回帰の蓮(三)
文/中国大陸吉林省の大法弟子
(明慧日本)
三、根本的な執着を取り除き、勇猛邁進する
自己に執着する独りよがりの心をずっと取り除くようにしていますが、どうしてもきれいに取り除くことができず悩んでいました。三つのことを行っているとはいえ、停滞しているように感じています。少し前、同修とのトラブルを通して、つくづく反省し、やっと根本的な執着を見つけました。私と一緒に法を実証する仕事をする若い同修を手伝ったことがあり、お互いによく知っています。しかしこの前、彼に2回も根も葉もない悪口を言われました。1回は彼の住宅の電話を使って、十何元もの長距離電話をかけたと言われ、もう1回は無断で彼のパソコンを使ったため、故障したと言われたのです。その時、私は「もともと事実無根の話で、たとえ本当にこのことがあったとしても、他の同修の前で言うべきではない」と思ったので、大声で「そんなことはないよ。パソコンが故障したからと言って、私と何の関係がありますか」と反論してしまいました。傍にいる同修に内に向けて探すようにと注意されて、初めて自分に問題があると気づきました。
家に帰ってから心を静めて法を学びましたが、師父は『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』の中で、「大法の中での修煉、法を正すことと皆さんが法を実証する中に偶然なことはありえません」とおっしゃいました。また、「現在存在している最大の問題は先ほど私が言ったこの問題でもあり、つまり自分を修めることができず、内に向けて探すことができないということです」ともおっしゃいました。そこで私は真剣に内に向けて探しました。
私は別に大法の基点ではなく、人情の立場で彼に対処したのです。彼を自分の子供のように思い、自分が良いと思うものを彼に押しつけ、その代わりに彼にも同じように自分に対処してほしくて、そのようにしてくれなかったら、自分が不満に思ってしまうのです。そして、私は夫や子供に対しても同じだったのです。全然彼らの気持ちを考えず、いつも大法を口実に自分のやりたいことをやり通すのです。そのせいで、今になっても夫はまだ大法に対して誤解を持っているのです。今回の投稿も同じですが、明慧の知らせを見た時、昔投稿しても発表されなかったし、自分がよく修めていないから書かないことにしよう、その時間があれば、大法の学習に使ったほうがましだと思い、それは師父の要求、大法を正すことの要求とまで考えず、ただ自分の立場に立って物事を考え、自分のやりたいことに執着していたのです。明慧ネットで発表された小冊子『同修の皆さんに法会への投稿を重視してほしい』を読んでから、やっと悟るようになったのです。
師父は「肝心な時、わたしは皆さんを人間と決別させようとしているのだが、皆さんはわたしについてこようとはしていない、一回一回の機会は二度と現れてはこないのだ。修煉とは厳粛なもので、差はますます大きくなるのだが、修煉の中にどのようなものであれ人間のものを加えることは極めて危険なことである。」(『精進要旨一』「根を掘る」)と教えてくださいました。大法弟子である以上、師父の教示されたとおり行わなければならないのです。ですから、投稿しようとしないのは、大法を以って自分の執着を隠そうとして、自分を変えようとしない行為であり、それは旧勢力と同じ類なのです(今の段階の認識ですが、正しいとは限りません)。小冊子の中に編集された同修の文章を読むことにより、それらの良くない観念や自己への執着が解体されました。
それから、家庭や婚姻への執着ですが、『婚姻、家庭に関する交流文章』の第一編『「いわゆる美しい愛情と人生に憧れる」という根本的な執着を取り除く』の文章を読んで、まったく同感しました。それらの執着を取り除かなければならないと昔から分かっているのですが、実際の問題に遭うと、やはりぼんやりしてしまいました。今、根源が分かるようになったとはいえ、やはり確実にそれを徹底的に取り除かなければなりません。これから一つの思いや一つのひらめきを大事にし、法を正す最後の段階で精進し、衆生を救い済度するように頑張りたいです。
慈悲深い師父に感謝申し上げます!
今回の交流会に参加する中国大陸の同修と明慧編集部の同修に感謝致します! すべての同修が正念で加持することに感謝致します!
合掌!
(完)
(明慧ネット第五回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
2008年12月10日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/11/24/190162.html)
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