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法を実証する中で昇華する(下)(二)


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)

六、個人修煉で固めた基礎を、法を正す修煉の中で役立たせる

1999年7月20日、邪悪が大法と大法弟子に対する迫害を始めた時、一番深刻だったのは各地の輔導点の責任者に対する迫害でした。中には不法に刑罰を下されたり、労働教養を強いられたり、強制的に「転向」させられたりする責任者がいましたが、私の理解では、それは旧勢力の按排であり、旧勢力が責任者を迫害することを通して、更に多くの大法弟子を試練し、更に多くの衆生を壊滅させる目的を達成しようとするものです。しかし、それは我々には認められないのです。

1999年7.20に迫害が始まった時から今まで、私はずっと師父の説かれた「わたしたちのすべてのスタッフはまず、心性が高く着実に修める人で、心性を修煉する模範であって、常人式の指導は不要なのです」(『精進要旨』「仕事ではなく修煉である」)をしっかりと心に刻んでいます。個人修煉は他ならぬ法を正す修煉のために基礎を固めることであり、法を正す修煉の中で更によく役目を果たすようにすべきです。法を正す修煉の中で私はこのように自分を律していますが、環境が変わったとはいえ、己を確実に修める心を変えてはいけません。元々の責任者は協調者、招集者に変わりましたが、先頭に立って、法を学び、三つのことをよく行うという自分に対する要求を変えてはいけません。自分が何を行うかということに執着してはならず、法を実証し、衆生を救い済度し、同修が全体で向上するには自分に何を行わせてほしいかを先ず考えるべきです。他の同修が協調役をしているのであれば、自分が黙々と足りないところを補い、圓容するようにすべきですが、もし補うところがなければ、先頭に立って、真相資料を配り、向かい合って真相を伝えればよいのです。

(一)自ら補い、圓容し、協調者の環境を安定させる

2002年、私は労働教養所から戻ってきてから、7.20以前の責任者や輔導員を含めて、地元の同修たちは相次いで私の家を訪ねて来ました。そしてもともとの輔導員だった同修は私に向かって「これからあなたはやはり責任を負わなければなりません」と言ってくれましたが、今協調役をしている同修は引継ぎをするかのように「帰って来てよかった。地元の協調役はやはりあなたがやりましょう」と言ってくれました。しかし、彼らの話の中にはどうも不平不満が混じっているように感じられました。まるで迫害が発生したため、昔の責任者は皆失脚し、新しい責任者が取って代わったが、今また昔の責任者が取って代わろうとしていると言うような言い方でした。

一体何処がねじれたのかよく分かりませんが、先ず今協調役をしている同修達の集団での法の学習や交流会に参加することにしました。皆さんの発言を聞いてから、自分がよく行わなかったと分かりました。私は同修達の行なったことを大事にせず、戻って来たばかりなのに、一部の同修の考えを聞いただけで、軽々しく結論を出してしまい、同修を傷つけたのです。そこで、私は内に向けて探し、自分の不足を認め、皆さんに許してもらうことにしました。そして、交流を通して、修煉は常人の仕事ではない。最初の困難に満ちた道を既に歩んで来たが、これからは更によく行うようにしなければならないと皆は意見をまとめました。また今協調役をしていない昔の責任者や輔導員も必ずよく協力するとみんなは固く信じています。

その後、私は労働教養所から戻って来たばかりの責任者や輔導員を集めて、交流会を開きました。皆はそれぞれの法を得た経歴、今までの修煉の道程で発生したこと、特に責任者を担当した時、慈悲深い師父が加護してくださったことについて話し合いました。それから、今の状況についても意見交換しました。つまり今協調役をしている同修は皆昔の責任者や輔導員が迫害されてから、自ら表に出て行ったのです。彼らは全然経験が無かったのに、巨大な圧力と困難に耐えながら、資料点を作り、お互いの連絡と資料の引渡しのネットを作り、実にたやすいことではありません。またよい経験も積みました。だから、我々は同修の行なったすべてのこと、地元の切り開かれた環境を大事にしなければなりません。

自ら協力し、同修に圓容することができるかどうかも我々に対する試練でもあり、人心を取り除くよいチャンスでもあるのです。責任者を担当するのも修煉であり、責任を担当しないのも同じく修煉なのです。だから、我々は決して師父の期待に背いてはいけません。正にある同修の言ったように、他の同修がよく行えるなら、よく協力してあげれば良いが、よく行わなかったら、補ってあげればよいのです。今回の交流を通して、全体の認識が向上するようになりました。

それ以来、邪悪がどんなに迫害しても、状況がどんなにはびこっても、皆は協調責任者の環境をずっと大事に守るようにしてきました。そのおかげで、地元の修煉責任者の環境がずっと安定して、毎月の全市の協調責任者の集団での法の学習と交流、それから毎週の各区域での協調責任者の集団の法の学習と交流がずっと続いてきています。師父が新しい経文を発表されたり、法を正す情勢に新しい変化が現れたり、全体で協力する必要があるたびに、皆が集まり、交流するようにしています。だから、一つの地区の全体の協調の環境が安定するかどうかは、地元の全体の向上、全体の修煉状態が安定するかどうかに関わっていると私は悟りました。

(続く)

(明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会原稿)

2008年12月25日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/11/24/190421.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/12/21/103168.html