■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/01/10/mh120086.html 



陳真萍さんは18年を判決され、末娘は「司法官」に殴られた

(明慧日本)2009年元旦、陳真萍さんの末娘は、信念を堅持して、「真・善・忍」に従って好い人になろうとした母が、意外にも鄭州市の金水区裁判所に不法に18年の刑罰を下されたことを知った。陳さんの娘・金昭環さんは何度も裁判所に行って母の判決文を求め、弁護士に頼んで上訴しようとしたが、司法官の任遠は判決文をくれないだけではなく、手を出して金昭環さんを殴った。

 2009年元旦、金昭環さんは、陳真萍さんの第1留置場での最新情況を知った。鄭州市の金水区裁判所司法官の任遠と馬裁判長は一緒に第1留置場に来て、陳真萍さんに18年の判決文に署名するように強制した、陳真萍さんは断固として拒否し邪悪に協力せず、迫害を承認しないと言った。最後に、任遠などは、お前が署名しなくてもこのようにすると出発間際に言った。

 陳真萍さんは2008年7月9日鄭州市国保大隊に第1留置場まで連行された後、8月19日に鄭州市の金水区裁判所にこっそりと刑罰を下された。司法官の任遠はその時いかなる書面を出さない情況の下で陳さんに7〜15年を判決すると喚き立てた。陳真萍さんの娘は母のために北京の弁護士の李蘇濱さんに頼んで上訴した。法律手続によれば裁判所は必ず訴状を弁護士に渡して当事者の陳真萍さんが弁護士に会うことを許すべきだが、裁判所は法律の執行者が法を犯し、決してこの訴訟手続を履行しなかった。

 金昭環さんは以前に何度も裁判所に行って母の判決文を求め、弁護士に頼んで上訴しようとした。しかし任遠はわざと時間を引き伸ばして、毎回陳さんの娘に会った時相手にせず、何度も繰り返して、「今あなたの身分を確認することができず、渡すことはできない。あなたが彼女の本当の娘であるかどうかは誰も知らない」と言った。陳さんの娘は戸籍簿と身分証を持って来たが、しかし任遠は「上の者に伺う必要がある、あなたは家に帰って待ちなさい」と言った。

 弁護士の李蘇濱さんは、「司法官(任遠)は起訴状さえくれない、すべてこっそりと行っている。彼は法に反しただけではなく、彼の行為は実際にすでに犯罪だ。職権を濫用しただけではなく、また法律の実施の破壊罪になる。法律に基づいて当事者の権利を守るべきで、相応する法律によって、この司法官に対して上訴を行う」といった。 

 司法官の任遠は陳真萍さんの娘の催促で、判決文を1月4日に渡すと承諾した。1月4日、陳さんの娘は再度金水区裁判所に来て判決文を求めた時、司法官の任遠はまた知らないふりをして、「私はあなたが彼女の本当の娘であるかどうかを知らない、戸籍簿と身分証明書を提示して下さい」と言った。陳さんの娘は憤慨し、「あなた達は人をいじめる、今日私に判決文をくれないと、私は帰らない」というと、司法官の任遠は彼女を地面に押し倒し、殴ったり蹴ったりして、彼女の髪を掴んで壁にぶつけた。任遠の事務室人員は任遠を止めた。陳さんの娘は打たれてずっと泣き、裁判長を訪ねると言って、110番に通報した。 

 娘さんは裁判長の事務室に来て、自分が任遠に殴られた経緯を馬裁判長に述べた。しかし馬裁判長は、「あなたはむやみに人に無実の罪を着せる。事務室のすべての人はみんな見てないよ。あなたはむやみに話をしないでください」と言った。陳さんの娘の友達もあとで裁判所に来て道理を求めたが、裁判長は彼女が無責任にデマを飛ばしており、裁判所は人を殴っていないと言った。娘さんの友達は「神様には目があるよ!」と憤慨した。

 陳真萍さんの長女・金昭宇さんはフィンランドで国際社会に中国で迫害された母を救援するように呼びかけた、200人近い議員、EU、および、アムネスティ、赤十字会などの組織と連絡し、彼らは陳真萍さんの受けた迫害と獄中で強制労働の事実に対して、不思議であると感じたが、この種類の残酷な迫害は中国で真実に存在することは思いもよらなかった。その中のフィンランドの議員はこの情況を大統領に報告すると示した。

 金昭宇さんと夫もフィンランドの大統領に救援の手紙を書いた、大統領も返事を出した、EU、アムネスティなども返事した、アムネスティはまた文書を作って全世界のアムネスティ組織に出すと同時に河南省鄭州市へ救援の手紙を出し、信仰は無罪であり当局に直ちに陳真萍さんを釈放するように求めた。

 2008年1月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/6/193041.html

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