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利益を追求する心を捨てたら私はもっと裕福になった


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)師父は『転法輪』で、「皆さんに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです。」と教えてくださいました。このお言葉は、私達が法を学び始めてから、今日に至るまで誰もが何度も読んだに違いありません。このお言葉通りに修煉していけば、徐々に向上するに違いありません。このお言葉を忘れたら、修煉に絶対ミスが生じ、法から外れてしまいます。よく考えれば、無駄に長い回り道をした同修たちは、このお言葉を忘れたかあるいは重視しなかったせいでしょう。怖がれば怖がるほど、恐怖心が身を阻みます。金銭を好めば好むほど欲張りになり、自分の利益ばかりを追求する心に阻まれます。そして、どうにかして綺麗な理由を付けて、自分のこうした執着心を隠し、捨てたくなくなってしまいます。実は、この執着心は旧勢力に利用され、隙に乗じられ、無駄な回り道をしているのです。今日、ここで私はいかに無駄な回り道をしたかを話すのではなく、法を学ぶ中で、どうやって執着心を一つ一つ取り除くことができたかを話したいと思います。

常人は買い物をする時に値引きをするのはあたりまえと言っても良いでしょう。修煉をしてからも、私のこの習慣はなかなかなくならず、時々出てきます。修煉を始めたころ、私は市場でソーセージを作るため肉を買いました。ある日、4.5キロ多めに肉をもらってしまいました。私は直ちに多くもらった分の代金を払いました。それを見た娘は笑って、「ママは法輪功を修煉してから、50元を人にあげるなんて」と言い出しました。私はその時、何も反論しませんでした。これは法輪功の弟子として当たり前のことで、わざわざ言うことではないと思いました。これは1999年元旦のことでした。

2005年6月、主人と娘はスーパーに買い物に行きました。戻った後、おつりと買ったものを食卓の上にそのまま置いていました。私は確認してみました。すると、買ったものとおつりが合わないことに気づきました。二人に確認を取ったら、やはりスーパーのレジで間違って一つの商品が計算されていないことが分かりました。私は二人に、「早く行ってお金を払いなさい!」と話しました。出稼ぎの仕事をしている娘は「レジの店員は臨時職員(出稼ぎ労働者)なので、すぐ返したら、その店員がミスしたことで仕事を失ってしまうかもしれないよ」と言いました。主人も、「我々はこのお金を街の体が不自由な方への基金に寄付しよう」と言いました。私も当時、二人の話も合っている部分もあると思い、すぐお金を払わせませんでした。数か月経って主人はそのお金を返しに行ったら、店の人は「今の時代にもこのような人がいるのですね、本当に不思議なくらいです」と話していました。実は、このようなことは大したことではなく、これらの小さいことでは本当の心を知ることができないのです。

わが家の祖先から引き継いだ遺産である不動産は、中共に奪われてしまいました。修煉前、私はそれを思い出すたびに、中共への怒りを抑えきれませんでした。父も生前、このためにいろいろな部門を訪れ、相談のために歩き回りましたが、解決の糸口は見つかりませんでした。政府の窓口に行って陳情しましたが、同様に返事はありませんでした。

修煉後、法を学び始めました。『転法輪』に、「修煉者は自然に任せることを重んじるべきです。自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません。もちろんそれは絶対的ではありません。何もかもそんなに絶対的であれば、人間が悪いことをする問題もなくなります。」と書かれています。また続いて、「その点から、そのことに対してあなたが無頓着でいられるかどうかを見ますが、無頓着でいられなければそれは執着心なので、この方法を用いて利益にこだわる心を取り除かなければならないのです。そういうことです。常人はこの理が悟れないので、利益をめぐって争ったり、闘ったりするわけです。」と書かれています。わが家の不動産のうち数件に他人が住み着くようになり、最終的に、政府の「房改局(不動産改革局)」にも騙されて没収されてしまいました。賃貸物件もなかなかお金を回収できませんでした。私の個人財産である物件や不動産は、中共の政策によって、登録の名義が次から次へと変わっていって、最後に誰のものかが分からなくなってしまいました。これも中国共産党の国民の財産を強盗する一つの手口なのです。今は失われた物件を取り戻すには賄賂が必要です。しかし、私は修煉者なので賄賂はできません。だから何の手もないのです。

法を学ぶにつれて、私は悟りました。私はこの物件を自分のものとせず、慈善機関に寄付しようと心の中で決めました。しかし、よく考えると、それを言い出すと子供達は結局これを許してくれるのか、彼らは私と同様に考えてくれるのか、家庭で新たな矛盾が生まれたらどうしよう、といろいろ悩みました。法を思い出し、このすべてを自然の決まりに従うようにと思いました。それから二度と、このために悩むことはなくなり、この物件を全部放棄しました。今はとてもリラックスしています。確かに、本当に私のものなら誰も奪うことができず、私のものではなければ私も争いません。わが家が争っても中共の強盗の本質を変えることはできません。中共は悪そのものであり、毒なのです。それを変えたら中共とは言わないのです。毒薬は常に毒薬です。中共が国民への強盗と詐欺を止めたら中共とは言えないのです。中共を崩壊させない限り、中共は詐欺と強盗を止めないのです。今日の中共の利益は国民の血を吸って手に入れたものです。

私は大法の修煉者です。どんな時でも心が動じてはなりません。中共に怒りを抱く必要はありません。大法弟子は修煉を通して執着心を取り除き、次元を向上させるほかは何も要らないのです。財産は体の外のものです。私はこの莫大な財産を背負って修煉をすることができますか。放棄することは得ることです。利益を追求する心を放棄して、法への信念と次元の向上が得られるのです。この世の中で、何でも法を修煉することと比べると価値がなくなります。法を修煉することは何よりも貴重なのです。今の人生で法を修煉していることは、私の人生で最も幸せなことです。他に何も要りません。

個人の修煉の次元で書いたものであり、不適切なところは慈悲なるご指摘をお願いします。

2009年1月5日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/1/4/192937.html