日本明慧
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「あまりにひどい」状態から早く目覚めよう(二)


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本) 

 (二)体験して感じたこと

 1.どうしてこの邪悪な魔難が発生するのか

 なぜならば、外部からもたらされる邪悪の元は「旧勢力」—いわゆる試練を理由とするもので、悪人を利用してごろつきの手段を取って行う大魔難は、根本的な執着心を隠し持った学習者を捜し出すでしょう。ですから、邪悪な妄言を前にし、迫害の状況が発生した時、これに左右され動揺して妨害され(恐怖心に駆られ学習せず、煉功しないで、甚だしきにいたっては大法と反する方に向かって行ってしまう)、「船翻り帆断たれ命を逃れて去る」学習者は、これでは旧勢力から徹底的に探し出されてしまいます。修煉の道はここから断たれてしまいます! あのわずかな心ある人たち—観念上、大法弟子として根本的変化がない彼らも、たとえまだ大法弟子として自分を堅持していても、やはり邪悪によってひどく妨害され迫害は深刻になり、したがって魔難はさらに重くなって長期にわたってしまいます。邪悪の目的は、あなたに修めさせず、鍛えさせず、常人の意識から脱することをさせず、神の領域に入ることをさせず、最後には師父にあなたを放棄させ、基準に合わない大法弟子をふるい落とすことで、実際これは邪悪で恐ろしいことであり、私たちは決して騙されてはいけません。

 2.外来の要因が魔難を作る根源は何か

 私の体得では、あまりにもひどく、はっきりしない人心を無くせないことが根源にあります。魔は心から生まれ、断ち切るのが難しい人心は、魔を招くことこそあれ、根本から人を転換させる観念はありません。自分を神と見なし、骨の髄から形成された人としての道理を変えられず、徹底的に「邪悪な旧勢力」を否定することができないことが、外来の要因にその「あまりにひどい」修煉者に焦点を合わせ、探し出して試させることになって、魔難が生じます。「あまりにもひどい」ため外来の要因に隙に乗じられてしまい、さらに妨害や迫害されるはめになります。「あまりにもひどい」から修煉が精進できず、正念を持たず、人心の執着を拡大するので、必ず邪悪が現れ、あなたの「魔難の表層」を探し出し、それによってあなたを制御し、あなたにこの魔難の中から出てこられないようにします。「あまりにもひどい」ので魔難に遭うたびに神の念がなくなり、「修煉してでき上がった一面、本性の一面」は法を正すことを忘れてしまい、「神の一面」を抑えたため、邪悪が按配した魔難の勢いがあなたを右往左往させ、妨害する事ができます。それであなたは「人」の考えに従ってぼんやりしているうちに「旧勢力の按配」を承知してしまいます。するとあなたはどんなことでもさせられ、どのようにでも思わせられてしまい、正念が全てなくなり、完全に悪に制御され、常人の中に引き止められます。これこそ「あまりにもひどい」状態の結果で、法の中からさらに明確に理解できることは、この「あまりにもひどい」状態は結局自分に「後悔、焦りと絶望」しかもたらさないのです!

 3.「あまりにもひどい」とは何か

 修煉中の「あまりにもひどい」状態について、誰もが皆、精進していないことを指していると知っています。例えば、三つのことを全部することができない人、いまだに学法煉功を続けることができず4回の正時に発正念をしない人、自分をしっかりと修めずに、執着心をなくせず極端に走る人、執着心が繰り返し表れる人、自己を堅持して自分を実証する人、全体に協力せず他人だけを変えたくて、自分を変えず、内に向かって探さすことをしないで、内に向かって修めない人、怠惰で安逸を求め、色欲の悪魔に妨害されて意志消沈している人、自分の責任と使命を忘れて、正念そして正行を行なわず正しく道を選べない人・・・これらの理性的ではっきりしない様子を指す表現は、すべて「あまりにもひどい」と言うことです! 「オリンピック」の前後、まだたくさんの同修の間に「期待、依存、待つ」などの人心があったのに、教訓を得ず、これはもっと「あまりにもひどい」のです!しかし、私はこれらの「あまりにもひどい」は、やはり表面上のものであると認識しており、この中にまだ根本的な変化がないため、これらの表現があるわけです。本当に根本的な「だめ」とは、私の理解では、修煉の錬磨を通じて法理に対する認識が昇華、向上し、根本的に自分の観念を変えるかどうか、千百年以来、骨の髄から成り立った「人」の理を変えるかどうか、「人の念」を変えて「神の念」になるかどうか、大法から与えてもらうばかりで犠牲を払うことをしたくない私利、自我の本性を変え、他人優先の無私無我の正覚者になるかどうか、徹底的に旧宇宙の法理から生まれ変わって、完全に他人のために考え、自分には無欲となり、もっと多くの衆生のために考えて責任を負い、本当に本心からこれらの観念を変えられるかどうかということにあると思います。もし、これらのことができれば、完全に「あまりにひどい」ことを否定して、正しく法を正す道を歩むことができます。そうなれば、魔難がまだ存在するでしょうか?

 4.迫害の増加は仮相である

 今年、悪党は迫害をエスカレートして法に一定の損失をもたらしました。しかし、この迫害は9年という長い間存在し、なぜ終わらないのでしょうか? 9年来の事を振りかえってみると、社会の情勢は目まぐるしく変化してきました。「7・20」を初め、焼身自殺の偽造事件、十六大、第4回中央委員会全体会議、人権会議、江沢民を訴える事件、人権聖火、九評と脱党、世間の人の目覚め、正義なる弁護士の官吏への公開状、領事館役員の亡命、南方の大雪、四川の大地震、フラッシング事件、新唐人の放送中断、オリンピック前後の予言など、情勢の変化が次から次へと起こり、プラスとマイナス、良し悪しが混乱していますが、法の中から私達は悟ることができます。要するに毎回の社会情勢の変化はいずれも修煉者の人心を暴露していて、これらの人心があることこそ各種の社会の変化を助成したのです。ですから、表れた事と社会情勢は修煉者の人心から生まれたため、表面の情勢が千変万化しているにも関わらず、すべてが仮相と言えます。外来の要因による妨害、邪悪な迫害は本当であり、暴露された修煉者の人心と不足が真実であり、私達に悪を一掃する機会が与えられたことも本当のことです。このようにすると、この悪党がオリンピックを口実にした迫害は、1つの仮相であります。私達は思い切って仮相に直面し、不足を補い、根本的に「人」の観念を変え、そして法を正す天象に協力して、主導的に全面的に外来の邪悪の要因を一掃し、もっと理性を前面に出して世間の人を救い済度することこそ、真相なのです。私達が仮相を通して本質を見る時、目の前の仮相に惑わされることがなくなり、いつも頭をはっきりさせることができます。

 5.目覚めよう、そうしなければならない!

 師父は説法の中で何度も私達に、目覚めてくださいとおっしゃっておられます。目覚めましょう! 目覚めることこそ、ようやく私達がはっきりとわれわれの歩む修煉の道を正して、さらに私達が世の中に来た本当の意義と目的をはっきり見ることができます。あれらの邪悪と魔は私達の足もとで踏むべきものであり、「両脚は千魔を踏む」(『洪吟』「大覚」)なのです。ですから、人心を放下し、学法を精進して、早く自分の内心から変化し、本質的に昇華するようにしましょう。世間の人を救い済度し、外来の邪悪な要因を一掃しましょう。

 (続く)

 (明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 2008年12月10日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/11/28/190604.html