日本明慧
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大法修煉に戻り再出発する


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)

  一、誤った道から正道に立ち返る

  私たち夫婦は1998年に法を得ました。夫は当時肝硬変の腹水で、何度も入院治療を重ねて、すでに深刻で救いようがない状況になっていました。ちょうどその時、私たち夫婦は同時に大法に入り、法を得て2カ月足らずで、夫を苦しめた5年あまりの頑固な病気が消えてなくなり、体は完全に回復しました。

  ところが、「7・20」から、私たちは師の法に対する信仰を堅持しなくなり、心性を高めることなく、大法が受難する時に立ち上がって、大法のために法を実証することをせずに、だんだんと、修煉の環境を失ない、大法のために力を尽くさず、求めるばかりで、まったくの常人でした。このようにして数年が過ぎ去り、2006年の春から夏になるころ、夫の持病が突然再発して、2カ月足らずで亡くなりました。家には2人の娘がいて、小さい方はやっと1才で、私にとってこれは大きい試練でした。これから大法の修煉に戻るのか、それとも大法から離れて、永遠に機縁を失うかに直面しました。

  私は改めてじっくり何日か考えた末、大法の修煉に戻ることを決心しました。師父は私を見捨てることなく、同修は私を放棄することもせずに、しばらくの間平静な心で法を学ぶことを通して、同修たちは私の学んだことのない『経文』と『明慧週刊』等を送って来ました。一通り読み終えて、分からないことはすべて法の中から解答を探し当てました。この時にやっと、私たちは正法時期の大法弟子で、師父は私たちにかつてない最高の誉れを与えて頂き、私たちは師の正法を助ける大法徒で、私たちは衆生が救い済度される唯一の希望であることを悟ることができました。私と夫がこの境地に歩んで来て、夫が亡くなることは、私たちが旧勢力の手配した道を歩んだためでした。旧勢力は私たちの堅固でない心を捉えて、それを強化し、拡大させ、私たちに修煉させないことで、私たちを落とし、大法を放棄させようとしました。私は徹底的に旧勢力のすべての手配を否定して、法を学び、心を修めて、三つのことをしっかりとやり遂げて、修煉に勇猛邁進しなければならないと思いました。

  二、関門を突破する

  2006年に改めて大法修煉の道に戻って来てから、『明慧週刊』で早朝の集団煉功の時間が発表され、師父はこの特殊な時期に改めて私たちに集団煉功の環境を与えられました。しかし初めは、私は時間通りに起きることが出来たり出来なかったりして、後でまたとても後悔しました。この時私はこれが魔の妨害で、私に煉功をさせないように、私に怠け心が生じた時、妨害がその心に沿って強化し、拡大し、煉功できなくさせるのだと認識しました。私は必ずこの関門を突破すると心の中で繰り返し自分に言い聞かせました。眠る前に、頭の中で何度もこの意識を強化して、師父が私のこのような心を見られたかもしれず、時間になったら師父が私を呼び覚ましているように、定刻に起きて煉功することができました。ある時「抱輪」をした時、突然、たまらず、腕も千斤のように重く、持ち上げることができず、しっかり立てず、横になって休みたいと感じました。しかしその時、これが魔の妨害であると思い出して、発正念で私を妨害するすべての邪悪な生命がもたらす仮相を取り除き、決して従ってはならないと思いました。そこで私は発正念を始めて、2分も経たない内にこのような症状は消えてなくなり、頭と全身は汗びっしょりでした。私はそのまま最後まで功を煉りました。

  その中で、もし私がこのような仮相に順応し、直ちに発正念でそれを取り除くことなく横たわって休んだら、その結果は想像つかないと悟りました。師父は『轉法輪』の中で、「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある」と教えられました。私は師父のこの教えに対していっそう深まった理解ができました。

  三、人間の観念を取り除き はじめて神の正念が生ずる

  法を学ぶことに深く入り込むにつれて、出かけて法を実証し、衆生済度をして、自分の先史からの大願を実行しなければならないと思いました。私は郊外に住んでおり、村に大法を修煉するものはほとんどおらず、すべて自分でやらなければならないため、心の中は恐れていました。その上長女は学校に通わなければならないし、次女はやっと2才になって、昼間は生活のため、出かけるのは夜しかできませんが、しかし夜も家のことに安心できません。こう言った常人の考えが出て行く障碍になっていました。私はしっかりと経文を読み、法を学び、だんだんと、私のこのようないつも「私」の立場から自分を考慮する考え方は、まさに旧宇宙の中の「私」なのではないか、そうすれば私たちが修煉しているのは旧宇宙の利己心そのものです。このような利己的な心を取り除かなければ、どうして新宇宙の大覚者になれるでしょうか? 師父は私たちに無私無我で、他の人を先に、自分をあとにする正覚まで修めることを要求しておられるのに、私はまた常人の観念で物事に対処し、常人の観念に束縛されていました。これを突破するために、私は法をしっかりと学び、発正念でこれらの良くない物質、常人の観念を取り除いて、正念を強めました。真相資料の配布は世の人々に真相を知ってもらい、衆生を救い済度し、法を世に正す時更に多くの衆生を淘汰させないためです。私はついにこの一歩を踏み出しました。

  私は資料を配布する前にまず発正念をして、師父の加持を求め、衆生の救い済度を妨害するすべての邪悪な要素を取り除き、配布した資料が更に多くの縁のある人を救い済度ができるようにしました。私は先に自分の村から配布して、それから徒歩で3、4里離れた隣の村まで配布することにしました。時には日暮れで、山すその小道を歩いていると、人家はまばらですが、しかし私はちっとも恐れませんでした。師父の法身、護法の神がすべての大法弟子を護っています。私たちが法の上で行動さえすれば、師父は私たちを護られるのです。

  師父は『洪吟二』の「法正乾坤」の中で、「慈悲は能く天地の春を溶かし、正念は世中の人を救う可し」と言われました。私たちは共に邁進し、常人の観念を捨てて、ようやく神としての正念が現れます。これらは私個人の修煉上の体得で、不足等があればご指摘を願いながら、共に励まし合って、師父の法を正すことを手伝う偉大なる歴史的責任をやり遂げましょう。

  2008年12月17日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/12/10/190896.html