日本明慧
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法を実証する中で昇華する(下)(一)


文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)

五、正念で「スパイ」に対処し、師父の要求に圓容する

2006年のある日、我々地元の共用メールボックスにこんな内容のメッセージが入りました。「だれそれが既にスパイになった。彼は既に同修・甲を裏切り、そのため、同修・甲が強制連行された。この事は彼が自分の口で認めた。彼は最近たくさんの同修の家へ行ったそうだが、それらのことも全部警察に教えたらしい。関係の同修は気をつけてほしい」。

それを読んで、私はドキッとして、思わず心の中で同修・乙を咎めました。というのは1カ月前に同修・乙は無断でその「スパイ」を私の家へ連れてきたのです。同修・乙の話によると、その「スパイ」は既にたくさんの同修の家を回って交流したが、まだ分からないところがあるので、自分が連れてきたのだということだったのです。

私が彼と交流してみたら、彼の出した質問は大体それらの邪に悟った者が常に言う屁理屈だと分かり、私はびっくりして、「このような邪に悟った人をここに連れてくるなんて、同修・乙は本当に理知的ではない」と思いました。というのは、私は昔から邪に悟った者に対して、彼らが理知的でないため、旧勢力に隙に付け入られやすいと言う観念を持ちましたし、たまたまその日私の家に来ている同修がとても多かったからです。しかし事柄がこうなった以上、正念で対処するしかないと思いました。その日の交流を通して、彼の間違った認識を一部正しました。

彼は同修・甲を裏切った十数日前に、また交流したいとか言って、私の家に来たのです。その日、私は同修と一緒にプリンターを修理しているところでしたし、妻も出かけたので、彼に『明慧週刊』を渡して、修理し終わってから、交流するから、先ず隣の部屋で読みなさいと言って、修理を続けました。どのくらい経ったか分かりませんが、彼は入ってきて、「お忙しそうですから、いつかお暇の時にまたお邪魔します」と言いました。そこで、私は彼と簡単に交流したのち、彼は帰りました。

このメッセージを読み終わった瞬間、何かがのしかかってきたように感じました。そのころ真面目に法を学んでいたので、すぐ師父のスパイに関する説法を思い出しました。しかし、自分が分かるだけではまだいけない、このメッセージを読んだほかの同修がもし法理上はっきり認識できなければ、心が動じ、旧勢力の按排を認めかねないと思いました。そこで、私はすぐ自分の考えをメールに書いて、共用のメールボックスに送信しました。その大体の意味は「このことに対して、私はこのように悟っています。つまり、どんなことにおいても正念で対処しなければなりません。師父は説法の中でスパに関する法理を説かれましたが、私の理解では、我々の場が正しければ、そのスパイは或いは逃げてしまうか、或いはその正しい場に同化します。今彼は逃げもしないし、同化もしていないことから考えれば、やはり我々の場に問題があるのです。だから、我々は真剣に内に向けて探すべきだと思います。彼はたくさんの同修の家へ行ったとはいえ、我々は旧勢力の按排を認めないようにすれば、彼には何の働きもできないのです。もし我々のことを全部警察に言ってしまったから、迫害されかねないと言う認識を我々が持っているとすれば、それは我々の修煉の道が彼によって按排されることになるのではありませんか? 確かに彼は2回も私の家に来ましたが、私はこのような按排を認めないのです。彼は邪に悟りましたが、我々は正しく悟らなければなりません。彼は旧勢力の按排した道を歩んでしまいましたが、我々は師父の按排された道を歩まなければなりません」。

このメールを送信してから、圧力がぐっと軽くなったように感じました。その後の数日間、また関係のある同修4人が強制連行されました。

捕まえられた同修を救い出すために全市の協調責任者の交流会の中で、私は自分の考えを言いました。つまり、実はその修煉者(スパイ)も被害者であり、彼は旧勢力に利用されており、実はかわいそうです。なんといっても、彼は法を得た生命であり、彼を大事にすべきです。できれば、我々はやはり彼を救うべきです。チャンスがあれば、私は彼と交流したいと思います。

数カ月後のある日の午前中、ブザーが鳴ったので、ドアを覗いたら、そのスパイがそこに立っていたのです。その時、何人かの同修が私の家にいましたが、みな口を揃えて、「ドアを開けてはいけない。みんなで正念を発しよう」と言いました。彼を入らせるかどうか、私はちょっと躊躇いましたが、法を得た生命を大事にすべきだという慈悲心から、彼を拒絶してはいけないと私は思いました。そこで「昔から、彼と交流して、救ってあげたかったのです。今日はせっかくのチャンスですから、逃してはいけません」と私は言いました。同修達はやはり困った顔をしていましたし、中の2人は迫害されて、身を落ち着けるところがないという状況なので、「私は応接間で彼と話しますから、皆さんは奥の部屋へ行きましょう。或いは、彼が入る時に、入れ違って帰ってもいいです」と私は言いました。

妻は当時正念がとても十分で、堂々とドアを開けて彼を入らせました。すると、彼はびっこをひきながら入ってきました。「どうしたのですか」と私が聞いたら、「これは労働教養所にいた時かかった脳血栓の後遺症です」と彼は答えました。「しかし、この前来た時はこんな様子でなかったですね」と私が言うと、「確かにそうです。今度だれそれ(彼が裏切った同修)が捕まってから、酷くなったのです」と彼は言いました。「それはなぜなのか、まだ分からないのですか」と私が聞くと、「私がとんでもない悪事を働いたからです」と彼は泣かんばかりに言いました。

「夕べの10時ころ、私がベッドに横たわってうとうとした時、師父が蓮にお座りになって窓から来られるのを見ました。同時にまた美しい音楽が聞えました。師父は私の頭をお撫でになりながら、「ある人に会いに行きなさい」とおっしゃいました。それは誰だか私に分からないので、師父は文字の謎かけをなさいました。それでも、私はやはり訳が分からないので、師父は微笑みながらある方向を指差されてから、去って行かれたのです。私はぱっと目覚めて、同修・甲を裏切ったのは間違いだと分かりました。またその文字の謎はあなたに会わせることを指しているのも分かりました」と彼は続けて言いました。「じゃ、ドアを開けてあげなければ、どうするつもりだったのですか」「確かにその可能性がありますが、師父にヒントを与えていただいた以上、伺ってみるべきだと思いました」と彼は言いました。

それから、自分が如何に公安局に利用されたのか、なぜ同修・甲を裏切ったのかについて彼は自分の考えを打ち明けました。また自分は誰の家に行って、誰に会って、その人が家で何をしているのかを毎日公安局に報告したことも教えてくれました。「じゃ、私の家に2回来たことがありますが、それも報告しましたか」と聞いたら、「それも全部報告しました」と彼は言いました。しかし、私は彼に対して全然恨みを抱かず、ただ心の中で「慈悲深い師父は私を守ってくださったし、彼も救われました。なんとお礼を申し上げてよいか分かりません」と思いました。彼は自分の間違いが分かってから、すぐ厳正声明を発表しました。

同修・甲が不法に開廷された時、彼は出廷して公安局の迫害や罪に落とす手段などを暴こうと思っていましたが、大法を実証する立場から考えて、最後は録画するという方法を採りました。後で弁護士は同修・甲に無罪の弁護をして、また録画した内容を放映し、その場にいるすべての人を強く震え上がらせました。

このことを通して私は悟ったのですが、私たちが更に多くの衆生を救い済度することができるように、師父は既にすべてを用意してくださったのです。我々は法に則って、大法を実証し、衆生を救い済度するという立場に立って物事を考えれば、すべての所謂不安全の要素が直ちに解体され、どんなに悪そうに見えることでも、皆我々が衆生を救い済度することのよいチャンスになれるのです。

(つづく)

(明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会原稿)

2008年12月24日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/11/24/190421.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/12/21/103168.html