日本明慧
■印刷版   

黒龍江五常市:張林傑さんが迫害される

(明慧日本)黒龍江省五常市山河鎮の法輪功修煉者・張林傑さん(64歳女性)は、1996年12月、病気をなくしたいと、法輪功を修煉し始めた。修煉後は、身体が健康になっただけでなく、暗い性格も明るく、楽観的になった。しかし、法輪功を修煉したことで、これまで9年あまりの間に、何度も五常の中国共産党に不法に拘禁されて迫害された。そのため彼女と彼女の家庭に極めて大きな苦痛をもたらした。

  2000年の4月下旬に、双興派出所の警官・趙偉東、王建輝ともう1人の氏名不詳の警官らが、張林傑さんの家に侵入して、不法に捜査したが、彼らが欲しがっていたいわゆる証拠が見つからず、師父の写真をみて持ち去ろうとしたが、張林傑さんに取り戻された。警官らは「師父の写真を焼却しないと、強制連行する」と、張林傑さんを恐喝した。

  2001年11月、張林傑さんは同修と一緒に北京天安門へ法を実証しに行った時、3人の武装警察の包囲攻撃に遭った。その中の1人は彼女の首を締め、あとの2人は彼女を無理やりパトカーに押し込んで連行し、不法に五常市北京駐在事務所に拘禁した。3日後、五常市公安局副局長・陳樹森と、国保大隊のリーダー・戦志剛は、彼女を五常留置場へ送って拘禁した。張林傑さんは16日間断食して抗議していたが、生命が危うくなったのを見て、陳樹森はやっとある警官に彼女を家に帰すように命じた。しかし、この警官は300元を強請り取ってから、やっと承知して張林傑さんを家に帰した。張林傑さんの家計はとても貧しくて苦しいため、彼女の息子があちこちにお願いして回り、やっと300元を借りてきて、警官に渡した。

  何日間か経ってから、双興派出所所長・王戦果と警官の趙偉東、王建輝は、張林傑さんを見舞うという口実で、また財物を強請りにきた。警官らは「張林傑さんが北京から帰って来る時の費用は全部派出所が出したので、派出所に1千元を払え」と強請った。張林傑さんは「上京するときのお金は自分で出したし、自分で行って帰って来たのに、なぜお金を払わなければならないのか? 迎えに来てもらう必要はなかったのに・・」と、言った。それを聞いた警官らは、しおしおと帰って行った。

  2002年2月5日、双興の共産党書記・肖傑と、派出所所長・王戦果、警官・趙偉東、王建輝は、張林傑さんの家に不法に侵入した。肖傑は「法輪功は良い!! だから、くれぐれも家で修めて、北京へは行くなよ」と言った。張林傑さんは彼らに真相を伝えた。彼らに法輪功の不思議さと、自分が患っていたすべての病気も良くなったことを伝えた。彼らは聞き終わってから帰って行った。

  しかしながら、翌日午前7時過ぎに、警官・王建輝と、趙偉東は再度、張林傑さんの家に不法侵入し「五常から使いの者が来たので、話を聞きたい・・話を聞いたらすぐに帰すから」と、嘘を言って彼女をだました。なんと、張林傑さんはそのまま杏花山留置場に拘禁されてしまった。

  張林傑さんは断食して抗議したが、警官や受刑者に無理矢理潅食された。1回でも食事をとらなければ、すぐに口や鼻から塩やコーンの粉を潅食されて、迫害された。4カ月と7日間後には、張林傑さんは迫害により、身体が極度に衰弱してしまい、やっと警官は家族に迎えに来るように知らせた。五常の「610弁公室」と、公安局、留置場は、彼女の小姑と、義理の姉、それぞれから500元と、200元、400元を強請り取ってから彼女を家に返した。

  2005年9月のある日、五常の「610弁公室」の莫振山は、部下を引き連れて、山河鎮派出所の盧洪福、及び2、3人の警官と一緒に、2台のパトカーでやって来て、突然、張林傑さんの家に不法に侵入し、家事をしている張林傑さんを、有無を言わせず強制連行した。そして「610洗脳班」へ入れて迫害し、付艶春は、彼女に強制的に法輪功を誹謗するビデオを見せて、三書を書かせようとした。秋の収穫の季節で人手が足りない時期でも釈放せず、1カ月過ぎてから、やっと張林傑さんを解放した。

  2008年12月12日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/9/191290.html