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師父と大法を信じる一念で、安全に今日まで歩んできた


文/遼寧省の大法弟子

(明慧日本)私は1996年に法輪大法を得た大法弟子です。師父を信じ、大法を修煉する信念を守り続け、1999年11月から今日まで9年にわたって、大法を実証する道を歩んできました。9年を振り返ってみると、私は不思議な感じがします。私はかつて心が狭く、何事にも慎重で、自己中心的な性格でしたが、このような邪悪な環境の下で自分の利益を捨て、他人のためにできたのは、すべて法と師父の慈悲のおかげだと思っています。師父が私を変えて下さらなければ、今の私はいません。 

  1999年「7.20」以後、全国の同修は絶えず天安門広場で法を実証していましたが、地方に帰ると自由を失い、拘留されるなどの迫害を受けました。その時の恐怖心、名利心、自分の身を守りたい意識、外に出て大法を実証する師父の教えなどが頭の中でごちゃ混ぜになっていました。私は天目が開いておらず、体にも大きな変化がなかったため、その時期はとても迷いました。その時私は、師父と法を信じて法を実証するか、それとも自分の安全と安逸を守るか、どちらを選ぶかを考えるだけで食欲をなくし、夜も眠れませんでした。中国共産党からの脅迫、勤め先の上司、親戚、友人からの説得などで、何回か私は外に出て法を実証する自信と勇気をなくしました。しかし、師父に対する確信、法に対する確信、良い人になることは間違いではないという確信、それらの信念から、私は「正法」の修煉の群に残り、「正法」時期の大法弟子の中の1人になり、法を実証する道を歩んでいます。 

  私は1999年11月から、中共中央のリーダーや各省市、自治区の省委員会、政府、政協会、婦人連合会、公安部門に200通ほどの手紙を出しました。自分自身の修煉体験、各メディアの嘘の宣伝を説明し、大法の真相を伝えました。時々、私は、会社の保衛科のリーダーや政保科の人に直接会って真相を伝え、関心を持ち愛護の角度から、彼らに大法に反対することは悪い結果にいたると教えました。彼らといつも良い関係を保っていたため、彼らの監視も緩いものでした。

 2000年10月21日、師父は『米国西部法輪大法法会での講法』で「邪悪が天地を覆うようにやってきたこの時期に多くの人が悪毒の虚言、世を欺く虚言に欺瞞され、恨む気持ちで大法と私の弟子に対処したのです。このような人は未来淘汰されるに決まっています。しかしこのような情況の下であっても、我々が真相を伝えることによって彼は事実が分かり、もとの考えと悪念を捨てることができたら、その人は助けられるかもしれません。(拍手)世間に真相を伝えることは政治闘争に参与しているのではなく、何かのことに対してやっているのではありません。皆さんに教えますが、これは皆さんの慈悲です。これは皆さんが本当の意味で未来の人を済度しているのです。(拍手)もしその人の考えは変らなければ、皆さん考えてください。その人はもうおしまいです。一人の学習者として一人の修煉者として慈悲の角度からにしてもこれはすべきことだと思います」とおっしゃいました。人を救うことの大切さを知り、私は目覚めました。

  私は、朝会社へ行く前、昼休み、夜遅くなどを利用して、真相資料を書き、コピーして配りました。その時の状況はとても悪く、住宅周辺で公安局や治安管理の人が待ち伏せしているだけでなく、クビになった人たちが防衛隊を結成して、昼夜巡回していました。掃除をしている人さえも同修を監視し、同修が配った資料を集めて上に納めていました。そのころ、外で真相資料を配る事は本当に勇気と正念がなければできませんでした。しかし、師父は私を守ってくださいました。悪者は人を救うことを阻止できないのです。

 私は純粋な正念で、仕事以外の時間はほとんど真相資料の作成と配布をしていました。しかし、インターネットを見ることができないし、プリンタもあまりに古いため、私はいつも真相資料が不足して悩んでいました。2003年、会社がパソコンとプリンタを私に配分してくれて、1分間に16枚のプリントができました。同修の手助けでインターネットも使えるようになり、本当に虎が翼を得たようでした。『明慧週刊』、『覚醒』と関係資料のダウンロードができ、毎週200枚の真相資料を配ることができました。私は正法時期に咲く世界各地の小さな花の一つとなりました。

 私が住む社宅地区は比較的集中しており、7、8千世帯あります。同修たちはお互いに助け合ってDVDを作ったり、小冊子を作ったりしています。私はずっとA4の1枚の真相資料を作っています。短い時間に早くでき、数も多くできることが特徴です。この真相資料を持って、1軒1軒の家に配り、DVDと小冊子の不足を補うことができるようになりました。

 真相を伝える過程というのは、修煉者にとって、師父と法を信じているかどうかの試練で、本当に修煉しているかどうかの確認だと思います。自分の財産に対する執着心を無くし、風、雨、厳寒を克服することはもちろん、恐怖心、安逸を求める心、金や財物を捨てる心、名、利、情の心など、常に修煉者を阻害しているものを無くす試練を受けているのです。特に、同修が真相を伝えたために警察に捕えられ、拘留、解雇、罰金をゆすられ、財産も無くし、理解できない身内からの暴力や罵りに遭った時、真相を伝えることを続けることができるかをいつも試されているのです。しかし、大法修煉者としての責任を果たしているかどうか、人を救うことが第一位に置かれているかどうか、常人から師父、大法を信じる修煉者になっているかどうかの試練でもあると思います。私の勤め先の会社では、2000年から2005年までに、大法の真相を伝えたため5人が拘留され、労働教養を受けました。いつも両親と子供が私のことを心配して、週に1回は家に電話をしてほしいと言います。しかし、私は「師父が守ってくださっているから心配はいりませんよ」と言います。9年来、師父と大法を信じ、大法弟子としての責任を果たす信念を持って、安全に今日まで歩んで来ることができました。

 当然、困難ということも試練の要素の一つです。会社は真相資料を作ることを防ぐため、私の自宅にパソコンが置いてあるかどうか、インターネットに接続できるかどうかを調べました。彼らに疑われないため、私は会社のパソコンとプリンタを利用して、用紙とインクを自分で買い、真相資料を作りました。時間と機会がなければ、私は人の替わりに夜勤し、お正月さえ私はそうしました。この期間中にいろいろな奇跡が起きましたが、それはすべて師父のご加護がなければ不可能なことです。私はいつも、師父が私の傍にいらっしゃるような気がしています。いつも、師父は私の憂いと難を解いてくださいました。

 また「病業」の試練がありましたが、多くの奇跡が起きました。たとえば、ある日、私は「消業」で嘔吐と下痢をしました。4、5日起き上がれず、10分毎にトイレへ行かなければなりませんでした。しかし、私の真相資料を配りたいという気持ちは固く、自転車に乗って10数キロ走り、マンションの1階から5階まで6、7回上り降りしましたが、体はとても軽く、まったく疲れを感じませんでした。そして気管支炎を「消業」することで、夜3分毎に咳が出るという症状が1カ月続きました。しかし、真相資料を配りたいという強い気持ちを持った時、何ごともなかったかのように咳が止まりました。それは、師父が私の代わりに引き受けられたのだと思いました。だから、私は修煉者としてより一層よく修め、師父に恩返ししたいと思っています!

 真相を伝える中、心性の試練もしばしば現れました。人々が真相資料を受け取った後、真剣に読む人を見ると微笑ましく感じますが、真相資料を読んで悪口を言う人や、真相資料を破る人を見ると心が動揺し、「あなたたちを救うために私達は色々な犠牲を払っているのになぜこんなことをするのか」と不満な気持ちになり、師父に「良い人になることはなぜこんなに難しいのでしょうか」という言葉が思わず漏れたこともありました。しかし、私の大法弟子としての歴史的責任を果たす決心は揺らぎませんでした。

 師父のご加護の下で9年間、400週間のうち7、8週間の事情がある時以外は、毎週200枚ほどの真相資料を配ることができました。祝日とお正月は人々に良い「プレゼント」をしたと思います。しかし当然ながら、私にはまだ多くの足りない部分があります。気落ちしている時、後悔している時、心を静めて、学法や煉功ができない時もありました。

 もし、いつか師父にお目にかかる機会ができましたら、私は「師父のおっしゃる通りにやってきましたが、時に修煉者の基準を満たさない時もありました。しかし、私は一生懸命に頑張ってやっていきます」とお伝えしたいと思っています。

  2008年12月2日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/11/8/189438.html