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内モンゴル通遼市は田福金さん一家三人に重い冤罪を被せた

(明慧日本)2008年12月10日、内モンゴル通遼市ホルチン区裁判所は田福金さん一家に不法な判決を下した。田福金さんは不法に懲役三年の重い判決を下され、妻の劉秀栄さんは四年の冤罪を被り、長女の田芳さんはなんと懲役五年の不法判決を下された。

田福金さん一家六人は皆で法輪功を修煉している。法輪功が中共に不法に迫害されてからのこの9年間、一家はただ法輪功は正しい、自分が心身ともに健康になり大変恩恵を受けている、政府の弾圧は間違っているという陳情をしただけで何度も不法に監禁され、証拠無しの不法判決を受け、残虐に迫害されてきた。数回に渡って中共の警察に自宅に侵入され、家財などを奪われ、被害に遭った。この9年間、一家は一度も全員そろって会うことはなかった。この一家の受けた不法判決を合計すると懲役30年にもなる。

2008年6月5日、田福金さん一家は再び通遼市ホルチン区「610弁公室」、公安当局、及び永清出張所などの中共の機関に不法に自宅に侵入され、家宅捜査を受けて、家財などを奪われた。これに参与した者は、包吉日木図、永清住民委員会主任の李風芹、永清出張所の警察らである。田福金さん、妻の劉秀栄さん、長女の田芳さんと長男の田双江さんも同時に拉致され、監禁された。当時、自宅にわずか12歳の息子が残された。長男の田双江さんが翌日に釈放されたが、他のメンバーは河西留置場に入れられ、不法に監禁された。

オリンピック期間中、劉秀栄さんは隣の県の甘旗卡留置場に移されて迫害され、心臓病になった。留置場は健康診断を理由に家族にお金を請求した。二女の田心さんが釈放されたばかりだが、慌てて母を見舞いに留置場へ向かった。ただ、田心さんは財産を全部没収されたので、母にあげるお金なんてなかった。留置場はお金を持ってこなかった田心さんに母との面会を拒否した。その時、警官は「お前の母の病気は治った、面会の必要はない」と暴言を吐いて無理やり拒否した。その時、長女の田芳さんはナイマン(奈曼旗)留置場に移されて迫害された。ホルチン区国保大隊の王波という悪辣な警察は、長男の田双江さんにも魔の手を伸ばしていた。釈放されても自宅をの周辺で騒ぎ立て、2、3日に一回公安局に呼ばれた。こうした騒ぎに耐えきれなくなった田双江さんは自宅に帰るのが怖くて、路頭に迷う生活を強いられた。内モンゴルの冬は寒く、田心さんは両親と姉に綿入れの衣類を届けたが、留置場に拒否された。留置場は強制的に、あり得ない高い値段で用意した綿入れを買うように田心さんを攻めた。

2008年11月3日、ホルチン区裁判所はついに田福金さん一家に不法に判決を下した。いわゆる「国家政権を転覆した罪」と「法律に違反した罪」で一家に適切な審議と法律の根拠もなく、冤罪を言い渡した。今日にいたるまで長期に渡る非人道的な残虐な迫害を受け、田福金さん本人は意識がもうろうとしていた。妻の劉秀栄さんも迫害され、声が出なくなっていた。心身共に大きなダメージを受け、体は痩せ果てていた。裁判所は田さん一家の一人ひとりに、単独で審議を行った。裁判官は田福金さんから、「お前の長女は法輪功の真相資料を作成したことがあるか」と聞き、田福金さんは「いいえ」と回答した。田芳さん本人にも同じ質問をしたが、田芳さんも「いいえ」と回答した。その時、裁判官は長女に嘘をつき、「先ほどお前の父親が、おまえが真相資料を作成したと供述した」と騙した。その時、田福金さんは自分のために弁護して冤罪を晴らす力さえなくなっていた。母の劉秀栄さんも迫害され、声が出なくなっていた。こうして、田芳さんは根拠もなく懲役5年の重い冤罪を下された。12月10日、弁護するチャンスも与えられず、法律を無視して、公民の基本的人権を強制的に奪い、中共通遼市ホルチン裁判所は、田福金さん本人に懲役3年、妻の劉秀栄さんに懲役4年、そして長女の田芳さんに懲役5年の冤罪を被せた。

(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)