功の指導員と見なされ、重点的に迫害する対象として迫害され、監視され、私生活を侵害された。

 2002年4月19日、双城市は大掛かりな捜査逮捕を行い、ハルピン市から暴動対策部隊の警官700人以上を動員して、絨毯式で法輪功修煉者を捜査逮捕し、徐有芹さんの逮捕は3万元、臧殿龍さんの逮捕は2万元、鉄俊英さんの逮捕は2万元を懸賞する指名手配令状を出し、そしてテレビで3人が刑務所の手配中の殺人犯であると公然とデマを飛ばした。それからバス停、駅および町の出入りする要所の交差点ですべて車両に対して取り調べを行う警官を設けた。

 徐有芹さんと夫、および法輪大法のすばらしさを実証するために双城第四小学校に除名された2人の子供は、苦難に満ちてぬかるんでいる小道を通り抜けて、双城市から何百キロも離れた黒竜江省の阿城市まで辿り着いた。しかし、阿城市に滞在して何カ月も経たないうちに、徐有芹さんが外出した際に不法に連行されたという。その後、双城市警官の張国富は阿城市の警官とハルピンの暴力対策部隊と結託して、2002年7月8日午後に徐有芹さんが居住する団地をぐるりと取り囲み、警官は窓を破って入り、臧殿龍さんは追いやられて6階から跳び降りて即死した。その時、14才の臧浩然君と12才の臧浩童君の2人は手錠を付けられてハルピン市の4.25特別査問グループ(もっぱらこの事件のために設立された)まで強制連行され、そこで1カ月あまり拘禁されて、後にまた双城市の警官に万家労働教養所に移送され、1カ月間拘禁された。体中に疥癬が出てやっと家に帰された。

 徐有芹さんは不法に15年の重刑を判決され、黒竜江省第一女子刑務所に拘禁されている。2人の子供と70才を過ぎたお婆さんが苦難に満ちた毎日を過ごしている。刑務所はずっと家族と面会させず、2年経って姑はやっと初めて面会することができた。その時の徐有芹さんは、迫害されてとてもやつれており、自分の服はすべて燃やされたため、シャツさえなかった。2004年3月、徐有芹さんら多くの法輪功修煉者は「大背吊」という酷刑を受けた。

 徐有芹さんの姑は生活の中のさまざまな困難を克服して、「真・善・忍」にに従って対応し、慈悲心を持って人と接している。ある日、彼女は公安局へ張国富を探し当てて、張国富はお婆さんが決算しに来たと思って、顔色が青白くなっていた。お婆さんは、「私はあなたが中国共産党の悪事を働く行為を助けることを止めるように忠告しに来ている。中国共産党はすべての悪事をやり尽くしており、天が中共を滅ぼし、三退をして命を守りましょう。あなたが私の息子を死に追いやったのです。それはあなたが中国共産党に騙されたのです。私は法輪功を修煉していて人々に真相を伝えているため、あなたに中国共産党から脱党することを勧めるために来ました」と話した。張国富はお婆さんの来意を知ってやっと落ち着いた。

 中国共産党の長期にわたる迫害のもとで、徐有芹の姑は2008年9月中旬、冤罪が晴れないままこの世を去り、徐有芹さんの2人息子の面倒をみる人がおらず、子供は黒竜江省女子刑務所に彼らの母である徐有芹さんを釈放するように求めている。ここで国際調査組織に、この事件をしっかりと調査して、悪人を法に照らして制裁し、すべての拘禁されている法輪功修煉者を無条件で釈放させるように呼びかける。

 2008年11月24日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/11/18/189959.html