回帰の蓮(二)
(明慧日本)
二、集団学法で、内に向けて探すことを会得
1、称賛の中にあって内に向けて探す
集団で法を学ぶグループが至る所でできてから、何か問題があると、同修達はすぐ交流し、今までずっと表に出てこなかった古い修煉者も出て来るようになり、病業に妨害される同修も交流を通して、早く向上し、関を乗り越えられるようになりました。ある時、私の発言を聞いてとても勉強になると言われ、よく交流会に誘われていました。最初は同修を手伝うのは当たり前だと思って、よく行きました。しかし、次第に自分が法を学ぶ時間もなくなるくらいの状態になったのです。ある時、同修がやって来て、「ぜひ李さんのところへ行ってください。前回交流してから、李さんは病業の虚像が消えました。しかし、李さんは集団学法に行きたがらず、あなたが行かないと行かないと言い、他の同修がいくら言っても聞きません。今また病業の虚像が現れてきたそうです」と教えてくれました。
それを聞いて私は驚き、きっと自分に問題があると思いました。その日の午後、私は集団学法に参加しましたが、心を静めて法を学んでいると、新しい法理が次から次へと目の前に浮かんできました。私は以前、集団学法の時は上の空で、ちょうど師父の指摘された「大法弟子にいるが、大法にいない」というように、いつも大げさに言い、歓喜心や自己顕示欲に気づきませんでした。それに、自分のそのような言行により同修に崇拝する心、頼る心が生じました。大法から随分それていて、実に危ないのです。集団学法が終わった後、私は自らその古い同修に謝りました。自分の執着のせいで、彼にも影響を与えてしまったのです。実は人を救うのは大法であり、我々は集団学法を続けさえすれば、師父はいつでも同修の口を借りて迷いの中の私たちに自分の間違いを分からせるようにヒントを与えてくださるのです。実はこのすべては師父がなさっておられるのです。私の話を聞いてから、その古い同修も感動し、これからは必ず師父の教示された通りに集団学法に参加すると言いました。師父はこのことを通して、私の執着を暴き出し、そして、それを取り除くことによって向上させるように段取りをしてくださり、本当に心から師父に感謝いたします。
2、同修と共に関を乗り越え、共に向上する
ある年配の同修は邪悪に迫害されて、足が痛み、もう半年も部屋を出ていないのです。同修達は彼女のために正念を発し、彼女の家で法を学びましたが、やはり好転しませんでした。私は何度も彼女と一緒に法を学んだり内に受けて探し、交流したりしました。すると、彼女は子供を恨む心、安逸を求める心、お金に執着する心を見つけ、またそれらの心を取り除くようにしました。
その後、彼女は心を静めて法を暗誦することができ、また1、2時間引き続き正念を発することができるようになり、ずっと良くなりました。しかし、足がやはりたまに痛むのです。そこで、私たちはまた交流しました。彼女は人心を放下し、三つのことをよく行い、外で真相を伝えに行く事ができなくても、家で真相資料を作り、旧勢力の按排を徹底的に否定し、師父の按排された道しか歩まないと決心しました。次第に向上していくにつれて、彼女はまた自分に幸せな家庭や結婚への執着があることに気づきました。そして、夢の中で色欲の関を何度もよく乗り越えられなかったことから、その心がきれいに取り除かれていないため、邪悪に隙に付け入られたと分かるようになりました。
彼女の向上を見て、私はとても嬉しく思いました。と同時に、なぜそれを私に見せたのでしょうか? このことを通して、師父は何を悟らせようとされているのでしょうか? 自分もきっと同じ執着を持っているに違いないと思い、落ち着いて内に向けて探してみると、2002年に、2回目に強制連行されたことの根源が分かるようになりました。当時、私はずっと放浪して身を落ちつける所がない状態にあり、夫から離婚を言われ(私が極端に走ったため、夫は大法に対して誤解した)、離婚の手続きをしていませんが、赤の他人のようになったのです。その後、そのことを知った海外にいる妹に、「こちらで結婚相手を探すから、写真を送ってくるように」と言われ、私は目の前の苦境から抜け出そうと思い、承知したのです。後で写真を撮ってから、まだ郵送していないうちに、強制連行されたのです。師父のご加護の下で、派出所から脱出できましたが、6年経ってから、やっと強制連行された原因、つまり、いわゆる幸せな家庭や家族への執着を発見しました。昔はこれらの考えを当然のことのように思っていましたが、今法に則って考えてみると、それは人心であると分かるようになりました。心を修め、欲を断つということは大法の要求だと私は思っています。
そこで、私たちはその問題に関する師父の説法を真剣に学んだり、また明慧ネット編集部の『心を修め、欲を断つ』、『男女問題と婚姻問題について』をよく読んだりすることを通して、自分の歩むべき道がもっとはっきりと分かるようになり、これから正念を固め、師父の期待に背かないように、もっと清らかに衆生を救い済度するように決意しました。
3、自我を放下し、全体を圓容する
10月の連休に入る前に、私を含む3人の同修はDVDを作り、連休の時に親戚や友達に贈ろうと思っていました。後の2人の同修は一緒に住んでいるため、便利だから、ディスクを彼女たちの所へ持って行こうと思いました。このことに対して、同修の小萍さんは賛成でしたが、もう1人の同修の大華さんは反対でした。大華さんは毎日町で真相を伝え、脱党を勧めに出かけているので、彼女が出かけてから、小萍さんと一緒にしようと私は決めました(実はすでに壁が生じた)。翌日、大華さんが出かけてから、私はディスクを持って行きました。しかし、途中で大華さんが早めに戻り、我々が書き込みをしているのを見かけると、「持って来ないでほしいと言ったのに、何で持って来たの」と言うので、「いいじゃないの」と私は返事しました。ところが、10分後にノックする音がしました。「どうする?」と大華さんは悪人ではないかと思い、ちょっと緊張して私に聞きました。「放って置こう、開けない」と私は言いました。
しかし、ノックする音はますます大きくなってきました。そこで、私は手を止めて、早く片づけをしてから、正念を発するようにと彼女たちに言いました。しかし、外にいる人はまだ離れようとせず、隣人の所へ「電気がついているのに、何で開けてくれないのか」と聞きに行きました。「どのようなことがあっても、今日は絶対に開けない」と私たちは意見をまとめました。私は正念を発しながら内に向けて探しました。自分はあまりにも自己に執着しすぎて、同修の状況を全然考慮しないので、同修に圧力をかけ、厄介なことをもたらしたのです。これからは以前と同じように、自分の家で書き込みをして、同修に対して寛容になり、自己に執着する心を取り除き、よりよく全体を形成するようにと決意しました(後で訪れてきた人は不動産屋と判明)。今、私たちはチームワークがよくとれています。
(続く)
(明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)
2008年12月9日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/11/24/190162.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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