■日本明慧 http://jp.minghui.org/2008/12/08/mh105220.html 



法を正すことに必要とされるものは修煉者の選択である(二)

文/ドイツの大法弟子

(明慧日本)自然科学の研究をしていた私が、新聞社の広告セールスマンになった過程は簡単そうに見えますが、この間に、たくさんの執着を取り除くことが必要とされ、私の心性に対する試練でありました。二つの職業は専門知識が違う他、人に対する要求も全く違います。この点が、私の広告の仕事が成功するか否かに大きな影響をもたらしました。大紀元のセールスチームの中で、私はいつも連絡をしている他の同修たちは、私にない特徴がありました。彼らとふだん接している中で、私は自分がこれまで認識できなかった執着に気づきました。ある同修は私と交流するとき、私は人と話すときに相手の目を見ず、他人が何かを話していてもまるで聞いていないかのようで、それは他人を重視していないのではないか、と言いました。私は、話すときに相手の目を見ないのは執着なのだろうか、と思いました。しかし、このように考えると、ただちに自分の質問に答えが出たかのように、自分自身に執着し始めました。

 ふだん、私は自分の意見が最も重要であり、法に対する認識はこうだ、自分はこのことはこのように行うべきだ、自分自身がどれほど忙しいのか、私は自分自身がどれほど法を実証したなど、家庭においても自分が絶対的で、他の家族や彼らの気持ちを無視し、「私は法を学ばなければならない、静かにしろ、私は煉功するから妨害するな、私は電話をするから向こうに行ってくれ」などと自分自身のことばかり強調していました。

 私はこの自分自身に対する執着のため、何かをするときに必ず顕示したり歓喜の心が出てきたりします。他人が私の意見に同意してくれないと、ただちに怒ったり相手が間違っていると指摘したりしていました。他人と私のやり方は異なっているため、この人はどうしてこんなに変なのだろうと思ってしまい、何にしても自分自身に執着してしまいました。

 思い返せば、ふだん私は真相を伝える方法も、完全に自分の角度に立っていました。自分のっ伝えたいことを絶え間なく相手に伝え、相手に話す暇さえ与えず話をして、私はすべての真相を相手に一気に伝えようとしていました。相手の私の話に対する反応を観察することもなく、相手の必要に応じて、受け入れ能力に応じて話してはいませんでした。得てして、真相をはっきり伝えるどころか、相手は何も反応せずそのまま電話を切ったり、無視したりすることがよくありました。広告の宣伝にしても、相手に電話を切られて終わるのではだめで、広告を載せてもらう必要があります。このように、私に対する要求が高くなりました。

 その後、私はふだんの人々との接し方や考え方を変えようと努力しました。営業の経験のある同修に学んだり、自分の率直な話し方の現状を変えないままで、相手に話すときの態度や相手の気持ちを配慮するようにしました。いかに聞き手の立場に立って話すのか、客先のために考えるのか、客先の心を感動させるのか、これは営業マンにとって最も大切なことです。もちろん、この常人社会におけるセールス業界の手法、特徴などについても勉強しなければなりません。私は、人間関係に注意するようになり、マーケティングなどの資料も読むようになり、さらに営業マンの教育にも参加し、この分野における業務能力を高めることを気をつけるようになりました。

 師父は、『二〇〇七年ニューヨーク法会での説法』の中で次のようにおっしゃいました。「世間の各種の職業はあなたのために提供された修煉の場所です」広告を探す過程で、さまざまな考えを持つ人間に出会います。私の修煉も三つの段階を経験しました。人に非常に安易に動じられる状態から、顧客が何を言っても心を動じられない状態、さらに私が顧客の心を動じさせる状態にまでなりました。最初は、私の話す声や心構えも客先の変化に応じて変化していました。例えば、相手の声が大きくなり、大紀元に対して何か意見を持ってしまうと、私も気づかないうちに大きな声で相手を説得するように、相手を圧倒しようとしていました。これはその後、顧客がどのような態度であろうと、認めるにしても反対しても、広告を出す気があってもなくても、私は常に慈悲の心をもって落ち着いて話すことができるようになりました。

 これと同時に、師父も私の体にある良くないものをたくさん取り除いてくださいました。一時期、私の喉はかれてしまい、大きな声で話せなくなりました。喉がかれるたび、その後なおると、前より話し方がやわらかくなったことに気づきました。今は電話をかけると、いつも客先から「あなたの声はとても心地よいですね、これまで会ったことはないですか」と言われました。またある客先に「本来ならもうあなたと話すことはありませんが、声を聞いてなぜか惹き付けられ、もっと話したくなりました」と良い、結果、その人と20分以上話すことができました。

 私は修煉が変化するにつれて、客先の反応も変わってきました。ある客は非常に怒って「あなた達の広告は本当にひどいです。もうあなた達のところには広告を載せません」と言いました。しかし数ヶ月後、私が彼女に電話をすると、彼女は私に注文を出しました。今、私はもはや電話をかけるとき、直接自分の伝えたいことを話し、終わったらすぐに切るのではなく、まずは友人同士のように客先と世間話をし、良好的な良い関係を築き、客先の信頼を獲得しなければなりません。しょっちゅう、客先は、彼らの個人的な心配点を私に教えてくれます。また、『共産党についての九つの論評』を読みたいという人もいます。中には『党文化を解体する』の特報を送るよう、また大紀元の新聞を見たいとか、どうやって新唐人テレビが見れるか、どこで『転法輪』が読めるかなど、いろいろなことを聞いてくる客がいました。あるコックは、私に「中国に戻ったとき、十数部の大紀元新聞を村の人に配りました」と言いました。ますます多くの顧客が私に対して、「大紀元の新聞は本当によくできています。ますます読みたくなってきました」と言いました。

 短い一年半の修煉の体験は本当に多いものです。正念がますます強くなりました。私自身も話し方や心構えに大きな変化があることに気づきました。大法の威力に驚いています。私がこんなに短い期間で、何も分からなかった状態から成熟した営業マンに変えてくださいました。

 私は法を実証するプロジェクトを行う中で、向上が最も大事だと思いました。また私は、それらのいわゆる自分の特徴は、実は自分の人間社会において自分自身を束縛するものだと気づきました。広告を宣伝する過程で、これらの執着を次から次へと破ることができました。同修による助けに感謝します。さらに、師父が私にこれらを修煉するチャンスを与えてくださったことに感謝いたします。

 皆さんありがとうございます!

 (2008年ヨーロッパ法会での体験発表)

 2008年12月8日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/12/3/190958.html

明慧ネット:jp.minghui.org