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「あまりにひどい」状態から早く目覚めよう(一)


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)

 一、個人の経歴

  私は1999年に法輪大法を修煉し始め、ほかの同修と同じように深刻な「試練」を経てきました。上京して大法を守り、2回連行されて労働教養処分5年半を強いられました。この邪悪な苦難の日々の中で、真理を堅持する一念と絶えず大法を暗記していたことを通じて、師父の慈悲なるご加護のもと、同修たちの激励を受けて、「試練」を受けながらここまで辿り着きました。この経験は意志を錬磨させ、多少向上しましたが、しかし邪悪にたくさんの執着心を拡大され、さらに自分が学法を続けられなかったことが原因で、法理に対する認識がはっきりしていませんでした。

  たとえば拘禁されていたとき、師父の説法の『法を正す中で必要なのは正念であり、人心ではない』について考え、「私はなぜ迫害されるのでしょうか?」と自分に聞いてみました。どのようなことが『あまりにもひどい』と言うのでしょうか? (当時は自分が出てきて法を実証しているので「あまりにひどい」とは言えないと思っていた) 何から目覚めなければならないのでしょうか? 法を正すことへの邪悪の魔難を如何に見るのでしょうか? 法に照らして自分の問題を多少探し出せますが、たとえば「自分を実証すること、利己的、円満成就に執着すること」などです。しかし、これらのすべてについて内心から問題をはっきり見分けたのではないと感じました。だから師父の経文の『警告の言葉』にあるように、本質的に自分を変えてはおらず、やはり表面上にとどまっていることが分かりました。「威力無辺の大法とすばらしさ」を実証することができず、逆に知らないうちに衆生を救い済度することにマイナスの影響を与えてしまい、結局、労働教養処分を終えて家に帰っても疑問を抱えていました。

 家に帰った後、同修の助けのもとで、私は家庭生活から、仕事、学法修煉がまた正しい軌道に乗りました。そして大法のすばらしさを実証することから身の回りの環境を変えました。最初は、娘を連れて学法し、後に妻が加わり、それから両親および姉妹などが加わりました。三退(脱党)を勧めるのは身の回りの親友から始めたのです(最初やはり慎重にしていました)。法理に対する認識と向上は『明慧週刊』のおかげです。同修の体験談が私にたくさんの疑問を解消させてくれ、私の考えを広げてくれました。その後、よく学法して、朝の煉功にも参加して、四回の全世界の正時発正念を堅持して、途中で止めた数人の同修を助けて再び大法の修煉に入らせました。今年、また同修の出資援助、および指導のもとで、私は各地にあまねく咲く花の「一つの花」(資料点を各地に設置すること)となって、現地の資料をずっと援助に頼っている情況から改善しました。外に出て資料を配布することもよくできるようになりました。この法を実証して修煉する実践の中で、人心があり甚だしきに至って退くこともあります。緊張で疲労を感じて時間が足りない、まだまだ足りないとおもいますが、しかし内心はとても充実感があり、三つのことをする中で本当に以前からの疑問が解消されました。

 二、自分の体験

  今年、明慧ネットから、悪党が「オリンピック」を口実にして、大法弟子に対する迫害をエスカレートし、大法に一定の損失をもたらした事を知りました。邪悪がすでに雀の涙のようになった今日、どうしてまだこの最も邪悪な迫害が存在しているのでしょうか? 師父が『法を正す中で必要なのは正念であり、人心ではない』の中で「人間は神に対して何ができるのでしょうか? 外的な要素がなければ、人間は神に何ができるのでしょうか? 人類社会での現れは高次元生命の制御によってもたらされたことに過ぎません」とおっしゃったことから容易に理解できます。つまり、この邪悪な迫害は外来の要素よるものです。それでは外来の要素がこの歴史上で最も邪悪な苦難を造ったのは、一体なんのためでしょうか? 私達はなにから目覚めなければならないのでしょうか? あまりにもひどい状態とは何なのでしょうか? これはもともと私の内心から理解できなかった疑問です。この期間、私はよくこの法を覚えて学び、さらに同修の貴重な文章を通読して、そして人心を抑えて「あまねく花を咲かせる」ことを実践しています。

 (続く)

 (明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

  2008年12月8日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/11/28/190604.html