仕事において心性を向上させた体験
(明慧日本)無駄な回り道を長く歩いた後、やっと法を暗記することと、もっと強く発正念することを通じて、師を信じ、法を信じることを固め、法を離れた理解を改め、正しい認識を取り戻しました。師父の慈悲なる按配と同修の助けのもと、私は新たに法を正す修煉の道に戻り、また正常な仕事と家庭環境を取り戻しました。
法を学ぶ中で私が悟ったことは、「常人の仕事は修煉ではない。けれども修煉の状態は仕事の中で現れる。仕事を良く成し遂げることは人間社会のこの次元の法を円満することになる」ということです。仕事を始めた頃、この次元の法は頭の中でまだはっきりと分からず、実行までは完全に至っていませんでした。逆に、その頃、仕事に対してあまり気にしていなかったものの、いい加減に済ませてしまい、しかもこの状態はしばらく続きました。ある日、上司が突然オフィスの人を呼び集めて会議を開きました。会議では、職場の人間が私がきちんと働いてないと指摘しました。実際、修煉者は常人の名や利に執着しませんが、仕事はきちんとやり遂げるべきであり、もらった分に相応しく働くべきです。そうすればきっと、それにふさわしい尊敬を得られるはずです。これは、この世の状態にも一致するし、法を実証する内容の一部になるのです。
考えを正しくし、正念も強くなりました。仕事と修煉の関係を正しく扱うことができ、そのお陰で仕事上の業績もずっと上がりました。数年連続で会社とその上司部門から褒賞を受けました。数回の能力検定で、関連会社の中でトップを取りました。会社が数年間完成できなかった難関を、私が受け取った後、プレッシャーはあったものの、良い成績を収めて目標を達成することができました。
その中で私が悟ったことは、大法は果てしない。心が法にあれば、自分のやるべきことはしっかりやり遂げることができ、その時、師父が私たちに与えてくださったものはきっと最も良いものであり、その中でどんな奇跡もあり得るということです。これは「修は己にあり、功は師にあり」(『転法輪』)の通りです。
最近、私が受け入れた研修員メンバーには様々な人がいて、非常に複雑で、その中の一部の人は素人で、行為や日常生活の習慣も非常に良くありません。研修全体の雰囲気にまで影響していました。私は彼らを厳しく管理していましたが、そのやり方は逆に、私と研修員達との関係はとても緊迫した雰囲気に変わってしまいました。本当にどうすればよいのかは分からなくなり、何日間も落ち込んでしまいました。修煉をする人にとって、すべては偶然ではありません。出会った良いことも悪いこともすべて良いことと思えばよいのです。修煉しているから遭ったことです。修煉の道で偶然な出来事はありません。私は直ちに心の内へ向かって探しました。トラブルがあったら、自分のどんな心に触れたのか、自分がどのような念を出したのかを探りました。その結果、たくさんの目立った自分の執着心を見つけました。他人が自分に対して良くしてくれることを求める虚栄心を見つけました。強すぎる自尊心、メンツを大切にする心も見つけました。上司の味方になりたい、自分に不利にならないように気を付けるなど、さまざまな心を掘り出しました。自分に対する怨恨や厄介なことを避けたいと思う心や闘争心も見つけました。これらの執着心を見つけた後、相手がどんな話をしても、相変わらず自分の心性を守り、大法の要求に従って物事を判断するようになりました。その結果、本当に「柳の木が生い茂ってつくる深い暗がりの中に、花が色鮮やかに咲いている(困難を乗り越えて希望を見つけるの意)」のです。その後の二回のトレーニングは大きい成功を収めました。私は今、分かりました。それは、研修生の良くない表れは、実は自分の執着心のせいだったのです。執着を取り除けば、すべては良くなります。
自分がよく修煉できれば、周辺の環境は変わります。まさに、「佛光が遍く照らせば、礼儀は圓明となる」(『転法輪』)の通りです。
2009年1月4日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/30/192529.html)
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