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恐れる心をなくし、師を手伝って法を正す

(明慧日本)私は法輪大法を修煉してもうすぐ2年になります。ますますこの修煉の法門の不思議さを感じ、師が法を正すことを手伝うことができることを、とても光栄に思っています。

  法輪功を修煉する前の数年間、いつも自分は何のためにこの地球に生まれたのか、なかなか納得できませんでした。この地球上で生活して、死ぬことから逃れることもできないことは、私にとって極めて悲しいことで、甚だしきに至っては絶望すら感じて、夜1人になった時、これらのことを思うといつも泣いてしまいました。私は神に向って天国にその他の生命がいるかどうかを問うことにしました。それから間もなく、私と家族は法を得ることになり、以前納得できなかったことも一瞬の間にすべて解くことができました。

  今は、少年時代から現在に至るまで私の身に発生したいくつかの原因が分かりました。私は子供時代にいつもほかの子供にいじめられたり、怒られたりしていました。その時いつも恐れて、反撃する勇気がありませんでした。それは私に恐れと自信を持てない執着をもたらしました。

 「恐れる」ことは私の最大の執着の一つです。そのため、いつも自分のしたいことを妨害して人に真相を伝えることにも阻害を起こしてしまいました。去年の神韻公演の期間中に、大事な取材のときも、1つの壁があるかのようになかなか前へ進むことができませんでした。今になって恐れる心はとても利己的なことで、しかも不善であり、拒絶され嘲笑されることを恐れあるいは面子のためであることに気づきました。それらはいずれも自分に対する執着なのです。

  自分の恐れる心は自分に影響するだけでなく、その上、自分の衆生済度を妨げていることに気づいた時、私はそれを克服しようと努力を始めました。もし私が恐れる心に順応して行けば、私はおそらく自分のことばかり考慮して、他人のことに気を配ることはできないでしょう。これは決して修煉の状態ではありません。恐れる心がとても強烈に私を完全に抑制した時、私はとても恥ずかしく、そして悲しく、師父およびそれらの多くの救われるべき人々に申し訳ないと思いました。

  師父は『人心を放下し、世の人々を救い済度する』の中で、「法を正す時期の大法弟子にとって、個人の解脱は修煉の目的ではありません。衆生を救いすることこそ、皆さんがやってきた時の大きな願いであり、法が正される中で歴史が皆さんに賦与した責任と使命です。ですから、大勢の衆生は皆さんが救い済度する対象になります。大法弟子は法が正される中で賦与された偉大な責任を台無しにしないでください。更に、救い済度される衆生を失望させないでください。皆さんは彼らが未来に入ることができるかどうかの唯一の望みとなりました。ですから、全ての大法弟子、新しい学習者、古い学習者は皆行動を起こし、全面的に真相を伝えるべきです」と説かれました。

  自分を清浄にして、これらを妨げる悪い要素を取り除くことはとても重要だと思います。正念を発する時に、いつも自分の悪い観念、悪い思想、および私を利用して邪魔をしに来る旧勢力を取り除きます。もし私がこれらの妨害を承認せず、自分をそれより高い位置に置けば、これらのものを取り除くことができると気づきました。私はするべきことだけをして、自分のことを思わないように試みました。言い換えれば、他人を優先的に考慮すべきです。

  人間の観念が作用した時に、私は、「神の一面はどのように対処するのか」、「あなたは世の中に師父の衆生済度を助けに来たのに、どうして自分だけを考えるのですか。あなたは時間を浪費してはいけません、人間の観念と執着を素早く放しよう」と思うことにしたら、いっそう分かるようになることができます。

  例えばユーテルサット社の新唐人放送信号遮断事件はとても重要で、もし私があれらを妨げる旧勢力に順応すれば、私はそれらのとても地位の高い人と話す勇気が出てきません。恐れる心が私の内臓と一緒に絡み合います。同修が私たちの助けを必要とした時、私は自分を考慮せず、逆にこの良い機会をしっかりとらえて自分の恐れる心を取り除くことにしています。私は現場へ行って、議員と接する番が私に回って来た時、まるでいつも一つの壁が立っているようで、気分が悪くなることがしばしばありました。この時に同修は遠慮しないようにと励ましてくれて、本当に助かりました。実は恐れる心はただ良くない観念から生じた一種の虚像と、旧勢力がこの弱点を利用して私に対する妨害に過ぎません。実際上、議会の議員および彼らの補佐はみんなとても友好的で、一部は私たちを大いに支持して、甚だしきに至っては直ちに私たちを支持するファイルの上にサインをしてくれました。その日、私は自分を考慮しないように試みました。私はこれからもずっと他人のことを優先に配慮したいと思っています。

  これらのことに従事する時、私は、「幾千幾万の中国人は私たちの助けを待っており、新唐人テレビ局が放送する真相を渇望している」と自身に注意を促しています。新唐人はさらに多くの中国人を救い済度することにとても重要な役割を果たしています。私はこれを法輪功修煉者の責任と見なして、EU議会へ行くことやユーテルサット社の前で開かれた集会に出席するべきです。これより更に重要なことは何もないと思います。この事件の深遠な意義はすでに私の理解を超えています。

  師父はいくつかの情景を手配して私の執着心を露わにさせ、このような機会は多ければ多いほど良いと思います。随時随所で内に向けて探ることはとても重要で、それだけやって、やっと自分が多くのことに執着していることを発見しました。今、私はそれらをはっきり見ることができて、それら表面まで上がって来ました。執着はとても深く隠れていて、甚だしきに至ってはこれらの執着心があることに気づくことができないのです。師父に対する感謝は言葉でうまく表現できませんが、私は堅持して師父の按配してくださった道に沿って修煉し続けます。

  師父にお礼を申し上げます。同修の皆さん、ありがとうございます。

 (2008年ヨーロッパ法会の発表原稿)

  2008年12月6日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/12/3/190955.html