日本明慧
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幸運にも法を得て、止むことなく精進する(一)


文/スペインの大法弟子

(明慧日本)師父こんにちは! 同修の皆さんこんにちは!

 私は2007年4月から修煉を始め、修煉期間はまだ短いですが、大法を修煉して以来のさまざまな経歴と認識は、私に新しい命を得たように感じさせてくれました。私は3年前にすでに法輪大法のことを聞いたことがありましたが、『転法輪』という本の存在は知りませんでした。それで、当時は私の人間の一面の注意を引き起こすことはなかったのですが、しかし神の一面は私にもっと深く理解するよう啓示していました。当時の私は、自分が常人社会の流れに流されないよう気をつけており、歴史や芸術領域で探索するよう自分を導いていました。しかし、人間の一面は常人の事を行うことを放棄しようとしませんでした。

 『転法輪』を読み始めたときは、なぜか分かりませんが、この大法は特別なものであると言う予感がありました。『転法輪』を読み終え、私は公園の煉功場に行くことを決心しました。しかし大きな妨害がありました。当時、妻は私が煉功に行きたいと言っただけで激怒し、私を行かせようとしませんでした。それでも私は最終的に行く決心を固め、どんなことがあっても行くことにしました。しかし心の中では、家に帰ってからの妻の反応を恐れていました。驚いたことに、家に帰ってからは何も起きませんでした。妻は私が心配していたように怒るどころか、煉功がどうだったのかと聞くのでした。

 修煉の初期、私は他の学習者のように身体に特別大きな変化はありませんでした。修煉前から大きい病気や痛みがあったわけではなかったからです。徐々に私は身体が浄化され、元の自分はまるで汚い下水管のように汚物がたくさん詰まっていていたように感じました。私の性格は特に悪く、頑固で身の程知らずな者でした。修煉後、妻や両親及び会社の同僚はみな私の性格の変化に気がつきました。

 私は16歳の時から喫煙、飲酒を始め、修煉前の私はタバコをたくさん吸っており、飲酒も日常茶飯事でした。何度かやめようと思ったこともありましたが、やめられませんでした。修煉後、師父のご加持の下、私は容易にタバコ、酒をやめることができました。このことから、執着を放棄しようと思えば、まずそれを本当に放棄したいという堅い心が必要であることを悟りました。その心があれば、必ず放棄することができるのです。私は身体の変化から更に大法の修煉に対する決心を堅め、自分の一生をかけて法輪大法を修煉しようと決心しました。

 修煉して間もないとき、私にとっては非常に大きい病業の試練がやってきました。ある日、会社に出勤したとき、私は体の調子が悪いのに気がつきました。全身に痛みがありましたが我慢はできるほどでした。しかし、仕事が終わって家に帰ると、体温が上昇し、頭が割れそうに膨張し、痛みが激しく爆発しそうでした。体からは冷や汗がにじみ出て、悪寒で震えました。土曜日の午後になると体温は40度近くまで上昇し、頭痛で頭は割れそうでした。私は師父が身体を浄化してくださっていると心の中では分かっていました。当時は発熱が激しく、身体も苦しかったのですが、私の決心は堅く、日曜日には公園でみんなと一緒に煉功しようと決心しました。翌日、妻が休むように勧めましたが、私は公園に行きました。公園に着いたとき、身体の痛みが一気に軽減しました。その日の夜は大分身体の調子が良くなったと感じました。これは私が経験した最も大きい病業の試練でした。

 法輪大法を修煉してまもなく、私は新経文を読み始め、大法の修煉にはまだまだたくさんの内包があることを認識しました。例を挙げると、学法、発正念と真相を伝えることです。しかし、私は毎日十時間以上仕事をしており、朝晩の通勤時間を入れると、家に帰るともうかなり遅い時間になり、家ではまた妻と一緒に洗い物など家事をしなければなりませんので、学法すると煉功の時間がなくなり、煉功をすれば学法の時間がなくなるといった感じでした。また妻が怒るのを恐れ、時間を作って一緒にテレビを見たりもしていました。自由な時間は本当に少なかったのです。同修は毎朝5時から行っているネット上での学法、発正念、煉功に参加したらどうかと提案してくれました。朝の五時と聞いたとたん、引っ込んでしまいました。え?!早すぎる! 毎日十時間働くだけでもうくたくたなのに、起きられるわけがない! しかし、これは怠ける心が私が精進するのを妨げていることを私は知っていました。この惰性を克服して朝起きてみんなと一緒に学法と煉功をしない限り、永遠にこの状態から抜け出すことはできないだろうし、時間を作って師父が要求されている三つのことを行うことは永遠に不可能です。そして、私は決心を堅め、朝5時の学法に参加することにしました。一旦決心をすると、すぐ行動に移す必要があります。しかし、事は想像していたより難しくはありませんでした。つまり、私たちの正念が強いときは惰性が弱くなり、克服することも容易になるのだと気がつきました。今日に至るまで私は毎日朝の集団学法、発正念、煉功を堅持しています。予想外ですが、睡眠時間が短くなったにもかかわらず、返って睡眠時間が長かったときに比べ精力的になりました。

(続く)

(2008年欧州法会での体験発表)

 2008年12月11日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/5/190962.html