9年間の風雨は止むことなく、師に随って法を正す
文/中国大陸山東省の大法弟子
(明慧日本)私は今年58才で、妻と共に法輪大法を修煉しています。私は1999年3月に、妻は1999年5月に法を得ました。
私たちが法を得て間もなく、江沢民をはじめとする邪悪な集団は法輪功に対して史上かつてない迫害を始めました。2000年7月、現地では同修8人が不法に連行され、労働教養を受け、情勢は極めて厳しいものでした。
悪人は天地を覆い隠すような宣伝で大法を誹謗し、師父を誹謗しました。私は、どうしても資料を用いて真相を伝え、衆生に真相を知ってもらい、大法の潔白と、師父の潔白を明らかにしなければならない、と思いました。私と妻はほとんど毎晩出かけて真相資料を配布し、長い年月に亘って欠かすことはありませんでした。一晩に20数カ所の村落を回って、1千部あまりの真相資料を配布し、多い時は約1千5百部を配布したこともあります。資料を配布すると同時に、私たちは文字を刻んだ型を持ち歩き、「法輪大法好」、「真善忍好」の文字を至る所の電柱や壁にラッカーでスプレーしました。周囲の100以上の村落を、私と妻はすでに何度も回りました。遠いところは、私たちは午後出発して、夜に資料を配布し、翌朝の6〜7時にようやく帰宅しました。
毎回出発する前に、私たちは必ず師父にお香を捧げて、師父の肖像の前にひざまずいて師父から安全を加持してもらいました。毎回無事に帰って来ると、私たちは師父にお香を捧げて、師父の肖像の前にひざまずいて、師父に平安を報告し、師父の慈悲なるご加護にお礼を申し上げました。私たちはいつも師父が法を正し、衆生を救い済度する手助けをしたいという願いで出発し、師父の慈悲なるご加護の下で無事に帰って来る事ができました。
私たちが資料を配布する時、相手を見失ったことが2度ありました。私は妻を探しましたが、2時間過ぎても見つからず、間もなく夜が明けると思うと、焦りで眼は涙でいっぱいになり、私は師父に、「師父、彼女は手元に衆生を救い済度する真相資料を持っています。彼女を帰って来させるようにお願いします」と願いました。すると頭をあげたら、妻はすでに私の目の前に立っており、私は感謝の涙が止まらなかったのです。
ある日、私たちは夜資料配布に出かけました。妻は自転車に乗って高さ10数メートルの土手から転んで落ちましたが、師父のご加護により無事だったのです。またある日の夜、妻は自転車に乗ってスピードを出し、途中で道路のガードブロックにぶつかり、自転車はぼろぼろになりました。妻はひっくり返りガードブロックのむこう側に何メートルも先まで放り出されましたが、私は妻と一緒に「私たちは大法弟子です」と発正念をしました。そのときも師父のご加護のお陰で無事でした。
2003年のある日、資料を配布した時、村中には犬が多く、妻は足をくじいてしまいました。私たちは、「どんなに苦難に満ちていても、しっかりと師父の法を正すことについて行きます」と正念を発した。家に帰ると、子供は「これからお母さんの代わりに私が宣伝ビラを配布しましょう」といいました。ある日の夜、私は1人で資料の配布に出かけました。間もなく私は自転車に乗ったまま街頭の水のくぼみに突進してしまったのです。水と泥が混じったくぼみの深さは太ももまでありました。私は力を入れて自転車と資料を岸まで先に引き上げ、そして登って来たところ、犬はすでに私を囲んで吠えていました。その時1人が出て来て、「何をしたのですか」と聞くので、私は、「ハイキングだ」と答えると、相手は、「こんなに早くハイキングするのですか?」というので、私は、「早くても歩かなければ」と応じて、そして資料を整理して出発することにしました。時には疲れて四肢を投げ出して地面に寝そべり、また空腹と喉が渇いて、歩きたくないときもありました。この時、私は師父が「法を正すことは容易ではない」と仰った事を思い出し、私たちは師父の法を正すことをしっかりと手助けをして、その道のりに追いつかなければならないと思い、直ちに立ち上がって引き続き前へ進みました。私は4年連続師走の29日にもなお資料の配布をしに出かけて、衆生に新年の祝福を届けたのです。
1999年7.20の時、町は人を派遣して私を監視しました。私は仕入れの予備金の2千元を出して、監視する幹部に、「もしあなたたちが私を抑制し続けるなら、私は北京にいってきます」と言った。悪人はとても恐れて手の打ちようがなかったのです。町の組織は大法を誹謗するビデオ映像を見たり、そして法輪功を修煉するものに対して写真を撮ったりして、いずれも私に厳しく断わられました。私は村の中共支部書記に不実を改めることを求めました。このようにして、町の警官と幹部はやっと謝罪に出てきました。私は断固として邪悪からのいかなる指図にも協力しませんでした。私は真相資料を持って中共支部書記の家へ行き、彼に真相資料を読んでもらいました。彼はやっと真相を理解してくれ、しかも力を尽くして大法弟子を守るようになったのです。
2000年7月、現地の法輪功修煉者8人が不法に労働教養をされた時、同修たちは私に少しよけて回避するように勧めました。私は師父と大法をかたく信じて、動くことなく通常通り商売をしました。本当に師と法を信じさえすれば、乗り越えることのできない山は存在しないと思ったのです。
私は商売をするところで、往来する人々に対してたゆまず頑張り抜いて真相を伝え、毎日多い時で7〜8人、10人、少ない時は1〜2人、9年来中断することなく、何人の人に真相を伝えたかわかりません。
自宅は集団で法を学ぶ拠点で、数年来風雨の中でも一度も中断したことがありません。しかし、私はせっかちで、時には同修と言い争うことがありました。あとでとても後悔して、師父にこのような良くないものを取り除くように加持してもらいました。私の目標は、絶え間なく執着を捨てて、神の状態に達することです。
私と妻は共に学問がなく、この原稿は私が口述したものを子供が記録して、同修が整理したものです。私はみんなが「比学比修」、共に精進し、師に従って法を正し、衆生を救い済度する中でさらに堅固で、さらに穏健で、早急に円満になって、返本帰真できるように師父に随って行くことを願っています。
2008年12月18日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/12/14/191568.html)
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