神韻は神の賜物 人の心を洗い流す(一)
−チケット販売で考えを正す
(明慧日本)神韻の公演は全世界で展開されていますが、各地のチケットの販売状況は一様でなく、とても良い地区があれば、売れ行きが悪い地区もあります。ここで個人の認識と体得したことを少し分かち合いたいと思います。
一、純善純美の神韻公演は、いかなる状況の中でも粗末にしてはならない
チケットの価格に関する問題について、チケットを売る時に常人に対してあまり高いことを言うことはできません。私たち修煉者は神韻を値段ではかることができず、神韻は値段をつけることができない神の賜物なのです。世の中のいかなる公演もただ世の中の表面の空間の演出に過ぎませんが、神韻の舞台は天に通じ、天地と相連なる無上のもので、歴史の上にないものです。もし私たちが本当にこのように多くの人を救い済度する形式をとるならば、私たちは全部の考えを人の救い済度と、神韻の公演を紹介することに置くべきであり、決してチケットの価格がどうのこうのと言うべきではないと思います。
人々がチケットを買うのは彼らの「心」が動いたからで、決してチケットの割引のためチケットを買うのではないのです。彼らが本当に好きなのは公演そのもので、公演が本当に人の心を打つからで、値下げは人の心を打つことはできません。従ってチケットの価格を下げることはできないのです。値段を下げるのは常人社会の行為で、値下げからは決して実際的な意義は生まれず、定価のままならば人は大切にするのです。
値下げを押し進めるときに、真相を伝える力が大いに下がることに気づきました。たとえば、ある同修は始まった頃は人に会うと、すぐ党文化のない正真正銘の中華文化の演出だと紹介していましたが、いつの間にか、ある同修は最初から値下げを紹介して、人にチケットを買うように勧めました。多くの人はチケットがいかに安くなるかということだけを耳にしたのです。従って、値下げは真相を伝える上で一大禁物なのです。ある同修は値下げを人に広めることに相当の時間を費やして、すでに人心に妨害されて偏った方向に歩んでしまいました。
またある同修は、自分でチケットを買う際に、チケットの値下げについて尋ねて、割引で買い求めることを願っています。ところが、1枚のチケットは一つの心に等しく、私たちの修煉は、私たちの神韻に対する態度を顕現することになり、私達が神韻を大切にしてこそ、衆生もいっそう大切するようになるのです。神韻の公演は神業で、神に対する畏敬に基づく純善純美の神韻を粗末にすべきではありません。
二、私たちは神韻の中で鍛えられ、神韻の中から求めてはならない
神韻は師父が法を正しておられることで、法を正すことは必ず成功するのです。いかなる神韻に対する歪んだ念も、いずれも全体の正念の場に影響を与えるのです。神韻に対する歪んだ念が多ければ、地域全体の神韻の推進は難しくなるのです。
師父は『2008年ニューヨーク法会での説法』の中で、「師父は何をしに来たのでしょうか? 師父は心の中で、正しいか正しくないかを最も正確に見ています。ご存知のように、神韻芸術祭で私たちはなぜ純粋な善と純粋な美を表現できたのでしょうか? 一年あまりの訓練を経た子供たちが世界最高水準、一流の世界的な公演を全うできたのは、師父がこの点をしっかり押さえたからです。常人にはできません。師父は法を正しにきたのであって、私のところまで乱れてしまったら、私はどのように法を正すのでしょうか?」とおっしゃいました。。
法の上にない考えはすべて、歪んだ考えです。たとえば、ある同修は神韻の公演の中で真相を伝える内容が多すぎると気になり、常人から意見が出てチケットを買わないようになるとか、払い戻しを恐れています。実は神韻の内容は師父が把握しておられ、師父は衆生に最も良いものを与えられるのです。人々が理解しないのは、彼らが本当に真相が分かっていないからで、公演の演目が問題ではないのです。
神韻に現れたすべては正の要素で、チケットの売れ行きが悪いことは私たちの歪んだ要素がもたらしたものです。神韻は私たちのために大きな舞台を組み立て、更に広い空間を創設し、私たちにここで人心を取り除き、全体を修正するように鍛えさせているのです。私たちはまだこの基準に達していないため、新宇宙の特性は他の人のために存在しており、神韻を行う時の地域と全世界との協力の中で、私たちはいかなることに直面した時も、まず他人を思いやるべきです。まず全体を思い、徹底的に人心を捨てて協力し、全体の過程の中で本当に法に照らして行うべきなのです。本当に法の基準に達した時、神韻は広く衆生を済度し、一枚のチケットは全く問題ではないのです。
(つづく)
2009年1月8日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/28/192418.html)
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