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修煉に精進し 衆生を救い済度する(一)


文/河北省の大法弟子 新生

(明慧日本)

 一、法を得る

 人生の道程において、見たところ偶然の必然がたくさんあります。子供が学校に通い、仕事をすることになったため、私たち一家は故郷を離れて、都市に住み、苦労しましたが、幸いにも大法に出会うことができました。

 たまに振り返ってみると、師父は早くから私の面倒を見てくださっていたことに感慨を覚えます。私は幼いとき体が不健康で、それに物資も不足していたため、1カ月以上病気を患い、結果として手術の後遺症が現れました。私は常に秘かに自分の筋肉を摘んでは、自分がまだ生きているかどうかを試していました。大人になってから、ずっと辛い日々を送り、負けん気が強く、仕事はとてもよくやりましたが、多くの同僚に恨みの種を蒔いてしまいました。更に常日頃、他人が一言冗談を言うと、こっそりと涙を流したりしていました。またいつも夫の言葉に大いに腹を立て、家の中は常に一触即発の状態で、子供は一日中戦々恐々としていました。こうして悪循環になり、体の状況はどんどん悪くなる一方で、法を得た時には、心臓病、高血圧症などを患っており、特に座骨神経の痛みは、苦痛のあまり死を願うほどでした。当時、医師や薬を訪ね回ったり、香を見たり、憑き物が憑くようなでたらめな功法を練るなどしていました。思いついた方法はすべて試し尽くしましたが、効果はないばかりか、新たな病気が生じました。

 その後、妹が私に『転法輪』を持って来てくれました。読んでから、本当に生命の真諦を見つけた感じがしました。ちょうど自宅の周りに多くの煉功場がありました。2日後、脳血栓の症状が現れました。歩く時、真っ直ぐに歩けず、手も思い通りに動かず、体の左側が思う通りに動かせませんでした。その後、鼻の静脈から大出血し、夫は急いで「速く病院に行こう!」と言いました。なぜなら少し前にもこのような状況が現れ、当時は1カ月あまり寝たままで、立ち上がると頭がぼうっとしました。私は頭を振りました。これは師父が私の体を浄化してくださっているのだと分かっていました。そして『精進要旨』を読み、煉功は一日も中断しませんでした。親戚はこれらを目にすると、本当に不思議に感じました。絶えず法を勉強するに従い、心性もゆっくり向上していきました。

 二、修煉の不思議さ

 修煉の道程で危険な状態が続出しましたが、すべて師父が私たちの代わりに危険をなくしてくださいました。ある日、自転車に乗って町に出かけました。角を回る時、ハンドルをしっかりと握っていなかったため、急に車にぶつかりました。右目が直立した自転車のハンドルにぶつかりました。立ち上がった時、血が顔から流れていると感じました。私の傍にいたおばあさんは「まあ、なんと大きな音、目玉が飛び出しそう!」と驚いて言いました。私は手で傷口を拭き、「私は大法弟子である、師父のご加護があるから大丈夫だ」と思いました。血はその時すぐ止まり、2、3日経つと良くなりました。それは師走の25日のことで、理屈から言えば冬だったので傷が治りにくいはずでしたが、師父のご加護のおかげで早々に回復しました。

 師父は私に煉功する自信を強めさせるため、私が到達できうる各次元で何回も他の空間の光景を見せてくださいました。1999年4月25日、私たちは法を守るために北京へ行きました。街頭に立ち、突然頭をもたげると、黄金色に輝いている大きな輪が見えました。それから、大きな樹が「がちゃん」という音を出し、すぐ2羽の鳩が飛んで行きました。その時、さまざまな大きさの法輪がまばゆいほどに美しく、数え切れないほどありました。警官さえも「あなたたちが煉っているのはなんという功ですか? 本当に素晴らしい、私たちはあなたたちの中に立っているように見えますが、そこを離れると何も見えなくなります」と議論していました。私たちが煉っているのは法輪功であると説明しました。この特別なシーンを見た2人の警官が法を得たか否かは分かりません。

 それから、座禅を組むと常に他の空間の光景を見るようになりました。北京に行く前、座禅は最長30分程度しか続けられませんでしたが、戻って来てからは毎回1時間あまり軽々とできるようになりました。時には座禅をして入定すると、自分が時計回りに旋廻していると感じ、ある時には、広くて果てしない大草原が見え、そして、草原の後には一筋の果てしない道路が現れて、見れば見るほど広くなり、路上には自転車に乗っている人や歩いている人がいました。

 (続く)

  2008年12月22日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/12/14/191536.html