日本明慧
■印刷版   

良い人になるが、良い人になることに執着しない


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)最近、同修が人心を放下し、常人に認められるようになったのをよく見ます。大変うれしく思います。しかし同時に、少し心配しています。一部の同修は家族のため毎日料理をたくさん作っています。一部の同修は息子の嫁をあたかも皇女のように大切に面倒を見ています。一部の同修は親戚のためにたくさんのお金を使っています。少し行きすぎではないか、常人の中の良い人になることに執着しているのではないかと私は思います。修煉者はまず常人の中の良い人からなり、さらによりよい人になって行き、常人がなれないほどの良い人になりますが、決して単に良い人になることという問題と混同すべきではありません。

 修煉者として、何事も自然のなすままにして、何かあれば内に向かって探し、他人のために配慮し、常人と争わず、正々堂々と修煉すれば十分だと思います。これは、家事を一身に請け負い何でもやることとは違います。

 修煉者として、心を修めると同時に、私たちにはたくさんのことをしなければならず、時間的にも精力的にも限界があります。もし、たくさんの時間を家族の看護、洗濯、料理のために使ってしまえば、もはや他のことができなくなります。家事をした事のある人なら分かると思いますが、一日三食と家事だけでも十分忙しくなります。一人の修煉者として、常人としても、皆常人社会の中で暮らしています。常人社会には常人社会の理があり、すべての人は自分の家庭に対して責任と義務があります。息子は親孝行しなければならないが、修煉するようになったからといって、常人社会のことを無視するわけにもいきません。もし、ある常人がいつも仕事をしていて、他人のためにたくさんのお金を使っているのなら、彼も周りから良い人としてみなされるでしょう。もう一つの面から見ると、私たちは時間、労力、金を無駄にしているのではありませんか? これは旧勢力による新たな按配であり、常人の情がその中に混じっているのではありませんか? 私は自分の目で見ましたが、ある年配の同修は息子や孫の面倒を見て、餃子だの、饅頭だの、今日は魚料理、明日は肉料理などと常に身をささげ、旧勢力に隙に乗じられ、迫害されるようになり、大法から離れるようになって、今日になっても戻ってきていません。

 ですから、すべては自然の状態が最も良いと思います。家族を思いやると同時に、家族もあなたを思いやってくれ、時間を大切にすることができればこれは最も良い状態です。

 以上は個人の認識に過ぎず、不足があればご指摘お願いします。

 2008年12月7日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/8/191262.html