日本明慧
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大法から心身ともに受益、再び青春の日々を過ごす


文/台湾の大法弟子

(明慧日本)

  偉大で慈悲なる師父、同修の皆さん、こんにちは

  あと数カ月で80才になる私は、65才で定年退職してから毎日のように山登りをしています。ある日、山に登るあたりで「法輪功」と書かれた横断幕を見かけたので、尋ねようとしましたが、4人の男性が座禅をしていて、邪魔をしてはいけないと思い、訊くのをやめ、あとで聞くこともしませんでした。その後も私は依然として毎日そこを通って山登りをして、あっという間に1年が過ぎました。

  ある日、1人の80才のお婆さんに出会い、どこへ行くのかと尋ねたところ、お婆さんは座禅して煉功に行くのだと答えました。私は好奇心から、法輪功ですかと聞いたところ、彼女は「はい、あなたも見に行ってみませんか?」と言われました。私は心の中で、ちょうど私が聞きたいことだったので、好奇心で彼女について行きました。みんなが私を見て、一緒に煉功しないかと誘ってくれました。「私でも大丈夫ですか?」と聞いたら、皆さんは「もちろん大丈夫です」と答えてくれました。私は皆と一緒に煉功して、「抱輪」のところまで煉ると、同修たちは、「もしあなたの手がだるくなったら、下ろしても構いません」と思いやりのある言葉をかけてくれました。煉功が終わり、皆が私の動作がとても良かったと言いましたが、私は心の中で、「1日目で良く煉られるはずがない。おそらく私が手を下ろさなかったからだ」と思いました。

  翌日私は定刻にまたそこまで煉功しに行き、終わってからみんなで法を学びました。しかし私は本を持っていませんでした。同修に、「あなたは一式の本を買ってください」と言われました。私は心の中で、「この人たちは本を売りさばいているのではないか? 本を読まなければならないと知っていたら来るのではなかった」と考えました。私が考え込んでいた時、ある同修は「あなたはまず『轉法輪』を買いましょう」と言いました。私はもう明日から来ないつもりでいるのに、また私に本を買わせるなんて、と心の中で考えながらも、本はどこで買うのかとつい尋ねてしまい、相手は「益群書店」だと答えました。書店で買うのなら、本を売りさばいていることにはならないと確信しました。

  私はその日に益群書店に行って、一式の本を買いました。一冊一冊の本を棚に並べると、きらめく金色の光はとても美しくて、たとえ読まなくても十分です。娘が帰って来た時、私に「どうしてこんなに多くの本を買うのですか? お母さんは読んでも分からないし、本を読むのも苦手ではないのですか」と冗談半分にからかいました。

  その日の午後、私は『轉法輪』を手に取って開けてみると、内容はすべて口語文で、私にも比較的分かりやすいと思いました。第一講の『本当に高い次元へ人を導く』で「わたしは、法を説き、功を伝えるにあたって、常に社会と学習者に対して責任をもつことを念頭において来ました。ですから得られた結果も良く、社会に与えた影響もかなり良いものでした」と書いてあるので、社会と学習者に対して責任を持つなど気軽に言えるものではなく、まじめに書かれていると、ますます愛読するようになりました。私の分かる字はそんなに多くなく、以前学校で習ったのは日本語で、中国語を習ったことがなかったのです。それで私はノートを用意して、毎晩孫か息子に聞き、それから1字1字を日本語で発音を記しました。こんな調子では、いつになれば読み終えるのだろうかと思いました。それから2カ月でやっと1回読み終えました。今は2日で『轉法輪』を読み終えることが出来ます。

  煉功場では第5式の功法を煉らなければならず、はじめは痛いのを恐れて、座禅を組みませんでした。それから9日の講座も行きたくなく、煉功する時いつも咳をしていました。以前、医者から咽喉のアレルギーで、治らないと言われており、その上、漢方医に果物を食べることができないと言われていました。煉功して2カ月が過ぎた頃、同修に、あなたは最近あまり咳をしていないねと言われました。私は家に帰って息子の嫁に、「私は最近咳をするのが少なくありませんか?」と訊いたら息子の嫁は「そうみたいですね」と言いました。私はまた心の中で、医者に果物を食べるのはいけないと言われていましたが、煉功点の同修たちは皆、「何を食べても大丈夫です」と言うので、その夜、私は思い切ってミカンを2つ食べて横になりました。翌朝起きるまでに本当に咳をしませんでした。この時から私は煉功する自信が出来て、やっとまじめに座禅を組むことを始め、9日の講座にも参加しに行きました。

  法を得る前に私は3年も咳をしていて、漢方薬を飲んで10数万元を使っても良くなりませんでした。私はまた高血圧があり、毎日必ず薬で制御しなければならず、もうすでに35年も薬を飲んでいました。その他私は白内障もあり、毎日薬を塗っていました。大法を得ても高血圧の薬を止める勇気がなく、1年間飲み続けました。ある日薬を飲むのを忘れてしまったのですが、何ともなかったので、私はとても驚喜しました。それ以来高血圧の薬も飲まなくなり、目薬も使わないことに決めました。心の中で、法を得た以上、すべてを捨てて、師父と法を信じる事にしようと思いました。師父は『ヒューストン法会での説法』の中で、「あなたは求めることがなくて、あなたはそれをかまわないようにして、煉功することのみ考えて、煉れば煉るほど良くなり、煉功して帰ってから一晩ですべての病気がなくなるかもしれません」と話されました。師父のおっしゃる事を聞くのが間違いないでしょう。

  8年が過ぎ去り、私は2度と高血圧の薬を飲んだことがなく、目薬を使うこともなく、咳もとっくにしなくなり、私は修煉に対していっそう堅固になりました。毎朝4時に家を出て、30分かけて煉功点まで歩いて行っています。風が吹いても雨が降っても、ひどく暑い夏も、寒い冬でも欠席することはありませんでした。もし私がうっかり寝過ごしたら、タクシーで急いで煉功点まで駆けつけるでしょう。なぜなら私が定刻に横断幕を掲げ、煉功音楽のプレーヤーを持って行く責任を負っているからです。私は自分に厳しく求め、毎日できるだけ三つの事をしっかり行うようにしています。

  かつての同僚、古くからの友人は私に会うと全て、私が「若くなった」と言います。私の歩きがそんなに軽やかなのはどうしてかと訊かれます。私は彼らに「これが法輪功を修煉した結果です」「あなた達も一緒に煉功しませんか」と言います。

  私は三つのことをしっかりと行っているつもりですが、しかし心性を高める事についてはまだ不足なところがあります。

  たとえば、同修同士の談話の中で、相手の話し方がすこしでもきつくなると、私はすぐ不機嫌になり、甚だしきに至っては反発することすらあります。ある日、同修と一緒に事務を執りました。しかし私はこうだ、彼はそうだと言って、2人とも自分が正しいと思い、最後に彼は、「あなたは学校へ行ってないから分からない、私は高校を卒業しているよ」と言いました。その瞬間、私の心は劍に刺されたように、とても痛みました。しかし弱みを見せたくなく、「高校を卒業してもたいしたことはない」と言い返し、2人は繰り返して言い争いました。

  師父は『最後になればなるほど、精進すべき』の中で、「しかし、実際の修煉の中で、苦痛やトラブルがやってきて、心を刺激したとき、特に人間の頑固な観念を刺激したとき、やはりなかなか乗り越えることができません。ひいては試練を与えられているのだと分かっていても、執着を放下することができません」と説かれています。

  私は師父の説かれた通りにやり遂げられず、とても後悔しました。私はその同修に感謝すべきであり、今回の試練では私は関門を突破することが出来ませんでした。今後私は師父の言われることをしっかり聞いて、法をよく学び、よく内に向けて探します。

  ある日私は5才の孫と家にいました。私は彼に『洪吟』を暗記させようとしました。しかし彼は引き続き遊びに夢中になっていて私に取り合わず、私は怒って彼を叱りつけました。すると孫は、「お婆ちゃんは真・善・忍を修めているんでしょう? どうしてこのように大声でぼくを怒るの?」と言いました。まさに棒喝を与えられました。

  数年来、私は故宮観光地で真相を伝えることに参加していますが、私は余りうまくしゃべる事が出来ないので、いつも功法の実演を担当しています。ある日1群れの日本人観光客がやって来ました。同修は、「あなたは日本語ができるから、話しに行ってください」と言いました。その時私の動悸はとても激しくうちましたが、それでも資料を持って勇気を奮い起こし、その人たちの前に行って日本語で、「ようこそいらっしゃいました。法輪功は本当にすばらしい、法輪功は本当にすばらしい」と続けざまに言いました。彼らは喜んで資料を受け取りました。それ以来、大いに自信がつきました。真相を伝えることは思ったより難しくなく、「恐れる心」が私の口を開く勇気を阻害していた原因でした。今後とも堂々とした態度で行うべきです。

  偉大で慈悲なる師父に心から感謝し、これからもいっそう努力して更に邁進します。適切でないところがあればぜひご指摘をお願いします。皆さんありがとうございました。

 (2008年台湾法輪大法修煉体験交流会原稿)

  2008年12月22日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/12/19/191834.html