神韻公演を準備する過程での修煉体得(一)
文/オランダの大法弟子
(明慧日本)
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
1999年の初め、私は幸いにも法を得て、心身ともに大いに恩恵を受けました。9年来、精進に邁進できず、至る所で自分を厳しく要求せず、師父の按排された修煉の環境を大切にしなかったため、一筋に歩んで来た道は揺れ動いたり、困難を伴ったりして、多くの修煉の時間と機会を無駄にしてしまいました。師父の慈悲なる救い済度により、私はここで同修たちと共に交流し合う機縁を頂いたご恩に感謝します。個人の次元は限られていますので、適切でないところは、ご指摘をお願いします。
2008年の春、同修たちの正念の下、オランダで神韻公演を開催することができました。その時、神韻公演の準備作業は、執着心を取り除き、自分を浄化し高める修煉のきっかけになったことをはっきりと認識しました。作業時間は比較的短かかったのですが、しかしこの過程で皆がいかに存分に協力し合うことができるかは、公演に関わるすべてを一つの全体として行い、すべての力を最大限に発揮することができるかどうかによるものです。
私はずっと人と接することを恐れ、対立や誤解されるのを恐れ、面倒くさがりやで、うまくすることができないことを恐れていました。さまざまな人心がすべて私を邪魔していました。そのため、私は同修たちとの自発的な連絡や交流はめったにありません。月日が経つうちに、自分の内心の深い所で協調は私とあまり関係ないことだと思い、用事ができるとほとんど受動的に対応し、師父の求められる、「寄らず待たず、法を実証する中でしっかりと自分の道を歩みだす」のように実行することができませんでした。
公演の準備作業の中で、私も一部の協調の仕事に参与しましたが、あまり積極的に自分の尽くすべき責任を引き受けませんでした。私は困難と矛盾に直面した時、表面上はできるだけ我慢して穏やかに対応し、一部の仕事を引き受けることにしました。しかし、実際は内心の深い所で、私はすでに力を尽くしており、するかしないかはあなたたち自身の問題で、私が配慮することはないだろうと思っていました。実はこのような考えはやはり協調をただの仕事にして、自己を捨てられない利己的な心理状態で、結局、私は清浄で慈悲な善の心で同修たちと共に法を実証することはありませんでした。
私はいつも、皆と一緒に法を実証するプロジェクトや真相を伝える活動をしていますが、しかし実際、自分を本当に全体の中に円容し、無条件に同修たちと協力することはありませんでした。この歪んだ考えが暴露された時、私は自分の極端な利己と不善を意識しました。長い間、自分の執着心、良くない観念、業力はすでに旧勢力に隙に乗じられて、次第に私と同修たちを隔離したことを自覚していませんでした。
今、私はいつも自分の歪んだ考えを是正し、本当に自己を捨てることができ、心性が高まって来た時に、自分を黙々と全体の中で円容し、同修たちと共に衆生済度の大法のプロジェクトをしっかりと行うことだけが、正法時期の大法弟子のあるべき境地に達することができると理解しました。
公演の2日間の仕事はとても忙しく、人手不足の中で、皆が受けた圧力はとても大きかったのです。一部の修煉者の間で、仕事の手配に対して多くの不満と誤解が出てきました。私は、自分の執着と不足で、いくつかの方面でしっかりと行っていないから生じたものであることがはっきりと分かっているので、何も説明しませんでした。しかし、心の中ではそれは私1人だけの問題ではないのに、どうしてすべての矛先を私に向けるのかと思いました。そのような辛い思いと不公平だという常人の心が引き起こされてしまいました。
師父は『シンガポール法会での説法』の中で、「誰でも何かのことに出会った時いつでも外へ向かって探します。あなたはなぜわたしにこのようなことをしたのか? 心の中に不平を抱き、自分の問題を考えません。これは全ての生命にとって、一つの最大かつ致命的な障害です」と説かれました。
確かに、私はずっと本当に内に向って探すことができず、よく対立した時、当然のようにすべて外を見て、他人の不足を探し、時には不公平であるとさえ感じました。月日が経つうちに、同修に対して歪んだ観念が生じ、正念の不足と安逸の心が強いことに加えて、自発的に同修と直ちに交流することをせず、双方の隔たりはますます大きくなり、いつの間にか仕事をするだけのようになり、自分が修煉していることを忘れてしまいました。
(続く)
(2008年欧州法会での体験発表)
2008年12月10日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/12/3/190959.html)
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