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「あまりにひどい」状態から早く目覚めよう(三)


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)

 (1) 自分を高めること。本当に学法の中で、修煉の中で自分を高め、三つのことをしっかり行い、法を実証して衆生を救い済度しなければなりません。私はいつも三つのことを自分に照らし合わせています。学法、煉功、発正念は要求通りにしたがっていますか? 効果はどうですか? そして絶えず不足を探して自分を調整しながら、いつも自分の法を広める資料点を運営する中で、どのような不足があるのかを見直します。真相説明ではまだどこが良くないのか? 現地の実際状況を踏まえて真相説明の方法を探求し、このように絶えず自分にしっかりと行うよう促しています。

 (2)認識を高めること。私達の修煉の真の目的は何でしょうか? 世間で常人が求めている理想のすべてと関係がありますか? 魔難の仮相の中で、私達ははっきりとそれを認識すべきで、 くれぐれも愚かにならず、学法を通じて心を把握しなければなりません。私達は世の中に来て、享受し恩恵を受けにくるではありません。世間中のいわゆるすばらしい理想を叶えるのでもありません。私たちは衆生のために来て、衆生のために奉仕し、衆生のために責任を負ってきたのです。ですから、自分を楽にすること、自分の 苦しみに耐えることとはすべて関係りません。はっきりとこの一念を守るべきです。まだ浮き草のように、何かが発生したらすぐ愚かに動じてはいけません。どんな事に出会っても衆生を済度することと自分を高めることに関係があります。目標をはっきりさせ、するべきことがあったら理性的に行わなければなりません。「いかなる心も動じなければすべての変動を制することができます!」『米国中部における説法』)「内を修めて外を安定させる」の法理を、師父はおっしゃったのではないでしょうか? 私は次のように悟りました。絶えず自分を修めて、正念で邪悪を一掃し、心性が高まって昇華したら、外来のすべての邪悪の妨害がなくなるのです。すると自身の空間場はすべてきれいで、安定した状態です。これこそ本当に安全、安定の根本です。こう見ると、やはり問題は自分の内心から工夫して解決しなければなりません。もしやり遂げることができるならば、外来の魔難が消え、邪悪が自ら消滅することになります!

 (3)「成熟」を冷静に認識すること。今日まで歩んできて、法を正す時期の成熟した大法弟子はどのような状態かを私は深く体得しました。成熟の基本は、正念がますます強く、人心がますます少なく、行動はますます理性的に、真相説明がますます上手く、世間の人に直面してますます慈悲になることです。いつも心を静めて、自分は成熟まであとどのぐらいだろうかと自問し、直ちに自分のたくさんの不足を探し当てることができます。

 (4)主役と脇役をはっきり見分けること。中国この大舞台では、大法が大筋であり、大法弟子がこの劇の主役、そして人類社会で輝いています。 この劇は邪悪を表現するのではありません。邪悪が小さな脇役にしかすぎません。社会情勢が激しく変わり、表面上は複雑に見えるのですが、実は表面を通して芝居中の主役と脇役をはっきりを見分けることができます。衆生はすべて大法のために来たので、私達は師に遵って自分の誓約を実現しに来ました。衆生を済度する偉大な責任と使命を背負って、そして目標はただ一つしかありません。それは衆生を済度することです。他はすべて私達と関係がなく、情勢がどう変わっても私達と何の関係がありますか? ですからこれらの情勢の表れは、大体が私たちの注意力を分散し、私が自分の使命を果たすことを妨害する仮相です。それは、いつもこの劇を左右したくて、中身をすり替えて、役を替えたいためであり、この点をはっきりを認識しなければなりません。私達こそ主役であり、その他はすべて脇役です。一部正義な人が現れますが、それも大法弟子が真相説明した効果で、世間の人を呼び覚ましたことで彼らが立ち上がったのです。それも大法に協力するために現れたものです。一部の社会形成は、私達が衆生を救い済度する中で正しく利用できる補助的な作用をはたらき、衆生を救い済度するために使うことができます。ですから、それらの社会形成はいずれも脇役にすぎません。私達こそ正々堂々としたこの劇の主役です。頼ったり待ったりせず、まだ外来の自然の変化を期待してはなりません。それらの計り知れない衆生はすべて私達に期待しています! 私達が主動的にこの芝居をうまく演じて、千万年来の期待を大事にし、この洪大な誓約を果たすしかありません!

 (5)はっきりとした意識をもって根本から人の観念を変え、人の理を転換すること。人の執着はすべて自分のためであり利己的であって、自分が円満成就するため、他人から良くしてもらい条件があれば他人を助けたり、自分が楽にできるためなど、人間の執着は私のためにあります。もし私たちは根本的に修煉の目的がすなわち完全に他人のためにあり、より広い範囲の衆生のためにあると認識でき、衆生のため、すべての命のために対して永遠に責任を持つことができ、この人間世界で苦を嘗め尽くしても、自分のすべてを放下しても衆生を救いたいという思想境地があれば、もはや何に執着することになりましょうか? まだどのような断ち切りにくい人心がありますか? こうして自分が高まってから見下ろしてみれば、人の執着がたくさんなくなり、人心がきっと薄くなります。私達が険しい峰によじ登る時、緊張、恐怖、心配、疲労、苦しい、何かを食べたい飲みたい、休みたいなどの諦める心が生じます。しかし、あなたが本当に堅持して最後に険しい峰までたどり着いてから奇観を見ると、それまでのすべて人心がたちまち消えてなくなり、その登る途中で思っていたことをもう一度考え直すことは絶対にしません。この時、あなたはすでに別の感じ方があるでしょう。なぜならば、上に登ることができれば根本的な変化がすでに起きているからです!

 (6)冷静な考えをもって歩んでいくと、行けばいくほど楽になり、頭の中のものはもますます少なくなります。その時に、ただ一つだけの念だけがありました。法に同化して自分を浄化し、衆生を救い済度することです。その過程で絶えず自分を浄化し、引き続きさらに多くの衆生を救い済度します! さらに多くの人を救います! 師父は説法の中に教えておられます。静功を煉功するとき、最後には足や、体、手、頭すべてがなくなったと感じ、どこに行ったのかも思いつきません。「ただ自分の思惟があるだけで、わずかな意念だけが自分が今ここで煉功していることを知っています。われわれはこの程度にまで達することができれば十分です。」(『転法輪』)。ですから、私もこれについて、今日の大法弟子は何をするかに関わらず、ただ「すべての出発点は世間の人のためであり、衆生を助うため、他人のため自分は無欲になる」という一念だけがあれば十分です! その時は、本当に自分がなくなったように感じます。

 以上は個人の浅い悟りであり、不足のある部分はご叱正ねがいます! 最後に、師父の説法で皆さんと互いに励まし合い、早く目覚め、師の恩を無駄にすることなく私達の使命を果たすようしましょう!

 「 目覚めてください! 歴史上最も邪悪な魔難も皆さんを目覚めさせることができなければ、法がこの世を正す時、驚愕と後悔の中で、自分が本当にだめだという自責と絶望の中で、真に修煉してきた大法弟子が圓満成就する際の壮観ぶりを目のあたりにするしかありません。これも自分自身が撒いた因果なのです。私は一人の大法弟子をも手放したくはありませんが、皆さんは真に法を勉強し、修煉する中で自らを高めなければなりません! 法を実証する中で世の人々を救い済度し、大法弟子として行うべき三つのことをしっかり行ってください。精進して下さい。常人の心による執着を放下してください。神への道はもう遠くはありません。」(『法を正す中で必要なのは正念であり、人心ではない』)。

 (完)

 (明慧ネット第五回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 2008年12月12日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/11/28/190604.html