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遼寧省朝陽市:張立田さんが錦州刑務所で迫害されて死亡

(明慧日本)遼寧省朝陽市の法輪功修煉者・張立田さん(36)は、不法に錦州刑務所に1カ月あまり拘禁されていたが、2008年11月17日に監禁区長に示唆された4人の受刑者にめった打ちされて死亡した。

大法弟子・張立田さん

 以下は消息筋からの事実である

 2008年11月17日午前9時頃、錦州刑務所の20監禁区の区長・程軍、副区長・張宝志は、絶食して1日経った張立田さんを2階にある受刑者が休憩する場所に呼び、受刑者の李勇と劉裴岩を呼んできた。そして2人に示唆して4人の受刑者が一斉に手を出し、張立田さんに対してめった打ちを3、4回繰り返した。

 当日の昼食時、刑務所にいる人達は張立田さんが食事をしにくる姿を見ていなかったためとても怪しみ、彼が独房に拘禁されたのではないかと思っていた。用心棒の劉裴岩が上か降りて来て、「法輪功(張立田さんのこと)は私に打たれて服従した! 張立田は、自分の口座に200元あまりの金があるのでインスタントラーメンを買って食べたい、いいですかと俺に聴いたよ」と、自慢げに話した。

 当日の午後2時過ぎ、張立田さんが最後にめった打ちされて、壁の隅に身体を丸めて動かなくなった。悪辣な程軍、張宝志はまた李勇、劉裴岩に張立田さんを見張るように指図した。このとき、彼らはまた「法輪功(張立田さん)はどうしたの? とぼけて起きないよ?」と冗談を言った。 彼ら2人が引っ張ろうとしたら、すでに死んでおり、目をあけたままだったことが分かった。

 午後3時、張立田さんが李敬など受刑者らに2階から運ばれて、給食用の台車で受刑者の病院に入れられたことを目撃した人がいる。医者は「すでに死んでいるのに、いまさら運んでどうするの?」と言った。

 今第20監区の163人の拘禁された全ての人達は、張立田さんが無残にも打ち殺されたことを知っているが、刑務所側は真相を隠蔽している。

 張立田さんが亡くなった3日後、錦州市郊外の地区検察院が錦州刑務所に立ち入り調査した。程軍、張宝志はすでに指定した受刑者に話した。「検察院が調査に来たら、お前らはどう言うか、知っているか?」、受刑者達は2人の歓心を買うため、「大丈夫」と言った 。結局検察院が調査しに来た時「病死した」と証言したが、他の受刑者達は全てこの人たちを軽蔑している。

 第20監区の区長・程軍は当区の経済的な下請人であり、彼は利益ばかりを追求して、いつも受刑者を強請り、厳しく応対し人間性が全くない。普段は受刑者に残業を強いて徹夜しても食事を与えず、一晩中労働をさせ、皆はおなかがぺこぺこで憤っている。法輪功修煉者・張立田さんは自分には罪がないと主張して、奴隷労働を拒否したので、程軍、張宝志の2人は前後の見境いもなく怒り、いつも張立田さんに体罰を加え、最後には無残にも打ち殺した。

 張立田さんが殺された後に、錦州刑務所の監獄長・辛庭権は程軍を呼んで、「自分の大隊に発生した事は自分で後始末をしろ」と言った。

 11月24日、張立田さんの家族は火葬場に駆けつけ、張立田さんの死体を見たかったが、錦州刑務所のある警察は火葬場の従業員に、「家族が見てから火葬するように」と言った。従業員は「家族のサインが必要です」と話した。12月5日、錦州市検察院は家族に刑務所に死亡証明書を取らせたが、張宝志は渡さなかった。

 悪党が法輪大法を迫害した後、張立田さんは何度も現地の公安にかき乱され、迫害された。2008年4月に山東省で遼寧省錦州市公安局の反×教小隊及び支局に錦州まで連行された。 第1留置場に監禁されて、今年8月に不法に5年刑罰を下された。10月に錦州刑務所の第20監区に移送されて11月17日に迫害されて死亡した。張立田さんの家には70歳あまりの父親と9歳の小学生の娘がいる。

 張立田さんの家族は、今現在でも錦州市検察院と交渉して、法医学者に死体の検査を求めている。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年12月17日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/12/12/191493.html