日本明慧
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「正しい念」と「正しい行い」の力


文/中国東北の大法弟子

(明慧日本)私は小さいときから体が弱く、病気ばかりしていました。両親は私が子供のころから、私を連れて各地のお医者さんへよく行きましたが、なかなか病気は治りませんでした。1994年、母は親戚の紹介で、師父の「長春の説法伝功講座」に参加しました。講座を終え、家に帰った母は私に「学法」と「煉功」を教えました。そして、私は1995年の春に大法を修煉し始めました。十数年来、私は薬が要らず、注射が要らず、病院にも行ったことがありません。私の体の変化は多くの知人や友達に大法の素晴らしさを感じさせました。修煉後、私は何回も交通事故に遭遇したことがありますが、少しも傷を負ったことはありません。もし、師父の保護がなければ、このような結果は絶対得られなかったでしょう。

 大法の修煉を初めてから1年半後、私は就職しました。会社の上司は「給料はあげられないが、もしお金がほしいなら、領収書を探して持ってきて、決算してあげる」と言ってくれました。そのとき、師父の説法に「煉功者としては、どのように失と得に対処すればよいでしょうか? それは常人の場合と違います。常人が得ようとしているものは個人の利益で、どうすれば暮らしが良くなるのか、どうすれば楽に暮らせるかということです。煉功者はこれと正反対で、常人が得ようとしているものは求めようとしません」(『転法輪』)とあることを思い出しました。師父のこの説法から、私は、名、利を軽く見ればよいと認識しました。

  だから、嘘の領収書を使ったことはなく、数年間、あまり給料をもらったことはありません。2001年のある給料日に、一緒に仕事している同僚は、私が誠実であることが分かり、図々しく私の給料を占有しようとしました。そのことで、上司と会計は彼女を嫌うようになり、会計は私に「給料を配るとき、私はお金をあなたの手に直接渡すから、彼女はもうあなたから奪えないでしょう」と言い、上司も彼女がやりすぎで、明らかに人の利益を占有していると感じました。このとき、1人の男性の同僚が「どうしますか」と私に聞いてきました。「彼女がもらいたいなら、もらっていい」と私は言いました。私がこのように答えたのは、法輪功修煉者がどういう人であるか、テレビ、ラジオの宣伝したことと違うのだと上司と同僚に見せたかったのです。私は、彼女と争わず、お金をもらわなかったのです。

 法輪功が迫害され始めた後、部門の上司は私と面談し、「転向書」を書かせようとしたのですが、私は、師父の説法と私の仕事への態度を上司によく説明しました。その上司は修煉者に対する認識を変え、そのときから、大法に対して良い認識を持つようになりました。もう1人の上司は、2004年の夏に交通事故に遭って入院しましたが、私は同僚と一緒に病院にお見舞いに行き、その上司は「私は以前、前の会社で法輪功修煉者に『転向書』を強要して書かせたことがあったが、今回の交通事故はその応報でしょうか」と言いました。この人の後悔している態度を見て、私は彼に、簡単に大法の真相を教えました。彼も大法に対して良い認識ができました。その後、彼に『九評』を見せ、「三退」を勧めました。彼は「あなたは心から私に良いことをしてくれているから、私は中国共産党の組織を退出するよ」と感激しながら言いました。今、私の周りの同僚はみんな「三退」しているわけではないのですが、大法に反対する人はひとりもいません。

  大法を得た後、私は暇があるとき、法を暗記しました。そのため、数回不法に迫害されたときは正念を保って、旧勢力の迫害を否定でき、脱出することができました。

  2002年3月11日夜12時すぎ、家族がみんな寝ているとき、突然ドアを激しく敲かれ、家族がみんな目を覚ましました。父がドアを開けたら、長春市緑園区公安局の警官が我が家に不法に侵入してきました。部屋に入ってきた警官は布団の中にいる私と母を引っ張り出し、私と母に服を着るように命令しました。部屋が捜査され、私と母を長春市緑園区公安局に連行しました。公安局で警官は私にいくつかの質問をし、その後、すぐに寝てしまいました。師父の「旧勢力の按排を一切承知しない、大法弟子として旧勢力の迫害を絶対承知してはいけない」という説法を思い出し、私は法を暗誦しながら、公安局から出て、ビルの角を曲がって脱出できました。

 2005年11月23日午前、私は仕事中に、当地の公安局の警官に強制的に公安局に連行されました。しばらくして、私ともう1人の同修は省の「洗脳班」に送られました。「洗脳班」で私を監視している人は、退職した老人です。私は老人に大法の真相を伝えると、老人は共産党が理不尽であることを知っていたと言いました。真相を伝えることによって、多くの事実が分かるようになりました。

 翌日の夕飯のとき、私は法を暗誦しながら、同修と一緒にご飯を食べに行きました。私を監視している老人は私と一緒に行かなかったのです。階段を降りたところである人が突然「私たちと一緒に行かなくていいよ、その老人を待ちなさい」と私に言って、みんなと一緒に食堂に入っていきました。その人たちが去って行くのを見て、私はすばやくビルから出て、走ってレールを越え、数分間はや歩きをして、その「洗脳班」から脱出しました。「洗脳班」の向こうは山の斜面で、私は道が分からなかったので、山の斜面に正念を発しました。十数分後、後ろから車と人の声が聞こえてきました。私は法を続いて暗誦し、正念を発して、脱出できるように師父の援助を求めました。その結果、警官らは懐中電灯を使ってまわりを見張りましたが、私を見つけて捕まえることができませんでした。約2時間が過ぎ、私は山を登り、越えて、果樹園を通って、ある都市に入ることができました。タクシーをつかまえて、行きたいところを言って、お金を多く出しました。私は再び正念で脱出できました。

  帰ってから5日目、私は勤め先の上司に電話をして、仕事に行けるかどうか聞きました。上司は、「しばらく待ってください、後で連絡します」と言いました。2006年新年の後、勤め先から仕事に来るようにと通知がきました。仕事場へ行き、同僚たちは私が迫害を受けたことを知り、共産党の邪悪な本質をもっと分かるようになりました。その後、公安局は数回私の勤めている会社に来ましたが上司に止められました。上司は公安局の人たちに「まだ来るのか、なぜこんなことをやるの、やりすぎじゃないのか」と逆に聞きました。それから、公安局の人は来なくなりました。

 私は何回も正念で関を乗り越えましたが、それは自分の力ではなく、師父の保護で成功したのだとよく分かりました。私は修煉の中で足りないことが多く、多くの執着心を放下していないことがあります。これから、私はもっと精進し、自分の内に向けて探し、常人の心を放棄して法を正す進展に追いつき、自分の「先史の大願」を果たしたいと思います。

  2009年1月30日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/1/18/193699.html