集団で学法する良さについて
(明慧日本)集団で学法することは、師父が私たちに教えてくださった修煉の形式です。集団で学法する良さについて皆さんは長年の間いろいろな体験があると思いますが、読み間違わないことが、集団で学法することの基本的な特徴だと思います。
私たちの中で多くの人が、本を読む時にえてして文字が漏れたり、自分で余分の文字を加えたり、読み間違えたりします。考えてみれば、いずれも自分の考えが集中できていないときに見られる現象です。集中しないとこのような現象になります。特に、非常にすらすら読める状況であっても、実は一瞬でも読み間違えれば、考えがすでに法に基づいていないのです。
このような問題が現れたら、もし集団で学法しているのなら、周りの同修は必ず指摘してあげてください。その同修に教えるのです。時々目は本を見ていますが、口では読んでいるのに、心はほかの事を考えていることがあります。もし同修から指摘してあげれば、本を読む同修の心が再び法に戻れるようになります。問題を指摘することは双方にとっても向上する良い機会です。もし心性に問題があるなら、ちょうどこれを通して私たちの執着心を暴き、向上することができるようになります。心性の問題がなければ、同修が本を読むときに集中できないという関を乗り越えるのを助けることになります。
法は師父が説かれたものであり、すべての文字の背後には師父の法身があり、すべての文字の背後には数え切れないほどの神がいます。私たちが本を読むとき、すべての文字に背後の神々の作用が働きます。しかし、私たちが読み間違えたりすると、本来なら師父の説法になかった文字を加えた場合は、同修が法を学ぶときに自分の思想業力と観念を法の中に付け加えることになり、実際は私たちが法を学ぶことや修煉を妨害することになります。ですから、このような問題のある同修の間で必ず助け合いましょう。直ちに主意識を強め、思想業力を取り除きましょう。読み間違わないように注意することは、師父への最低限の敬意です。もしみんなが法を学ぶときの態度が正しければ、集団で学法するときに集中できなくなることも少なくなります。
もちろん、相手を指摘するときは自分を修めるときでもあり、善意を抱いて、同修のためという良い心構えで行い、自分の話し方とやり方に注意して、全体の学法の効果を維持しましょう。なぜならば常人の中でいかなる極端なことも、良くないマイナスの効果をもたらします。
以上は個人の認識にすぎず、正しくないところはご指摘お願いします。
2009年1月16日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/17/193620.html)
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