黒竜江省依蘭県で迫害され、死亡した3人の法輪功修煉者(写真)(一)
(明慧日本)2001年11月28日初冬の夜、黒竜江省依蘭県の法輪功修煉者・張敏さん、宋瑞義さん、張可明さん達が、農業用の4輪車に乗り、団山子郷幸福村に真相資料を配りに行った。邪党に毒害された村人が団山子郷警察署に告発の電話をかけたため、署長の張かん友は人を連れ、車に乗って法輪功修煉者を捕まえようと、村長・趙春貴に真相を知らない村人を連れ、木の棒を持って道でくい止めるように命令した。趙春貴は1メートルを超える太い木の棒で何人もの法輪功修煉者をさんざん殴った。70歳近い女性の法輪功修煉者は殴られて倒れた。
張敏さんはその後何日も経たないうちに、依蘭公安政治保安課長の韓雲傑に苦しめられ、死亡した。宋瑞義さんは残酷に苦しめられ、胃を酷く傷つけられて、危篤状態になったまま流浪生活を迫られ、2002年11月3日に冤罪が晴れないまま死亡した。張可明さんは骨と皮だけに痩せこけるほど苦しめられた後、2002年の初め頃、労働教養2年の刑を下され、長林子労働教養所で拷問を受け尽して苦しめられ、2006年3月26日に冤罪が晴れないまま死亡した。宋瑞義さんの農業用4輪車も、趙春貴などに奪い取られ、今も返していない。
1、張敏さんは苦しめられ、死亡した
2001年11月28日の夜、張敏さん、宋瑞義さん、張可明さんなどの法輪功修煉者は警官の張かん友らに不法に依蘭賓館に閉じ込められ、訊問をされた。その後、法輪功修煉者達は各警察署に送られて野蛮に殴られた。
依蘭県公安局政治保安課長・韓雲傑は張敏さんにずっと恨みを持っていた、前回、張敏さんが不法に労働教養された時に、家族は省の人に張敏さんを釈放するように8000元も渡したが、韓は一銭ももらえなかった。今度韓雲傑はわざと張敏さんを呼び、「訊問」しようとした。韓は張敏さんに大法資料の出所を聞いたが、張敏さんは死んでも話そうとしなかったので、両手に錠をはめられ、暖房管にロープで吊るされた。韓は必死に拳で張敏さんの胸、目、こめかみを殴り、髪の毛を掴み、壁にぶつけた。
60歳を過ぎた張敏さんの両手は暖房で焼けただれ、水ぶくれができて、口も咽も渇いたが、韓は彼女を降ろすどころか、水さえ飲ませなかった。張敏さんは血を吐いて、意識不明になってしまったが、韓雲傑はまだ止めようともしなかった。水をかけ、意識が戻ると、殴り続けた。張敏さんは失禁するまで殴られ60時間も苦しめられた。警察は彼女を家に戻さず、依蘭県公安局長・趙士晶、副局長・張かん友は張敏さんを依蘭県第二留置場に拘禁するように命令した
その時、 張敏さんは痛くてたまらなかったので、すぐ病院で治療をしてもらうように要求した。しかし、所長の鄭軍は治療をするどころか、張敏さんに悪口を言い、嘘をついたといった。けががあまりにも酷かったので、張敏さんは苦しくてたまらず、ずっと唸り続けて血を吐いた。しかし、かれらは全然法輪功修煉者の命を気にかけなかった。4日目に数人の受刑者と一緒に危篤になった張敏さんを刑具の椅子に押し付け、強制的に2本の塩水を飲ませたところ、張敏さんはすぐ意識不明になってしまった。かれらはまた、意識不明の張敏さんを刑務所に送った。同室の人は皆泣いた。同所は所長の鄭軍に張敏さんはもう駄目だ(死にそう)と報告したら、鄭軍は大きな声で 「誰が世話をする暇があるのか? 法輪功をやるんじゃないのか? やれ、我らには暇がない!」と罵った。同室の受刑者が何度も懇願した結果、やっと張敏さんを漢方病院に送った。
張敏さんは2001年12月5日に依蘭県公安局の迫害により、死亡した。警察は罪を隠すために、ずっと家族に知らせず、張敏さんが死んだ後、家族に心臓病で死んだと知らせた。しかし、張敏さんには心臓病の病歴はなかった。2001年12月7日、張敏さんの遺体は公安の脅しの下で焼かれた。公安局、610弁公室の人は皆その場にいた。悪警官の韓雲傑は悪報に遭い、2004年7月25日に突然脳出血で死んだ。死ぬ前に非常に苦しみ、顔も体の他の部分も真黒になり、死相は非常に恐ろしかった。
2009年1月7日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/12/14/191579.html)
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