■日本明慧 http://jp.minghui.org/2008/12/30/mh014886.html 



真に心を静め、学法しよう(四)

文/ハルピン大法弟子長安

(明慧日本)

四、集団学法についての認識と考え

師父は『アジア太平洋地区学習者会議での説法』の中で「皆で一緒に法を勉強することは私が皆さんのために切り開いた環境であり、皆さんのために残した形式です。やはりこのようにすべきだと思います。なぜならば、これは実践してきたことであり、このような修煉が学習者を最も早く向上させることができるからです。自分一人で修煉していれば、あなたの向上を促進する要素はありません。大法弟子として、師父の言うように行うと皆さんは言ったのではありませんか? 大法弟子として歩むべき道を正しく歩まなければならないのだと言ったのではありませんか?」と言われました。

 集団学法は師父が開いてくださったともに上達する環境と形式であるため、私たちは最大限に学法グループの集団学法に参加すべきです。今大法弟子は師父が教えてくださった三つのこと以外に、家庭、仕事と生活の中の色々なことを扱わなければならず、時間が少なく、貴重な情況に於いて、時間を作って、皆で一つの安全で邪魔されない場所(学法の場所)で一緒に法を学ぶことは、非常に貴重で、無駄にしてはなりません。私たちは正々堂々と集団学法をしっかり行い、本当にこの環境を修煉の上達に役立つ環境にし、皆が集団学法を通して、「比学比修」し、ともに精進し、法に於いて上達すべきです。そして大法弟子の学法を邪魔する要素に対して、学法グループ全体の力で、速く邪魔を取り除くのです。

学法グループでの皆の交流によって、『転法輪』の外に、師父の他の説法(特に7.20以後の説法)も学ぶべきだと分かりました。師父は7.20以後の経文説法の中で、迫害に対して、大法弟子はどういうふうに法を実証し、衆生を救い済度すればよいか、教えてくださいました。皆で良く7.20以後の説法を学べば、もっと確実に師父が按排してくださった道を歩き、衆生を救い出すことができます。そして皆の安全のために学法グループの人数は3−10人ぐらいでよいと思いました。人数が多すぎるなら、もう一つの組を作った方がよいのです。そして皆は真相を伝えるなど、色々なことがあるので、集団学法の回数は週に1−4回ぐらいのほうがよいのです。学法する時、主に順番で通読する形を取り、人々が1−2段落を読むのです。これは他の人が高度に集中することによいのです。読み違えたとき、必ず互いに直し、読み違えた部分をもう一度正しく読むことが必要です。条件が整った学法グループは、一定の時間をおいて、師父の説法ビデオ(済南、大連あるいは広州)と動作を教えるビデオを見て、互いに煉功の動作を直すことも必要です。その外、学法グループはできるだけ、集団で正念を発する決まった時間を設けたほうがいいのです。それは大法弟子が一緒に法を学び、一緒に上達することを邪魔する邪悪要素を取り除き、集団学法の環境をもっと落ち着いた、もっと安全なものにするのです。

集団にしても、個人にしても、大法を通読するスピードはあまり速くしないほうがいいのです。師父は学法のスピードについて教訓を教えてくださっています。

「弟子:ある人が先生は『転法輪』を読み終えるのに一日半では遅すぎるとおっしゃいましたが。
師:私はそんなことを言っていません。速すぎると思います。(拍手)私は皆が時間を無駄にせず本を読むように話しましたが、その人はすぐその極端にまで走りました。読んで読んで読んで読んで、一生懸命に読んでそれぞれの字さえ分からないようでは、あなたは何を読んでいるのでしょうか。あなたは法を学んでいるのではありませんか。法を学ぶ、法を学ぶ、その学(び)はどこに置いたのでしょうか。あなたは自分が何を見ているのか分からないようでは、どうやって修しますか。あなたは今何を見ているのかわからなければなりません。あなたはどういう字を読んでいるのか、表面的にどういう意味かわからなければなりません。あのようなやり方ではどうして法を学ぶと言えますか。そんな読み方でいいのですか。本をパラパラめくってしまえばすぐ終わるではありませんか。こういう道理ではありませんか」(『シンガポール法会での講法』)。

 私たちは大法を通読する時、心を静め、穏やかに、ゆっくり通読したほうがよく、そして読んだ内容は一字、一句を頭の中にはっきり反映し、ゆっくり通読して、意味を味わうべきです。以前ある同修と交流する時、読むスピードが速ければ、思想は集中できるが、遅く読めば、かえって集中できないと同修は言いました。交流によって、皆これは正しくない状態だとわかりました。スピードが速い時、主元神は「読む」ことで大脳をコントロールし、「心を静め、学ぶ」ことで大脳をコントロールしないのです。速ければ、ペラペラ読んで、そして読み違えないために、主元神は完全に「読むこと」に集中し、「学ぶこと」に集中しないのです。

「主意識が厳しく大脳を制御すればするほど、ほかの生命が入り込めないのです」(『転法輪』第九講)。だから速い読み方は一種の正しくない「読み方」です。私たちは心を静めて学法することでしっかり大脳をコントロールし、最大限に心を静め、法を勉強するべきです。

1、学法に於ける邪魔の問題

 集団学法に於いて、学法を邪魔する要素と現象は段々はっきりしてきました。内容がわかりづらく、法を読み違えたり(字を読み違えたり、落としたり、加えたり)、眠ったり、眠そうになったりすることです。これらの妨害は主に私たちの後天の要素の妨害であり、今やはり一部の同修たちに大きく、長期に存在し、ある学法グループのほとんどすべての人にある程度存在するのです(本を落とし、鼾をかいて眠った人もいる)。ある同修はこれらの長期の妨害に対して、しょうがないという消極的な状態になり、ひいてはもういわゆる「自然な状態」になり、学法すれば、内容がわかりづらく、眠かったりするようになりました。

「『先生、わたしは目を閉じるとふわふわします』と言う人がいつもいます。わたしはそうは思いません。あなたはすでに自分の主意識を放棄する習慣を身につけているから、目を閉じると自分の主意識が緩んで無くなってしまうのです。あなたはすでにこういう習慣になっているのです。ここに坐っているあなたはなぜ揺れ動かないのでしょうか? あなたは目を開けている状態から、軽く目を閉じたら揺れますか? 絶対に揺れません。あなたは気功をこういうふうにやるものだと思い込み、一種の概念を形成してしまったので、目を閉じるとあなたがいなくなり、どこへ行ったのかも分からないのです。われわれは、主意識は必ずはっきりしていなければならないと説いています。この功法はあなた自身を修煉するものであり、あなたは意識をしっかりもったままで向上すべきです」(『転法輪』第八講)。

法を勉強する時、私たちの主元神ははっきりしていなければならず、法を勉強する時に眠くなる同修はほとんど睡眠不足のせいでそうなったのではないのです。もし学法をやめたら、すぐ全然眠くなくなり、元気になるのです。しかし、また学法を始めると、また眠くなるのです。

「弟子:法を勉強している時に、いつも眠くなる人がいます

 師: 法を勉強する時に寝てしまう、本を読む時に寝てしまう、煉功する時も寝てしまう、この最も初期的なものも乗り越えることができません。それは意志なのです! ご存知のように、修煉の中で人間を構成しているあらゆる要素もあなたが人間から脱皮することを阻んでいるだけではなく、人間のあらゆる環境を構成しているものまで、あなたが離れていかないように阻んでいます。どんなものをも突破しなければならず、どんな魔難をも乗り越えていかなければなりません。その最大な現れはそれらのものがあなたに苦痛を与えることです。しかし、苦痛に異なる形式があり、眠いのもその一種です。修煉できなくなり、精進できなくなった人はそれが苦だとは知らないのです。あなたが法を得ることができず、それらのものはあなたに法を学ばせていないのに、それが魔難とは感じていません。心が法に置かれておらず、修めたくなければ、話は別です。どうしてそれを抑えないのでしょうか? 意志を強めましょう。人間は自分が寝てしまわないように自制することで、成佛することができれば、私に言わせれば、それはあまりに易しすぎるのです。この小さな関も乗り越えることができなければ、どうやって修めるのでしょうか?」(『長春補導員法会での説法』)

 物質と精神は同一のものだから、妨害のせいで、心を静めて学法できない同修は、まず法に於いて、明白に妨害の厳重性を認識しなければならず、自分が妨害に対して、絶対に回避したり、未解決のまま、棚に上げたりしてはならないのです。「直視する勇気がなく、触れることを恐れ、認めようとしない人々がいますが、それは彼らがあまりにも保守的で、伝統的な考え方を変えようとしないからです」(『論語』)。

そして十分に認識しなければならないのは、私たちは心を静めて学法したい時、私たちの思想を静かにさせない要素は私たちではないことです。強い主意識で私たちの大脳をコントロールし、その要素を排斥し、抑制し、認めないようにすべきです。ぜひ覚えてほしいのは、主元神は必ずはっきりしなければならないこと。良く法を学ぶのは私たちが大法に同化し、一緒に昇華する根本的な保障であるため、一切の私たちが心を静めての学法への妨害はすべて、最も厳しく、最も邪悪なのです。大法修煉は主意識を修煉する以上、主元神は大法に同化できるどうかの試練に向かって、どうして強くなれないのでしょうか。もし、邪魔された同修たちが正々堂々と、自分の体、自分の大脳は自分の意志で動かすことができたら、すべての妨害はすぐ全滅され、解体されるのです。

 以上の妨害に対して、私たちは正念を発し、取り除くことができるのです。2002年、私は学法する時、眠くなる妨害が出ました。強い主意識で抑制しようとしましたが、変わりませんでした。そこで、本を置き、直ちに掌を立て、10分ぐらい正念を発し、眠気を利用して、心を静めて学法をすることを邪魔するあらゆる悪質な要素を取り除きました。正念を発した後に、また学法を始めたら、状態はとても良くなったのです。その後、また眠気の邪魔がありましたが、やはり発正念で取り除きました。それから今まで二度と眠い状態は出なかったのです。

(続く)

2008年12月30日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/5/191133.html

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