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法理をはっきり認識し、旧勢力による迫害を否定する


文/山西省大同の大法弟子 力夫

(明慧日本)私は1995年に法輪功を修煉し始めました。13年の間、師父の慈悲なるご加護のもとで、天安門広場で横断幕を掲げ、観光名所で法を広めてきました。また真相資料を配布し、真相を伝え、衆生を救い済度し、さまざまな法を実証する活動の中で、多くの難関に出会いました。いつも師父の慈悲なるご加護のもとでいずれも回避することができました。しかし、その当時、これらの法を実証する活動をしながら、まだ法理について悟っていたのではなく、ただ師父がこのようにするようにという説法があったため、他の同修と一緒に法を実証しているだけでした。

 その後、修煉の過程で私はある問題に気づきました。皆やっていることは同じように見えますが、結果は違ってきます。同じく天安門広場に行って横断幕を掲げ、真相資料を配布し、真相を伝え、脱党を勧めるにしても、なぜ人によって非常に効果が良く、無事に戻る人もいれば、邪悪に逮捕され、拷問に遭い、迫害によって死ぬ人もいるのでしょうか。これはなぜなのでしょうか。交流の際、皆は自分の意見を言いますが、漏れがあるとか、心性が高くないなどいろいろな意見があり、誰もそれをはっきり言えませんでした。

 最近、私は40人ぐらいの同修による交流会に参加しました。ほとんどが古い同修(迫害前から修煉している)で、また他の地区の協調人や資料点の同修も来ました。交流は非常に積極的に行なわれました。ある同修(一度不法に労働教養を受け、迫害のため半身不随になっている)は、オリンピック開催前に警官らに家財を没収され、かつ妻が2年の労働教養処分を受けたことについて話しました。この同修の妻が不法に逮捕される前、610弁公室および警官らが24時間彼らを監視し続けていました。その後、二人は一緒に警官らに真相を伝え、脱党を勧めていました。その一週間後、同修は私にこのことを話しました。私は彼に、「このような監視こそ、旧勢力が邪悪をコントロールした大法弟子に対する迫害であり、絶対に否定しなければならず、発正念をして邪悪を取り除くべきだ」と伝えました。しかしこの同修は、「監視している警官は、私達が救うのを待っているのではないか」と認識していました。しかもこの同修は、「警官らに毎日真相を伝え、脱党を薦めているのに、彼らを救い済度すべきではないか」と言いました。この同修はこのような認識のもと、毎日、警官らに対して常に従っていました。しかし、環境はますます悪くなり、24時間の監視がひどくなり、警官はこの同修の家に常に居座るようになり、最終的に妻が逮捕され、労働教養処分を言い渡されました。

 しかし、この同修は交流会の中で、何とも思わず「修煉の中で必ず魔難があり、魔難がなければ修煉できず、向上できない」と話しました。私は彼に対して、「これは法理に対する誤解だ」と強調しました。「修煉者の求める心によってやってきた魔難は必ず否定すべきであり、特に旧勢力の按配は決して認めてはならない」と伝えました。しかし、この同修は、「旧勢力を否定することは、つまり魔難がないことにはならない」と言いました。また、その他の同修も「そうだ」と言いました。私はここで、古い学習者たちが三つのことを行なっており、しっかり行なっている人もいますが、法理に対してはっきり認識できていない同修もいることに気づきました。ですから、ここにおいて私の法理に対する認識を書くことにしました。

 修煉者は必ず魔難があります。しかし、法を正す時期の大法弟子にとって、二つの原因があります。

 ふつうの修煉者の魔難とは、これまでの輪廻転生によって自分が作り出した業力によるものです。この種の、自分自身によって作り出された魔難には特徴があります。それは、絶えず試練が長引くことはないということです。この関を乗り越えることができなければ、つまりこの執着心を取り除くことができなければ、師父の按配されたすべての魔難は、執着心を取り除くために按配されたものであり、必ず執着心に向けて魔難がやってくるのです。ですから、一部の大法弟子が逮捕され、労働教養所の中で良くできていなくても、釈放されたら早く損失を取り戻すよう努力すべきです。

 執着心とは、他空間ではある種の物質であり、さまざまな執着心があり、いろいろな物質が対応し合っています。修煉する過程とは、まさに執着心を取り除く過程であり、思想を浄化し、空間場を浄化する過程です。つまり、これらの心に対応する物質を取り除く過程でもあるのです。この関を乗り越えることができなければ、その修煉者の他の空間場の中で、考えの中にあるこの物質は取り除かれているのではありません。しかし、常に修煉しているのですから、必ずそれを取り除かなければなりません。良くできているときと良くできないときがあります。そのとき、物質が取り除かれ、一部の物質は取り除かれていません。これこそが修煉です。少し乗り越えれば、少し向上できます。このように絶えず修煉し、絶えず執着を取り除き、絶えず向上し、最終的に円満成就に至ります。

 法を正す時期の大法弟子は上述のような個人修煉の魔難のほか、もう一つ、旧勢力による大法弟子のへの迫害によってもたらされた魔難があります。

 旧勢力は邪悪、卑しい鬼、乱神や悪い人間をコントロールし、大法弟子への迫害によって魔難をもたらしています。それは、大法弟子を破滅させる目的によって行なわれたものです。それは、邪悪が大法弟子の人心を取り除き、執着を取り除くという口実のもと、そして大法弟子を基準に達するように向上させるという口実のもとで、実質的に大法を破壊し、衆生を台無しにする行為なのです。この種の強制的に行なわれた迫害の手段は、きわめて残酷です。それらは大法弟子の師父に対する信念や修煉の決意をなくすよう、肉体的に非常に残酷な拷問を行い、大法弟子を迫害しています。大法弟子がもし法理についてはっきり認識できなければ、邪悪の按配した道を歩み、もし人心と執着心を長期にわたって取り除くことができなければ、邪悪は際限なく迫害し続けるのです。私達の地区にいるある同修で、なんと17回も逮捕された人がいます。しかし彼女たちは、いまだに交流会の中で、自分が邪悪の前でいかに生死を放下できたのか、いかに法を実証できたのかと話していますが、一度たりとも、自分がなぜこんなにたくさん逮捕されたのかを考えようとしませんでした。あなたは、旧勢力の按配の中で「修煉」すべきではありません。本当に法をしっかり学び、法理をしっかりわきまえるべきです。

 では、今となって、大法弟子は法を正す最後の段階まできて、必ず法理の認識をはっきりさせなければなりません。法理がはっきりすれば、正念も強くなり、師父の按配なのか、それとも旧勢力による按配なのかが分かるようになります。したがって、それ相応に対処することができるようになります。このようになれば、はっきりとした認識で三つのことが行なえるようになります。これが唯一の方法で、つまりしっかり法を学ぶということです。

 2008年12月5日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/11/30/190318.html