日本明慧
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私のささいな修煉体験


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)1999年の正月に、私は帰省して身内を見舞いました。兄と夫の姉妹が大法を修煉しているのを知りました。特に夫の姉妹は70歳近くの人ですが、とてもそのようには見えません。自分を彼らと比べて見てみると、全く何にも言いようが有りません。その時、私は婦人病と、リューマチ、心臓病などの病気を抱えており、病魔にとりつかれていると言ってもいいでしょう。歩くとすぐに息が切れ、ちょっと走ると心臓が耐え切れません。ですから私は法を学び煉功することを決心しました。大法と縁を結び、大法は私の運命を変えてくれました。今は何の病気もなく、身体がとても軽くなりました。

  大法を修煉後、身体の変化がとても大きく、そして道徳心と精神面での向上はもっとも顕著に顕れました。人間がこの世にやって来た本当の目的と意味を理解し、人としてどのように生きるべきかを知りました。ここで私は師父の慈悲なる済度に深く感謝いたします。

  修煉する前には、家が鉄道の駅近くにあり、私利私欲のため、停車している列車の貨物が何であれ、盗んでも平然としていました、修煉後は徹底的にこの悪い習慣を変えました。以前は物を買う時いつも選んでいました。いつも人の甘い汁を吸おうと考えていました。今は物を買う時、お金が足りない時、いつもそのことを心配しています。

  たとえば、ある日、地方から来た鍋売りの年配者を見て、「いくらですか?」と聞くと、彼は言いました。「一つ7元です」、それを聞いて一つ買いたくなりました。しかし、ポケットから5元札を出して、実際はポケットの中の小銭を合わせると7元ありました。その時、2元値引きして貰おうと思い、「お金が足りないので買わない」と言うと、鍋売りの年配者は考えた末に「じゃあ5元でいいよ」と言いました。私は5元を出して持って帰りました。帰宅後、とても落ち着かない気持ちになりました。ポケットには7元あると分かっていたのに、なぜ全部渡そうとしないのか? これはどれほど汚い私心なのか! 「真・善・忍」の法理は知っていましたが、こんなことに遭うとなぜできないのでしょうか? 考えれば考えるほど落ち着かなくなり、とても後悔しました。彼は他の地方から来た人です、今後会う機会はほとんどありません。師父は私の後悔する心をご覧になり、慈悲の心で私に過ちを改める機会を与えてくださいました。その後3日目に、以外にも自宅の入り口で鍋売りの年配者を偶然見かけ、話す暇もなく急いで2元を取り出して彼に渡しました。お年寄りはとても感動して言いました、「あなたはとてもいい人です」。師父の慈悲なる按排がなければ、私はこのことで一生後悔したかもしれません。

  ここ数年、三つのことがあまりよくできていません。特に真相を伝え脱党を勧める面では、文化と言葉の表現能力に制限され、脱党を進めた人はとても少なく、心はとても焦っています。自分は言葉の表現力が欠けていると思っています。資料を作ることは真相を伝え、人を済度しているのではありませんか? しかし、私は仕事がなく、夫の退職金で生活をしており、経済的にプリンターを買う余裕などはありません。私がこれらのことで焦っていた時、師父は慈悲深く私のために按排してくださり、私は資料センターをやり始めさせました。

  ある日、私がちょうど野菜を買いに行こうとしたとき、家の入口で古い同修に遭いました。彼女は、私に「お願いしたいことがあるの」と言いましたので、私は「伺いましょう」と言うと、彼女は「ある資料センターのコピー機を移動する必要があり、今は置く場所がないので、あなたの家に置かせて貰えますか?」と聞きました。私は「問題有りません・・今、ちょうどコピー機を買うお金がなくて困っています!」と言いました。 翌日、彼女はコピー機を運んで来て、操作方法を教えてくれました。このようにして私の家庭資料センターを設立し、資料を作って配っています。この二つの出来事から私は体得しました。本当に心から大法のことをしたいのであれば、師父は必ず慈悲にあなたのために按排しくださいます。

  実は、法を学ぶ中で関門を突破して、悟った話しがまだたくさんあります。文化の限界のため、書いてはいませんが、さまざまな困難と障害を克服する自信があります。今後、ネット上の交流活動の中で書いて同修と共に学びます。

  もし不適切な所がありましたら、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

  2009年1月12日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/1/3/192806.html