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着実に修煉する環境を共に守ろう


文/米国の大法弟子

(明慧日本)同修たちは皆、何度も『転法輪』を読んだ事があり、『転法輪』の最後に「皆さんがお帰りになってからも時間を無駄にせずに、着実に修煉するよう切に希望いたします。」と書いてあると知っています。師父はまた「私たちが本当に着実に修煉する環境を持ち、学習者が法を得て修煉していく中で着実に向上することができるかどうか、という問題です。これは極めて重要なことです。」(『長春補導員法会での説法』)とおっしゃいました。

 師父の説法は我々に、小さいプロジェクトから地区全体にわたる大きなことまで、すべて本当に着実に修煉する環境が必要だと教えてくださったと私は思います。最近の数年来、当地区の修煉環境に対して、一部の同修は(私も含む)一定の努力をして、着実に修煉できる良い環境を作ろうとしていましたが、しかしずっと大きな改善はありませんでした。同時に、一部の真相説明の重要なプロジェクトに影響を与えました。

 この努力の過程で、自分自身の執着と法理上の認識の不足が暴露されました。まず依存する心です。仏学会に依頼して皆が着実に修煉できる環境を作ってもらおうとしています。もう一つは、私の常人の観念が暴露されました。即ち私は普通の学習者であり、「協調人として正式に任命されていない協調人」は正式なものではないから、協調したがらないという心の壁ができてしまいました。すなわち協調に対して法理における理解が浅かったため、自分から積極的に何かを協調することをしたがらなくなりました。もう一つは、私は当初情熱から自分のいる地区をより着実に修煉できる環境にしたくてやりだしたのであり、理性からはっきりとして認識があっての行動ではありませんでした。

 法を学ぶことを通じて、着実に修煉する環境を維持することに対してより一層認識が深まりました。大法は私達に「全ての人が責任者であり」(『2003年旧正月十五日米国西部法会での説法』)を求めています。個人的な理解では、すべての大法弟子が法を実証し、衆生を救い済度し、修煉(修煉の環境を含む)などに対して責任を持たなければなりません。それで着実に修煉する環境を作り、さらに守ることについて、すべての大法弟子に責任があります。これは法の私達に対する要求でもあり、つまり1つの地域の修煉環境はすべての大法弟子によって作られ、守られることによって成り立ちます。

 「全ての人が責任者であり」なので、当然協調の問題が出てきます。協調は大法弟子の中で普遍的に存在している難題のひとつでり、さらに協調の次第は直接協力の善し悪しにつながって、さらに法のを実証することの効果に影響します。師父は「大法弟子は一つの全体として、法を実証する中で協調することができれば、法力が非常に大きくなります。」(『2003年旧正月十五日米国西部法会での説法』)とおっしゃったので、私の理解では、正しく協調の問題に対処する事自体が厳粛な修煉の問題であり、中に自我を突破してさらに大きい範囲内で法に対して責任を持つことが表れます。協調の問題から、私は自分の執着と以前法理上の認識がまだまだ足りないと分かりました。

 私達正法時期の大法弟子は円満してから、将来はすべて各自宇宙天体の王者と主宰となります。新宇宙の天体の王と主の大法弟子は、将来すべて「真善忍」がその次元に現れる法理をもって、巨大な生命群を「管理」します。法理上で理解すると、大法弟子は「管理」するのに必要なものは、私達の修煉における協調の要素があるかもしれません。つまり名義上の「責任者」あるいは「協調人」であるかどうかに関わらず、私達一人一人の大法弟子は正法修煉の中で誰もが「責任者」、「協調人」の修煉の要素に面しています。法理上からはっきりと分かってから、私は協調の問題に対する態度を正して、消極的あるいは回避することをしなくなりました。

 具体的に協調する範囲の大小に関わらず、その中にすべて修煉の要素があり、よく気をつけなければならないだけではなく、さらに多くの責任と義務を引き受けました。多くの同修間の心性の摩擦にも出会うかもしれず、その中でいかに内に向かって探し、自分をよく修煉すべきであり、このすべてが修煉における問題です。自分は以前協調するのを恐れ、協調人を担当したくないと思ったのはすべて人心があるからです。自分はよく気を遣うのが嫌で、自由自在にしたいと思い、その裏にはやはり怠惰と安逸心があります。私がもっと恐れていたのは同修との摩擦です。言い換えれば、具体的な協調の過程でたくさんの修煉と向上の機会があります。自分のために心地良い修煉の道を選択することはありえません。

 師父は「あなたの向上が第一義のことだからです。あなたの向上がなければ、全てが問題外のことになり、衆生を救い済度することも問題にもなりません。あなたの向上、あなたの圓満成就がなければ、あなたが救った衆生はどこに行けばいいのでしょうか? 誰が彼らを受け入れるのでしょうか?」、「現在存在している最大の問題は先ほど私が言ったこの問題でもあり、つまり自分を修めることができず、内に向けて探すことができないということです。」(『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』)とおっしゃいました。

 私達の参加した法を実証するプロジェクトは、常人の仕事とたいへん異なっています。その中に私達の修煉の要素があるため、私達は全体的に着実な修煉環境を作らなければなりません。自身の体験からみると、修煉環境を守ること自体も自分自身の不足を発見し、向上する過程でもあります。

 師父は明確に、「大法弟子が必ず三つのことを全部しっかり行ってからはじめて、向上することができるからです2004年ニューヨーク国際法会での説法』)と啓示しておられます。私達は本当に三つのことをしっかり行い、多くの衆生を救い済度しましょう。

 妥当ではないところを、ご慈悲に叱正してください。

 2008年12月6日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/11/27/190495.html