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内に向かって探して執着を取り除き、自己を是正する

(明慧日本)最近、私は明慧文集『内に向かって探し、勇猛精進する』を読みました。読んだ後とても啓発を受け、自分の修煉において足りないところが見えてきました。まさに内に向かって探すことをおろそかにして、内に向かって探すことを忘れてしまったため、修煉していないのと同じ状態でした。そして長期にわたり、いつも自分がよく修めていないと感じました。内に向かって探さないと必ずよく修煉できません。これは言うまでもありません。これはまたよく修煉できない根本的な原因でもあります。私は内に向かって探す試みを決意し、自分の根本的な執着を見つけ出しました。それは物質的利益と金銭を放下できないことでした。

 私は前半生、生活がとても困難で、一家8人の1年の収入は600元でした。このようにして、1人毎月平均6元の生活費の日々が10年以上続きました。私がこれらの日々をどうやって過ごしたか想像できるでしょう。うちの家族は年寄りも子供もいます。私はわが家の生活の柱です。常人の中での生老病死、これらの魔難はすべて私が解決しなければなりません。したがって、お金は私にとって、困難を解決する第一要素となり、私はお金を生命の基礎としました。お金があれば、生活の保障があると思い、私はお金をとてもとても大事にしました。お金のために、私はタバコとお酒をやめました。お金のため、私はせっせとつつましく家事を切り盛りしました。お金のため、私は数多くの苦と難に耐えました。私は自立の道を歩み、貧乏でも志を失わず、債務を負わず、人格を辱めず、良心に背きませんでした。

 お金がなかったため、生活上とてもよい人徳を身につけましたが、なんといっても、私はお金があって初めて生活が保証されると思うようになり、お金に対して執着が生じました。

 修煉者として、お金をそれほど重くみてはいけません。必ず固有観念を変えるべきです。しかし修煉後、私はこの問題を重視しませんでした。意識的にお金に対する執着を取り除かず、やはりお金をとても重くみて、物質的利益に対する追求を放下できませんでした。ちっぽけな利益さえも心にかけました。例えば、街に出かけた際に空き瓶や、空き缶を見ると私はそれを拾いあげ、心ではこれはお金だと思いました。また買ってきた野菜、果物などがよく保管できず、すぐ腐って捨てることになると、私は心が痛くてたまりませんでした。誰かが夜トイレに行って電気を消すのを忘れたら、私は怒ってしまい、気持ちが悪くなります。節約することは良いことですが、度を越えると正しくありません。度を過ぎると、その中にむさぼる、占有するなどのとても良くない心が生じてきます。修煉の過程で、だんだん物質的利益を淡々とみるようにして、最後にそれを取り除くようにしました。

 「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)。私は内に向かって探したとき、この根本的な執着を見つけ出しました。師父は私を助けてこのことをしてくださいました。

 昨年10月、暖房の請負人が私から2000元の暖房費用を受け取っていきました。税金を納めないように、彼は私に正式な領収書をくれず、ただレシートをくれました。しかしわが社は、レシートだけでは費用を清算できません。彼は私に自分で会社に行って正式な領収書をもらうように、また私が7%の税金を払うようにさせました。私は心の中で不平を覚え、心では、「きみはお金を稼ぎ、私は税金を払うなんて、理にかなっていない」と思いました。相談しても解決できず、これは私のお金と財物に対する執着を取り除いているのだと思い、彼に譲りました。トラブルは解決し、双方とも平和になりました。

 昨年、会社のある幹部が私に、離職休養中の幹部で、病気のため自分で自分の生活の面倒が見られない人は1カ月に200元の看護費をもらえるから、あなたは診断書を作って渡しておけば、手続きをしてくれると教えてくれました。当時、私は彼に断りました。私は煉功者であり、自分で自分の生活の面倒をみられるからです。しかし今年、彼はまた看護費は毎月600元になった、我が社で離職休養中の幹部は、あなたを除いて、みな手続きをしたと私に教えました。今回私はちょっと心が動じました。目の前まできたこの利益を手にすべきかどうか? 当時、私は「そうしたら私の分も手続きをしてください」と言いました。

私が家族にこの話をすると、みな同意しました。「あなたはいっぺんにこれほど多く給料が上がるのですか! あなたが以前1年間にもらった給料の総額になります」と言いました。しかし私は心の中で、私が執着しているのはほかでもなくお金だ、今回はもらうべきかどうか? 人を探して診断書を作って、嘘をつくべきかどうか? 私は転んで大腿骨が折れた病例があるので、診断書を作ってもらうのは簡単です。しかし私は煉功者で、生活上自分で自分の生活の面倒を見られるのに、このお金をもらったら、それは求めたことになるではないか、争ったことになるではないか? ひょっとしたら業力を造るかもしれない、と思いました。最後に私は看護費をもらうことを放棄しました。

 昨年、私はビルに住むことになり、もとの平屋を貸しました。今年になってこの平屋を開発業者に売り、そこに新しくビルを建てることになりました。そこを借りて住んでいる人を引越しさせるときにトラブルが起きました。もともと私は、彼女に3カ月分の家賃400元を返して、引越しさせようと思いました。彼女は喜んで、あなたがいつまでに引っ越すと言えば引っ越す、と言いました。しかし私が彼女に引っ越してください、と伝えたら、彼女はまた私に難題を出しました。どうしても私に開発業者と交渉して彼女に立ち退き移住費500元をもらえるようにしてくれないと、引っ越さないと言いました。私は、彼女に自分で開発業者と話すようにと伝えても、自分は彼に言うべき筋合いではない、あなたが私の代わりに請求してきてください、くれないと引っ越さない、部屋も見つけないと言いました。こちらでは開発業者が何度も私に催促し、あちらではお金をくれないと引っ越さないと言います。しかも政府の規定によると、部屋を借りて住んでいる住民は立ち退き移住費をもらえません。こうして、彼女と私、私と開発業者は半月にわたって騒ぎを繰り返しました。3人が直面したトラブルはすべてお金のためでした。互いに争い、互いに戦って、長い間和解せず、対峙していて、それはほかでもなくお金のためでした。

 私はこのお金を出すのは損だと思いましたが、正法の理をもって測ってみて、最後に私はこのお金を支払うことに決めました。しかし、彼女は私のお金はもらってくれませんでした。いわく、私があなたのお金をもらって何になるかと言いました。彼女はまた面子を守ろうとしました。そこで、開発業者を通して、彼女に渡して、彼女の要求を満足させると、翌日彼女は引っ越しました。人間社会でお金は作用を働きます。しかし、このトラブルは正念をもって解決したことであると、私は分かりました。三者はまた以前の通りよい関係になりました。

 ついでに一つ言いたいのですが、私たち夫婦(つれあいも同修)は師父の広州での説法ビデオをすでに4回見て、『オーストラリア学習者への説法』を連続して7回みました。ある日、連れ合いは突然このような話をしました。「今回もらった立ち退き費用を子供たちに分けましょう。私たちはもらわないようにしましょう」と。これは私と連れ合いが一生みたことのない総額です! 私が思いもつかないことを彼女が思いついたのです。当時、私は「分けよう」という言葉同意しました。ほんとうに分けました。10万元以上のお金を1元も残しませんでした。もし私たちが修煉していなければ、このお金は老後に使うために残すはずで、自分の子供たちに渡すことはできません! 本来私たち2人は、1人はお金を命のように大事にし、もう1人はアイスを売って稼いだわずかな収入しかありませんが、今日このような大きな変化が起きたのは、生まれて初めでの事でした! これは心性上の昇華ではないでしょうか? ほかでもなく大法の法力に同化した結果ではないでしょうか?

 私は悟性が優れておらず、次元が低いので、同修らの慈悲なる叱正を願います。

2008年12月25日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/23/192049.html